第56章 笑顔の裏側
薄暗い廊下に、二人分の足音が響いていた。
石壁に設えられた魔導灯は間引かれ、
人の往来はほとんどない。
ローデリクは、隣を歩く上級生の声を
半分だけ聞いていた。
「最近、本当に伸びてるね」
にこやかな声だった。
「君みたいな才能が、正しく導かれれば」
「この学園は、もっと良くなる」
「……そうですね」
ローデリクは、曖昧に返事をする。
頭の奥に、薄い霧がかかったような感覚があった。
(……何の話だったっけ)
歩いている理由も、
向かっている先も、
はっきりしない。
それでも、
足は自然と前へ進んでいく。
⸻
「——あら?」
背後から、落ち着いた女性の声がした。
二人が振り返ると、
そこには一人の教授が立っていた。
エイドリア史と、アストリア官僚制度論を教える教授だ。
制度。
秩序。
人が“正しく管理される仕組み”。
それを語ることを生業とする人物だった。
「アデルさん?」
教授は、少し首を傾げる。
「今日は、あなたの担当の教官はいらっしゃるかしら?」
視線が、ローデリクへと移る。
「まあ……」
「生徒と一緒に歩いているなんて、珍しいわね」
穏やかな口調だった。
アデルは、にこやかに微笑んだ。
「ええ」
「彼が教室を迷っているようでしたので」
「担当の教官は、今日はお休みですよ」
言葉は丁寧だった。
声も柔らかい。
だが——
近くにいたなら、分かったかもしれない。
その目が、
まったく笑っていないことに。
教授は、気づかなかった。
「そう……ありがとう」
「助かるわ」
軽く会釈し、
そのまま廊下を去っていく。
足音が、遠ざかる。
⸻
静寂が戻った。
ローデリクは、しばらくその背中を見ていた。
(……あれ?)
胸の奥に、微かな引っかかりが残る。
(この人……)
(ミカエル、じゃなかったか?)
確か、
最初に名乗られた時は——
思考が、途中で途切れる。
アデルが、顔を覗き込んだ。
「どうした?」
柔らかな笑み。
「大丈夫?」
ローデリクは、一瞬だけ眉を寄せ——
「……大丈夫です」
そう答えていた。
なぜ疑問を持ったのか、
もう分からない。
二人は、再び歩き出す。
暗い廊下の奥へ。
魔導灯の光が、
ゆっくりと背後に遠ざかっていく。
その光の中には、
誰にも拾われなかった違和感だけが、
静かに取り残されていた。




