第103章 助けたはずなのに何かがおかしい
少女は、確かに助かった。
息をしている。
脈もある。
目も開いている。
それなのに——
「……ねえ」
アイリスが、かすれた声を出した。
「この子……」
誰も、続きを言えなかった。
⸻
保健室の簡易ベッドに横たえられた少女は、
天井を見つめていた。
瞬きは、ある。
呼吸も、落ち着いている。
だが。
視線が、合わない。
話しかけても、
音としては届いているはずなのに、
意味として、返ってこない。
「……名前、言える?」
リュシアが、ゆっくりと問う。
少女の唇が、わずかに動いた。
「……」
声は、出なかった。
いや。
出そうとした形跡だけが、残った。
⸻
「……おかしい」
フェリクスが、低く言った。
「完全に壊れてはいない」
「でも、戻ってもいない」
カイオンは、少女の手首に触れ、
精霊の流れを慎重に探る。
「……遮断されてる」
「魔法は、もうかかってない」
「なのに——」
言葉を、選んだ。
「“帰り道”が、分からなくなってる」
⸻
そのとき。
少女が、突然、口を開いた。
「……大丈夫」
一同が、息を呑む。
「私……」
一拍。
「もう、選ばれないから」
⸻
空気が、凍りついた。
「……何を、選ばれないって?」
アイリスが、震える声で聞く。
少女は、微笑もうとした。
だが、それは——
笑顔の形を、思い出そうとした失敗だった。
「ここにいれば……」
「考えなくて、いいって」
「頑張らなくて、いいって……」
⸻
リュシアの指先が、強く握られる。
「それを——」
声が、低くなる。
「誰に、言われたの?」
少女は、少し考えた。
考えている、というより、
**“探している”**ようだった。
「……分からない」
「でも……」
目が、泳ぐ。
「正しいって」
「国のためだって」
「みんな、そう言ってた」
⸻
フェリクスは、思わず壁を殴った。
音が、鈍く響く。
「……くそ」
「助けた、はずだろ」
「魔法は、切った」
「なのに——」
⸻
カイオンは、ゆっくりと首を振った。
「……違う」
「助けたのは、身体だけだ」
「思考の“癖”が、残ってる」
「……いや」
言い直す。
「刷り込まれてる」
⸻
少女は、もう泣かなかった。
怯えも、混乱も、ない。
それが——
何より、異常だった。
「ねえ」
ぽつりと、言う。
「……私」
「もう一度、行った方がいいのかな」
「役に、立てるなら……」
⸻
アイリスが、思わず抱きしめた。
「だめ!!」
声が、裏返る。
「そんなこと、考えなくていい!」
少女は、驚いたように瞬いた。
その反応だけが、
生きている証拠だった。
⸻
リュシアは、静かに立ち上がる。
胸の奥が、冷たく沈んでいくのを感じながら。
(——終わってない)
(これは、始まりだ)
救出は、成功した。
だが。
“思想”は、まだ生きている。
しかも——
自分で歩き始めている。
⸻
廊下の向こうで、
誰かが、ゆっくりと扉を閉める音がした。
それが誰かは、分からない。
ただ一つ、確かなのは。
学園は、まだ“食べること”をやめていない。
——助けたはずなのに、
何かが、確実に狂っていた。




