第55章 減っていくもの
ローデリクは、気づいてしまった。
——自分の記憶が、抜けている。
いつからかは分からない。
だが最近、
「思い出そう」とした瞬間に、
何もない場所にぶつかる。
空白。
そこにあるはずのものが、
きれいに消えている。
⸻
最後にはっきり覚えているのは——
あの上級生に声をかけられた日だ。
「もっと上を目指すクラスがある」
そう言われて、
特別な場所へ行った。
そこまでは覚えている。
だが。
(……その先が、ない)
何をしたのか。
誰と会ったのか。
何を学んだのか。
何一つ、思い出せない。
考えようとすると、
頭の奥が、重くなる。
鈍い痛みのようなもの。
そして——
(……まあ、いいか)
その考えに、
すぐたどり着く。
⸻
問題は、起きていない。
授業には出ている形跡がある。
ノートもある。
試験も受けている。
そして結果は——
完璧だ。
むしろ、
今までよりもいい。
(なら、問題ない)
そう思う。
思えてしまう。
(覚えていなくても)
(勝てばいい)
父は結果しか見ない。
1位でいれば、それでいい。
それだけだ。
⸻
そのとき。
ほんの一瞬だけ、
胸の奥に、
引っかかるものがあった。
(……本当に?)
それでいいのか。
何を失っている?
何を削っている?
——だが。
「……めんどくさいな」
その考えは、
あっさり流れた。
流してしまった。
⸻
(余計なことは考えなくていい)
(俺は、勝てばいい)
思考が止まる。
止まることに、
違和感もない。
それどころか——
楽だった。
考えなくていい。
疑わなくていい。
ただ結果だけ見ればいい。
⸻
——少し離れた場所。
友人は、
ローデリクの背中を見ていた。
(……変だ)
以前のローデリクは、
もっと怒っていた。
もっと周りを見ていた。
今は——
静かすぎる。
まるで。
「……中身がないみたいだな」
ぽつりと、誰かが言った。
「やめろよ」
別の友人が苦笑する。
だが、その笑いは弱い。
「でもさ」
「最近、上の空だよな」
「授業でも、反応遅いし」
確かにそうだ。
問いかけられて、
一拍遅れて答える。
まるで、
考えるのを忘れているみたいに。
⸻
「……でもさ」
友人が言う。
「試験、満点なんだよな」
全員が黙る。
そこが一番、おかしい。
努力している様子はない。
焦りもない。
なのに——
結果だけが、完璧だ。
⸻
「……なあ」
一人が言いかける。
「これって——」
その先を言おうとして、
やめた。
言葉が出てこない。
出したくない。
なぜか分からない。
ただ、
考えたくない。
⸻
話題が、自然に変わる。
誰も指摘しない。
誰も深く考えない。
考えようとすると、
妙に気分が悪くなる。
⸻
そして誰も気づかない。
ローデリクの周りで、
少しずつ。
本当に少しずつ。
何かが削れていることに。
⸻
その日。
ローデリクのノートには、
見覚えのない文字が書かれていた。
だが彼は——
それを見ても、
何も思わなかった。




