第106章 名を持たない命令
王宮の地下。
記録にも地図にも載らない、
古い作戦室があった。
灯りは最低限。
壁には、過去の戦役の地図と、
今はもう存在しない部隊名が刻まれている。
「……想定より、騒ぎになったな」
誰かが言った。
声の主は、はっきりしない。
ここでは、階級も名も意味を持たない。
「学園側が気づいたのが早すぎた」
別の声。
「精霊王まで引きずり出されるとは思わなかった」
沈黙。
その沈黙が、
“失敗”を認めているようで、誰も口にしない。
「だが」
低い声が、続けた。
「実験は、成功している」
「精神魔法は“本人の意思”として定着した」
「自分で選び、自分で従ったと、そう信じる」
「恐怖も抵抗もない」
「気づいた時には、もう“戻れない”」
誰かが、笑った。
それは愉悦ではない。
確認作業のような、乾いた笑いだった。
「アデルという助役は、便利だったな」
「思想が素直だ」
「“国のため”という言葉を疑わない」
「教授も」
「学問の名の下なら、線を越える」
一瞬、間が空く。
「……だが」
「切り捨てる」
全員が、何も言わずにうなずいた。
すでに捕まった者は、終わりだ。
だが、思想は捕まらない。
「問題は次だ」
「学園が閉じられれば、計画は止まる」
「だが、閉じない」
「閉じられない」
誰かが、静かに言った。
「なぜなら」
「学園は“必要”だからだ」
「国にとっても」
「戦争にとっても」
灯りが、ふっと揺れた。
「次は、もっと静かにやる」
「事故ではなく」
「“自然な選別”として」
「成績不振」
「自主退学」
「心が折れただけ」
「誰も責任を問わない形で」
最後に、ひとつだけ。
「……あの少女は?」
「リュシア・ヴェルダム」
空気が、わずかに張りつめる。
「不要な因子だ」
「だが、今は触るな」
「英雄は、いずれ孤立する」
「守られている間は、むしろ厄介だ」
「時間は、こちらの味方だ」
そう言って、
作戦室の灯りは消えた。
残ったのは、
誰もいない空間と——
壁に刻まれた、古い標語。
「犠牲なき前進はない」
その言葉だけが、
暗闇の中で、静かに残っていた。




