三本目 気にするな。ただのヤニ切れだ。
【勇者スキル解放まで、残り三十時間十五分】
禁煙開始から、十九時間。
わかばの家を出た俺たちは、装備を整えるために街を目指していた。
いくら勇者の力があるとはいえ、素手と普段着で魔王に挑むわけにはいかない。もっとも、その勇者の力は現在、ヤニによって封印されているのだが。
「勇者様! 見えてきました! あれが、この辺りで一番大きな街——セブンスターです!」
「セブンスター……?」
どこか肺がうずく名前だ。
視線の先に、石造りの城壁に囲まれた大きな街が見えた。
「さあ、急ぎましょう!」
「お、おい。ちょっと待て。息が……」
そんな俺の死にかけた肺などお構いなしに、わかばは軽快な足取りで街へ駆けていく。
どうにか城門まで辿り着き、門をくぐる。その先に広がっていたのは、まさに「ザ・ファンタジー」と呼ぶべき光景だった。
石畳の大通り。立ち並ぶ露店。無駄に派手で、使いにくそうな剣を腰に下げた冒険者らしき男たち。
荷車を引く、某RPGでしか見たこともない鳥のような生き物。香辛料や焼いた肉の匂いが、街中に漂っている。
「すげえ……」
俺は一瞬だけヤニ切れを忘れ、その景色に見入った。異世界も、案外悪くないかもしれない。
その時、俺の目にとある露店が映った。
「あ、あそこなら!」
俺は急ぎ足でその露店に向かう。
「いらっしゃい! 道具屋です。お客さん何かお探しですか?」
店主は満面の笑みで俺を迎える。
「おい、タバコ売ってるか?」
「は? たばこ?」
「そうだよ! タバコ! 葉っぱだよ!」
店主は困ったように、店の奥へ向かった。
それから、奥にあった木箱を覗き込む。
「葉っぱというと、薬草と、どくけし草ならありますが……」
「ちっ。つかえねー店だな」
「な、何ですかその言い草は!」
その時、遠くから俺を呼ぶ声が聞こえた。
「勇者様! 何やってるんですか! 武器屋はこっちですよー!」
わかばが、遠くから大きく手を振っている。
「探すのは、後にするか」
もう少し街を見て回りたい気持ちを抑え、俺は彼女のもとへ向かった。
「そういえば、勇者様」
「なんだ?」
「勇者様がずっと言っている、たばことはどんなものなんですか?」
「昨日も言っただろ。葉っぱに火をつけて、その煙を吸うんだよ」
「煙を吸う……」
わかばは難しそうな顔をしながら、俺の隣を歩く。
「その煙を吸うと、どうなるんですか?」
「気分がスッキリして、嫌なことも忘れられる」
「そ、それって大丈夫なものなんですか!?」
「一応、合法だからな」
「ごうほう……」
意味も分かっていないくせに、わかばは小さく頷いた。
「では、私もいつか吸ってみたいです!」
「いや、やめといた方がいいよ」
「えっ?」
わかばが意外そうに俺を見上げる。
「勇者様は、あんなに吸いたがっているのに?」
「俺はいいんだよ」
「どうして私は駄目なんですか?」
「なんでもだ」
「教えてくださいよー!」
「うるせえな。知らないなら、知らないままでいいんだよ」
俺は、まだ微かに震えている自分の指先を見た。
「変な勇者様です」
「ほっとけ」
わかばは少し不満そうに頬を膨らませたあと、再び前を向いた。
「それで、そのたばこを我慢するのってそんなにも大変なことなんですか?」
「ああっ?」
「ひっ、ご、ごめんなさい!」
わかばはぺこぺこと頭を下げる。
「お前、好きなものとかあるの?」
「えっ?」
わかばは人差し指を唇に添えて、何かを考えていた。
「甘いものとか、ですかね」
「じゃあそれを、魔王を倒すまで我慢できるか?」
「はい。余裕だと思います!」
「ちっ」
「な、なんで舌打ちするんですか!」
「じゃあ、お前、喉乾いたら水欲しくなるだろ」
「そ、それは、はい」
「それを我慢するのと同じくらいだ」
「そ、そんなにもですか!?」
それから、「うーん」と声を漏らしながら考え込む。
「じゃあ、私。魔王を倒すまで水を我慢します!」
「いや、それはやめとけ死ぬから」
「じ、じゃあせめて、甘いものを我慢します」
「いや、別にいいよ」
「勇者様にだけ、好きなものを我慢させるなんてできません。私も一緒に頑張ります!」
「まあ、好きにすれば」
そんなくだらない話をしているうちに、一軒の店が見えてきた。
「着きました! ここが武器屋です!」
その声に顔を上げる。目の前には、剣が描かれた大きな看板が掲げられていた。
「さあ、行くか!」
「はい!」
俺たちは並んで、武器屋の扉をくぐった。店の中には、鉄製と思われる剣や槍が所狭しと並べられている。
「勇者様! どれにしましょうか?」
「なんでもいいだろ」
俺は手近なところに並べられた、鈍い銀色に光る剣を手に取った。それから、奥にいる店主らしき男性のもとへ向かう。
「すんませーん。これください」
「はい。一万五千ゴールドです」
「わかば! 俺、金持ってないから会計よろしく」
けれど、わかばの返事はない。
「おい、どうしたんだ?」
「高いです!」
わかばは、ぷんすかと顔を赤くして店主のもとへ詰め寄る。
「前に来た時の十倍はします!」
「お前、今いくら持ってるの?」
「千五百ゴールド。私の全財産です!」
店主は「ふっ」と鼻で笑う。
「それじゃあ、ひのきの棒も買えませんよ」
「ぐ、ぐぬぬ〜」
わかばが拳を握りしめるのが見えた。
「マジか! ここ、ぼったくり店か!」
店主はニヤリと笑った。
「ぼったくりとは、ひどい言いようですね」
「何か、理由があるのか?」
「ええ、実は今、鉄が手に入らないのです」
「鉄が?」
「鉄が採れる北の鉱山から続く街道を、魔王軍が封鎖しているんです」
「他に道はないのか?」
「ええ、道はその一つだけです」
唯一の仕入れルートを封鎖。どこかで聞いた話だな。
「だから、どこの武器屋に行っても、値段は変わりませんよ」
そう言って、困ったような顔で腕を組んだ。
「でも、その話ならひのきの棒は関係なくない?」
店主の顔がみるみる青ざめていく。
「い、いや。それは……」
便乗値上げ。どこの世界でも商人の考えることは同じか。
「とにかく! 武器が欲しければ、ちゃんとお金を持ってきてください!」
わかばは唇を噛んで、握った拳を震わせていた。まあ、最悪武器無しでもいけるか。
いや。
「じゃあさ」
「はい? なんでしょう。値引きはできませんよ?」
「俺が、その魔王軍をやっつけたら、適正価格で売ってくれるか?」
一瞬、店内を沈黙が覆った。それから、店主は大きな声でゲラゲラと笑い始める。
「お客さんが、魔王軍を? ハハッ!」
わかばがムスッとした顔で店主を睨みつける。
「そんなことができたなら、適正価格どころか、お好きな剣をタダであげますよ」
わかばが店主に向かって顔を突き出す。
「このお方は、異世界より参られた、伝説の勇者様なんですよ!」
おい。いらんこと言うなや。
「はへ? ゆうしゃ?」
店主はポカンとした顔で俺を見つめた。それから、またあのうるさい笑いが店内に響いた。
「も〜! なんでわかってくれないんですか!」
わかばは、何度も店の床を踏み鳴らした。
いや、そりゃそうだ。
実際、今の俺はただのヤニカスなんだから。
「約束だぞ……剣のこと」
「へ?」
店主は不思議そうに首を傾げる。俺は、わかばの腕を掴んだ。
「ゆ、勇者様!?」
そして、そのまま店の出口に向かう。
「お客さん! まさか、本気ですか?」
「ああ」
俺は振り返らずに答える。
「で、ですが……手、めちゃくちゃ震えてますよ?」
「気にするな。ただのヤニ切れだ」
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