四本目 一本だけならノーカンさ!
「勇者様! 北の鉱山とはここですね」
わかばは鞄から取り出した地図の一点を指差した。その先には、山らしき絵が描かれている。
「多分そうだな」
「ということは〜」
わかばは指先を下に滑らせる。示した場所は、鉱山から南に伸びる一本の街道だった。
「さあ! 早く行きましょう!」
わかばはにこりと笑った。
「なあ、わかば」
「はい?」
「腹減ったわ、なんか食わね?」
「えっ?」
「いや、禁煙するとな、腹減るんだよ」
「あっ、その」
「禁煙ってのはタバコやめることね」
「そ、そうなんですね!」
◆
それから俺たちは、武器屋からほど近いレストランに入った。薄暗い店内には、うっすらとジャズのような音楽が流れている。
案内されたテーブルに着くと、思わず辺りを見渡した。
彫刻の施された白い天井に、豪華なシャンデリアが煌めく。鏡のように磨かれた石の柱。それに傷一つない木製のテーブル。明らかに身なりのいい客たち。
「すげぇな、おい」
てか、この世界の住人は魔王に苦しめられてるんだよな。やっぱり、異世界も格差社会なのか。
ほどなくして、ウェイトレスが近づいてくる。
「ご来店ありがとうございます。トレジャラー・ブラックへようこそ」
トレジャラー・ブラック。なんか高そうな名前だな。
ふと、わかばに目を向けた。
わかばは俺の正面に座り、メニュー表を見てあわあわしている。
「あの〜、注文、後でいいっすか?」
周りの客の視線が、一斉に俺へ向いた気がした。
「え、あ、はい。もちろんでございます」
ウェイトレスはすたすたと、奥に歩いていく。
「なあ、入る店、間違ってね?」
「え、そ、そんなことありません! 勇者様に相応しいお店を紹介しただけです!」
「でもお前、金ないんだろ?」
「勇者様に安いものを食べさせるわけには……」
「別に牛丼とかでよかったのに」
「ぎゅうどん?」
「なんもねーよ」
それから、わかばはメニューと睨めっこを続けた。
「火竜のテールステーキ、三千ゴールド、虹色鳥の卵の目玉焼き、二千七百……あっ」
わかばがメニューの端を指差す。
「このサラダ、千二百ゴールド! こ、これにしましょう!」
「腹減ったから、もうなんでもいいよ」
「わ、わかりました」
ん? わかばの目が泳いでる。その視線は、別のメニューをちらちらと追っていた。
俺は上からメニューを覗き込んだ。
「デラックスパフェ、千五百ゴールド……」
「えっ?」
わかばの身体が、一瞬ぴくりと動いた。
「ほ、ほんとですね〜。こ、こんなメニューもあるんだ〜」
「これ、食いたいの?」
「そんなことありませんよ!……ん〜、がまん、がまん」
「いや、本音漏れてんぞ」
結局、俺たちは戻ってきたウェイトレスに、サラダを一皿だけ注文し、それを二人で分けて食べ始めた。
「お、おいしいですね! やっぱり」
わかばは自分に言い聞かせるように呟いた。
「う〜ん、そうか? やっぱりなんか、味薄くね」
「そ、そぉんなことないですよ〜」
周りから、ヒソヒソと話し声が聞こえる。多分、俺たちのことだろう。
そんなことは気にも留めず、わかばはその頬に野菜をたっぷり詰め込んでいた。
【勇者スキル解放まで、残り二十八時間】
残金、三百ゴールド。
◆
トレジャラー・ブラックを出た俺たちは、北の鉱山を目指して街道を歩いていた。
振り返れば、セブンスターの街はすでに小さくなっている。地図を手に歩くわかばの後ろを、俺は追いかけた。
「なあ、この世界の地図の見方はわかんないんだけど……これ、どれくらいかかるの?」
わかばは立ち止まり、地図を開いた。
「そうですね〜、この距離なら、多分一日半くらいはかかりますね」
「マジか! そんな歩くのかよ」
「で、ですが、それだけ時間があれば、ついに勇者様の真のお力が見れます!」
「それまでに、俺が倒れなければな」
「大丈夫ですよ〜、勇者様にはそこらの魔物は近づけませんから!」
「いや、ヤニ切れの方な」
「え、ああ、大丈夫です! 私がついていますんで!」
「てか、帰りも合わせて三日歩くんだよな? そんな軽装で大丈夫か?」
俺は、わかばが肩に下げていた鞄に目を向ける。
「てかその鞄、何が入ってるの?」
「えっ?」
わかばは鞄の口を開き、中の物を一つずつ取り出して見せてきた。
「え〜と、財布と」
「おう」
「水筒が、一つ」
「えっ? 一つ?」
「ま、まあ途中、川や井戸もありますし……」
「お、おう」
「あとは〜……あっ」
そう言って、何かを鞄の奥に押し込む手を、俺は見逃さなかった。
「今、何隠したんだ?」
「な、何も隠してませんよ〜」
わかばは俺から目を逸らした。声は完全に上ずっている。
「嘘つけ、なんか押し込んだだろ」
「ほ、ほんとに何もないですよ〜」
俺が近づくと、わかばは顔を真っ赤にして、急いで鞄を後ろに隠した。
「だ、だめです! し、下着とか入ってるんで、見ないでください!」
「おい、それ言われたら見れねーじゃねーか。ある意味チート能力だな」
「だ、だいたい勇者様も、何か持ってくればよかったじゃないですか!」
「いや、俺は別に魔王なんて——」
そこで、言葉が止まった。わかばが、不安そうな顔で俺を見ていたから。
「いや、ごめん。ちょい苛立ってたわ」
俺は無意識に、胸ポケットに手を入れた。けれど、そこには何もなかった。
◆
【勇者スキル解放まで、残り二十四時間】
それからは、ゴツゴツと荒れた街道を二人で歩き続けた。次第に太陽が傾き始めている。
「はぁ、はぁ……てか、なんか暑くね? 今、何月よ?」
「がつ?」
「あー、はいはい、そういう設定ね。うん、わかった、わかった」
「ゆ、勇者様、大丈夫ですか?」
俺は止まらない汗を拭いながら、ひたすらに足を動かし続ける。頭はもう、回っていない。
「み、水くれない?」
「は、はい。ただいま!」
差し出された水筒を受け取る。
ひょうたんのような物で作られた簡素な水筒。もう、随分軽くなっている。
俺はコルクの栓に手をかけた。だが、手もとが上手く定まらない。
「くっそ。この、誰だよ! こんなめんどくさい水筒開発したやつ」
やっとの思いで栓を抜き、口をつけないように気をつけながら、震える手で水筒を傾けた。
そんな俺を、わかばは少し怯えたような目で見つめている。
それは、俺が放つ殺気とやらに対してなのか、それとも俺自身に対してなのかはわからない。
急に、そんな自分が情けなくなった。
◆
【勇者スキル解放まで、残り二十時間】
残金、三百ゴールド。
この日の夜。
宿屋に泊まる金など当然ない俺たちは、街道から少し外れた所にある森で、焚き火に身を寄せていた。
意識は朦朧としている。それに、腹も減った。
焚き火の炎は、なぜか大袈裟に揺らいで見える。
ああ、なんかもうどうでもいいや。
「勇者様は……」
突然、わかばが口を開いた。
「ん?」
「勇者様は、元の世界に戻ったら、最初に何をするんですか?」
「なにって、そりゃあ、タバコ吸う以外にねーだろ」
「ふふっ、そうでしたね」
それから、少し俯いた。焚き火が作る影のせいか、その顔は暗く見える。
「ごめんなさい。私、勇者様がこんなにも苦しんでるなんて知らずに……」
そして、隣に置いた鞄の中に手を入れて、銀紙に包まれた何かを取り出す。
「好きな物を我慢するって、こんなにもしんどいんですね」
「お前、これって……」
差し出されたのは、甘い香りのする焼き菓子だった。
「これ、食べてください! 私は我慢するって決めてるんで」
さっき隠したのは、これだったのか。
「いや、わかばが食べろ」
「えっ? で、でも」
「俺、甘い物嫌いなんだわ」
「そ、そうなんですか! でも私、我慢するって約束……」
「ほれ、口開けろ」
「え、あ、はい」
俺は銀紙から取り出した菓子を、そのままわかばの口に放り込んだ。
わかばは申し訳なさそうに、それを噛み締める。
「気にすんな! 禁煙でもな、一本くらいならノーカンなんだ」
「の、のーかん?」
焼き菓子を頬張るわかばの顔は、俺がこの世界へ来てから見た中で、一番輝いていた。




