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境界に立つ者たち  作者: 麻婆豆腐


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第115章 戻ってくる場所

第115章 戻ってくる場所

回復室には、静かなざわめきがあった。


白い天井を見上げたまま、

生徒たちが一人、また一人と目を覚ます。


「……ここ、どこだ?」


「え……授業は……?」


誰もが同じ問いを口にする。


――ここ数ヶ月分の記憶が、抜け落ちている。


副校長ミレーヌは、

一人ひとりの様子を確かめながら、静かに告げた。


「魔法による後遺症です」

「ですが――」


言葉を、慎重に選ぶ。


「脳や心が壊れたわけではありません」


生徒たちが、不安げにこちらを見る。


「長い間、“自分で考える”ことを奪われていた」

「それだけです」


一瞬の沈黙。


「だから今は、疲れやすい」

「集中が続かない」

「ぼんやりする」


「でも」


ミレーヌは、はっきりと言った。


「足を骨折した人が、すぐ走れないのと同じです」

「時間と訓練が必要なだけ」


「リハビリをすれば、必ず戻ります」


その言葉に、

リュシア、カイオン、フェリクスは

同時に息を吐いた。


「……よかった」


リュシアが、かすかに呟く。


確かに、救えた命がある。

確かに、戻ってきた生徒がいる。


だが――


ミレーヌは、視線を伏せた。


「……ただし」


その一言で、空気が変わる。


「被害が深刻で」

「発見が遅れた生徒もいました」


「全体の――三割です」


言葉が、胸に落ちる。


「彼らは、回復魔法が届かなかった」

「思考の戻りが確認できていません」


完全に壊れたわけではない。

だが――


“戻る兆しがない”。


その現実が、

部屋を静かに締めつけた。


ミレーヌは、淡々と続ける。


「ローデリクも、その中の一人です」


カイオンは、その名を聞いた瞬間、

何も言えなくなった。


嫌っていた。

衝突した。

理解し合えなかった。


それでも――

同じ教室で、同じ時間を過ごした生徒だった。


言葉は、もう返ってこない。


⸻


別室。


アイリスは、ベッドのそばに立っていた。


目の前には、

治癒を終えたばかりのルームメイト。


「……どう?」


不安を隠しきれない声。


ルームメイトは、少し考え――

ふっと表情を緩めた。


「あー……」


「なんか、頭がすっきりした気がする」


そして、間の抜けた声で言う。


「それよりさ」

「甘いもの、食べたいな」


にこり。


いつもの、何でもない笑顔。


その瞬間、

アイリスの目から、涙が溢れた。


「……うん、うん」


何度も頷きながら、

泣き笑いのまま答える。


「いっぱい食べよう」

「ほんとに、いっぱい」


ルームメイトは、少し驚いた顔をしたが、

何も言わず、笑い返した。


⸻


数日後。


授業が、少しずつ再開された。


完全ではない。

時間割も簡略化され、

集中が続かない生徒には休憩が設けられている。


それでも、

教室には人の気配が戻ってきていた。


カイオンは、

いつもの席に座り、

無意識に視線を前へ向けた。


――一つ、空いている。


教科書も、ノートもない机。


誰かが座らないだけで、

こんなにも目立つものだったのかと、

初めて気づく。


(……ああ)


名前を呼ぶことも、

振り返ることも、

もうできない。


ローデリクの席だった。


教師が入ってきて、

授業が始まる。


誰も、その席について何も言わない。


言わないからこそ、

そこに“在る”ことが、はっきり分かった。


カイオンは、机の端を強く握った。


謝る機会は、もう来ない。

言い返すことも、できない。


ただ――

空いたままの席だけが、残った。


⸻


少し離れた場所で、

フェリクスはその教室を見ていた。


口元には、いつもの軽い笑み。


だが――

目は、笑っていない。


(救えた)


(……でも)


救えなかった者もいる。


(生徒が減る流れは、止まっていない)


(この事実を、知った誰かがいる)


(そいつは、必ず動く)


静かな学園。

平穏を取り戻しつつある風景。


その下で、

まだ終わっていないものが、確かに蠢いている。


――戻ってくる場所は、守れた。


だが、

戻れなかった者の重さが、ここに残った。


それは、

次の選択を誤らせないための、

消えない傷だった。


——終わりではない。


これは、

次の動きの前触れだった。

 

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