第68章 影が拾った名前のない噂
カリックスのもとに、
ひとつの報告が届いたのは、夜だった。
王族専用の静かな執務室。
灯りは落とされ、窓の外では学園の鐘が低く鳴っている。
「……妙な話です」
影が、いつもより言葉を選んでいた。
「“生徒が減っている”という噂が、複数ありました」
「噂?」
カリックスは、書類から視線を上げる。
「具体的な名は?」
「ありません」
即答だった。
「誰が、いつ、どこで――
それが、誰一人一致しない」
影は淡々と続ける。
「ただし」
「“以前は確かにいた”という感覚だけが、共通しています」
それは、情報というより――
感覚の残骸だった。
「名簿は?」
「問題なし、という記録になっています」
「退学、留学、転籍……理由はすべて揃っている」
「ですが」
影は、ほんの一瞬だけ言葉を切った。
「“その理由を覚えている者”が、誰もいません」
カリックスは、ゆっくりと椅子にもたれた。
影ですら掴めない。
影が、名前を拾えない。
それが意味することを、彼は理解していた。
「……記憶だな」
「はい」
「消されている可能性があります」
フローラの言葉が、ふと重なる。
——最近、学園が妙にピリピリしている。
あれは、気のせいではなかったのかもしれない。
「母国には?」
「報告済みです」
「ただし、“確証がない”ため、動けないとのことでした」
当然だ。
王族が動くには、理由がいる。
噂と感覚だけでは、誰も責任を取れない。
沈黙が落ちる。
カリックスは、しばらく考えた後、静かに言った。
「……学園内だな」
「はい」
「内部で、誰かが“上手くやっている”」
影は、首を縦に振る。
「影を使っても、辿り着けません」
「記録も、記憶も、綺麗すぎる」
それは、褒め言葉ではなかった。
「リュシアの件と、繋がるか?」
「可能性は高いかと」
「境界」
「記憶」
「そして、“消える”」
カリックスは、立ち上がる。
「まだ動くな」
「だが」
視線が鋭くなる。
「“見ている”ことだけは、続けろ」
「……承知しました」
影は、音もなく消えた。
一人残された執務室で、
カリックスは窓の外を見た。
学園は、静かだ。
秩序は保たれ、
誰も騒いでいない。
だが——
(影ですら、名前を掴めない)
それは、
この学園がすでに“普通ではない”証だった。




