第98章 同じ言葉をまた聞いた
夜の寮は、静かだった。
灯りの落ちた廊下。
遠くで風が窓を叩く音だけが、規則的に続いている。
アイリスのルームメイトは、机に伏していた。
成績表が、開かれたまま。
赤い印が、目に痛い。
「……やっぱり、私だけだ」
そう呟いた声は、
自分でも驚くほど小さかった。
周りは優秀な生徒ばかりだ。
授業についていけないのは、自分だけ。
(落ちこぼれ)
その言葉が、頭の中で何度も反響する。
(このまま、高い学費を払い続けて……意味あるのかな)
家に戻れば、
「よく頑張った」と言ってくれるだろう。
でもそれは、
“失敗を受け入れた後の優しさ”だ。
まだ、そこへ行く勇気はなかった。
⸻
ふと、昼間の会話を思い出す。
——アイリスの声。
「ね、聞いた?」
「カイオンたち、勉強会してるらしいよ」
「ちゃんと分かるまで教えてくれるって」
そのときは、
ただの噂だと思った。
でも今は。
(……行ってみようかな)
誰にも言わず、
ひとりで。
期待してはいけない。
がっかりするのは、もう慣れている。
それでも。
(何もしないよりは……)
⸻
廊下に出る。
夜の学園は、
昼とは別の顔をしていた。
足音が、やけに響く。
(……静かすぎる)
そのとき。
「きみ?」
背後から、声がした。
振り返ると、
そこに立っていたのは、見覚えのある男子生徒。
同じ学年。
授業で、何度か顔を合わせたことがある。
にこりと、自然な笑顔。
「もしかして」
「カイオンの勉強会に行く途中?」
心臓が、跳ねた。
(……なんで、知ってるの?)
「僕もなんだ」
「よかったら、一緒に行こうよ」
声は柔らかく、
距離の取り方も、ちょうどいい。
疑う理由が、見当たらない。
だが。
(アイリスが……)
——怪しげな事件が起きてるって。
——一人で行動しないでって。
その忠告が、
頭の奥で、かすかに鳴った。
「……ごめん」
断ろうとした。
確かに、そう思った。
⸻
次の瞬間。
「うん」
彼女の口が、勝手に動いた。
「お願い」
自分の声が、
他人のもののように聞こえる。
(……え?)
胸の奥が、ひやりと冷える。
だが、その違和感は、
すぐに霧散した。
(まあ、いいか)
(一緒の方が、安心だし)
彼は満足そうに頷いた。
「よかった」
「迷うよね、こういうの」
その言葉に、
なぜか、胸が軽くなる。
二人は並んで、
暗い廊下を歩き出した。
⸻
背後で、
扉が、静かに閉まる。
その音を、
彼女は振り返らなかった。
——いや。
振り返ろうという発想自体が、消えていた。




