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三十本目 わかば

「勇者を召喚したのは貴様か?」

「……はい」

 わかばは警戒を解かないまま答えた。


「そうか」

「どうして私を……? 私の力を欲しがっていたんですよね?」


「召喚適性者は希少だからな」


「だから、生け捕りにしようとした?」

 俺が聞く。


「ああ」

「もし俺が煙草を持ってなかったら?」

「もう一度、その娘に召喚させる」

「煙草を持った奴が来るまで?」

「無論だ」


 その瞬間、わかばの表情が強張った。


「……そんなことのために」

 魔王を睨みつける。


「私を捕まえようとしていたんですか?」

「ああ。それが我の計画だからな」

 魔王は悪びれる様子すらない。


 わかばの手が、ぎゅっと杖を握り締める。


 俺は半歩前へ出た。これで、わかばが狙われていた理由まで分かった。


 俺が煙草を持っていなければ、こいつは何度でもわかばに勇者を召喚させるつもりだった。


 魔王は、わかばの睨みなど意にも介さず、改めてその顔を見つめた。


「小娘、貴様の名は?」

「……わかばです」

「……」


 一瞬。

 魔王が口を閉ざす。


「父親は?」

「……どうして、そんなことを聞くんですか?」

 わかばの声が固くなる。


「答えろ。父親の名はなんという?」


 空気が変わった。わかばは警戒したまま、しばらく魔王を見つめる。


 やがて。


「……レオンです」

 その一言に、魔王の顔から、完全に笑みが消えた。


「そうか」

「え?」

 魔王は目を細める。

 まるで三十年前の何かを見ているように。


「やはり――」

 低く呟いた。


「あの小僧の娘か」

「……!」


 わかばが一歩前へ出た。


「お父さんを知ってるんですか!?」

「ああ」


 魔王は短く答える。


「その目……あの小僧にそっくりだ」

「……」


「三十年前。我を召喚したのは、貴様の父、レオンだ」

「……」


 わかばの唇が震えた。


「本当に……」

「あの頃は十五歳だった」

 オルディスから聞いた話と同じだ。


 三十年前。

 十五歳だったレオンが勇者を召喚した。


 そして、その勇者は魔界へ向かったまま帰ってこなかった。


「お父さん……」


 わかばが俯く。


「ずっと、自分のせいだって思ってたんです」

「……」


「自分が勇者様を召喚したから、その人が死んだって。だから、もう二度と召喚術を使わなくなったって……」


 魔王は、しばらく何も言わなかった。

 やがて、ぽつりと呟く。


「馬鹿な奴だ」

「……」


「我はこうして生きておる」

「魔王になってるけどな」

「黙れ」


 いや、結構大事だろ。


 それでも。

 これで、わかばの父親がずっと抱えていたものにも、ようやく答えが出た。


 勇者は、死んでいなかった。


「そういえば」

 魔王が改めてわかばを見る。


「その名」

「え?」

「わかば、と言ったな?」


 魔王の口元が、ほんの少し緩んだ。


「本当につけたのか……」

「……どういうことですか?」


 わかばが首を傾げる。


「三十年前、我はレオンに煙草の話をよくした」

「お前、十五歳相手に何話してんだよ」


「吸わせてはおらん! 第一、煙草など持っておらんかったからな!」


「ならいいけど」

「話の腰を折るな!」

 魔王が一度咳払いする。


「その中に、『わかば』という煙草があった」

「……私と同じ名前の?」


 わかばが目を丸くした。


「そうだ。我が金欠時代に吸っていた、どうしようもなく不味い煙草だ」


「お前、それ本人の前で言う必要ある?」

「煙草の話だ!」

「分かってるよ」


 魔王は面倒そうに俺を睨んでから、再びわかばを見る。


「あやつは、その名を妙に気に入っておった」

「お父さんが?」

「ああ」


 どこか懐かしそうに、魔王が目を細める。


「『わかば、か。綺麗な名前だな』とな」

「……!」


 わかばの目が大きくなる。


「お父さんが……」


 わかばは、自分の名前を確かめるように小さく呟いた。


「わかば……」


 やがて、その顔にゆっくりと笑みが浮かぶ。


「私、この名前……ずっと好きなんです」

「そうか」

「お父さんがつけてくれた、大切な名前だから」


 魔王は一瞬だけ黙り、それから僅かに笑った。


「なら、あやつも喜ぶだろう」

 わかばが嬉しそうに頷く。


 俺も、なんとなく笑った。


 元を辿れば煙草の名前だ。


 でも、レオンはその響きを綺麗だと思って、大切な娘につけた。だったら、それでいいんだろう。


「レオンは」


 不意に、魔王が聞いた。


「今、どこにいる?」

「……」


 わかばの笑顔が消えた。


「お父さんは……もう、いません」

「……」

「お母さんも」


 魔王の目が、僅かに見開かれる。


「魔王軍から、ナスをもっと作るように言われて……ずっと働いて」


 わかばは俯いたまま、ぎゅっと拳を握った。


「二人とも、死にました」

 玉座の間が静まり返る。


 さっきまであれだけうるさかった魔王も、何も言わなかった。


 しばらくして。


「……そうか」

 低い声で、それだけ呟く。


「おい」

 俺は魔王を見る。


「さっき言ったよな。人間を殺しはしないって」

「ああ」

「じゃあ、これはなんだよ」


 俺は、わかばの隣へ立った。


「直接手を下してなかったら、殺したことにならねえのか?」

「……」


 魔王は答えない。


「俺たちはな、ここに来るまで、いろんな奴を見てきた」


 村を追い出された奴。

 家を壊され、そこを畑にされた奴。

 魔王軍の命令に従うしかなかった奴。


 そして。


「わかばの両親も」


 俺は魔王を真っ直ぐ見据える。


「全部、お前が煙草を吸いたかったからだろ」

「……」


 長い沈黙のあと。

 魔王が低い声を絞り出した。


「三十年だ」

「あ?」

「貴様に分かるか?」


 魔王の握った拳に力が入る。


「帰ることもできず、煙草一本すら手に入らず。三十年だ」


「……」


 分からない。

 俺だって禁煙で散々苦しんだ。

 けど、だからって。


「お前、今、赤マルいくらするか知ってる?」

「……何?」

「値段だよ」

「二百四十円だろうが」

「今は、増税に増税を重ねて六百二十円だ」

「……」


 魔王が固まった。


「なんだと?」

「そうだ。六百二十円」

「……一箱が?」

「当たり前だろ」


 めちゃくちゃショック受けてる。


「それに今は、喫茶店はおろか、居酒屋でも煙草吸えねえぞ」


「……」

「喫煙所もどんどん減ってる」

「……嘘だ」

「全部、本当だよ」

「そんな馬鹿な……」


 魔王が本気で愕然としている。

 さっきまでの重い空気が、一瞬だけどこかへ吹き飛んだ。


 でも。

 笑って終わらせる話じゃない。


「だから、分かるだろ」

「……何がだ」


 俺は一歩前へ出る。


「権力者に搾取される苦しみも、理不尽に憩いの場を奪われる苦しみも」


 魔王を睨みつける。


「それを一番知ってるのは、俺たち愛煙家《ヤニカス》のはずだろ!」

「……」


「なのに、お前は同じことを他人にやった」


 わかばの両親は、もう帰ってこない。


 奪われたものだって、全部が元通りになるわけじゃない。


「どれだけ煙草が吸いたかったとしても、関係ねえ」


 魔王の目が細くなる。


「お前は、ヤニカスの風上にも置けない」

 俺は一度、大きく息を吸った。


「ただのカスだ!」


 その瞬間。

 魔王の周囲で、空気が震えた。


「……貴様」


 凄まじい魔力が膨れ上がり、玉座の間全体が軋む。


「言わせておけば……!」

 床が震える。


 魔王の身体から溢れ出した殺気が、肌に突き刺さる。


「勇者様!」

 わかばが俺の腕を掴んだ。


「大丈夫だ」

 その手をそっと外し、一歩前へ出る。


「下がってろ」

「……はい」


 魔王がゆっくりと杖を握る。

 俺も拳を握った。


 どうやら。

 話し合いは、ここまでらしい。

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