第69章 目を開いた者たち
アイリスは、はっきりと言った。
「……これ、偶然じゃないよ」
フェリクスが足を止める。
「どういう意味だ?」
「人が消えてるだけじゃない」
「“気づかれない形”で、ね」
彼女は指先で、机の端を軽くなぞった。
「それに」
「消えてない人も、少しずつ変になってる」
フェリクスは、息を詰めた。
「……ローデリクみたいに?」
「うん」
即答だった。
「記憶が抜けてる」
「感情が薄くなってる」
「でも本人は“問題ない”と思ってる」
アイリスは、少しだけ唇を噛む。
「これ、たぶん」
「使われた側だけじゃない」
フェリクスの視線が鋭くなる。
「使った側にも、影響が出てる」
「そう」
アイリスは、頷いた。
「強い精神に無理やり魔法をかけたら」
「反動が、必ず返ってくる」
「……それで?」
「様子のおかしい人が、出る」
フェリクスは、すぐに理解した。
「それを探す」
「うん」
「それが、いちばん早い」
⸻
リュシアは、その役を引き受けていた。
彼女は、もともと履修している科目が多い。
理論、実践、歴史、応用。
学年も学科も、ばらばら。
(……こういう時のため、だったのかも)
内心で、少しだけ笑う。
授業中。
休み時間。
廊下や中庭。
リュシアは、あくまで自然に、会話をした。
「最近、授業どう?」
「疲れてない?」
「覚えにくいところ、増えてない?」
深くは聞かない。
問い詰めない。
ただ、反応を見る。
——ぼんやりする者。
——返事が遅れる者。
——さっき話したことを、忘れている者。
(……いる)
数は多くない。
だが、確実に。
(使われた側だけじゃない)
(“使った側”も、どこか歪んでる)
その確信を、リュシアは胸に刻んだ。
⸻
一方で、カイオンは別の動きをしていた。
ユリアンだ。
「……少し、いい?」
声をかけると、ユリアンは露骨に顔をしかめた。
「なに?」
「今忙しいんだけど」
「最近、変わったことは——」
「ないわよ」
即答。
「あなたに話すことなんて、何もない」
それだけ言って、背を向ける。
(……だろうな)
カイオンは、追わなかった。
嫌われているのは、分かっている。
(だからこそ)
(これは、俺の役じゃない)
⸻
その夜。
リュシアは、カッシウスとフローラを呼んだ。
場所は、人目につかない中庭の端。
「殿下」
「少し、お願いがあります」
二人は、表情を変えなかった。
話を聞く前から、何かを察している顔だった。
リュシアは、要点だけを話した。
人が減っていること。
記憶や感情に、歪みが出ていること。
そして——使った側にも影響が出ている可能性。
カッシウスは、短く息を吐いた。
「……やはりな」
フローラも、静かに頷く。
「私も、感じてた」
「学園の空気が、少しずつ荒れてる」
「それに」
フローラは、声を落とす。
「影からも、報告が来ているの」
「“理由のない空白”が増えているって」
リュシアは、背筋を伸ばした。
「協力していただけますか」
「もちろんだ」
カッシウスは、即答した。
「最初から、そのつもりだった」
フローラは、リュシアをまっすぐ見て、微笑む。
「一人で抱え込まないで」
「これは、私たちの問題でもあるわ」
その言葉に、リュシアは胸の奥が少し温かくなる。
⸻
その夜遅く。
フェリクスは、アイリスを見ていた。
彼女は、いつもより饒舌だった。
目が、はっきりと覚醒している。
(……この子)
(“見える側”に来たな)
フェリクスは、苦笑する。
「危ないことだぞ」
「うん」
アイリスは、迷わず頷いた。
「でも」
「やっと、“分かる側”に来た気がするの」
その言葉に、フェリクスはもう止めなかった。
人が減っている。
記憶が歪んでいる。
そして——
使った者も、壊れ始めている。
それぞれが、それぞれの場所で動き始めた。
歯車は、もう戻らない。
静かに、だが確実に。




