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二十九本目 消えた勇者たち

「……」

「……」


 しばし、玉座の間に妙な沈黙が落ちた。


「へ? 勇者様?」

 わかばが、呆けた声を漏らす。


 魔王はしばらく俺を睨みつけていたが、やがて苛立たしげに舌打ちした。


「貴様、持って来ていないのか?」

「お前こそ持ってねえの?」

「ちっ。使えん勇者め」

「こっちのセリフだ、クソ魔王」


 また沈黙が落ちる。


「……まあ、冗談だ。俺は今、禁煙中だからな!」


「な、なんだと……」

 魔王が明らかにうろたえた。その隙に、わかばが俺の隣へ進み出る。


「あ、悪しき魔王め! ここで決着をつけてやる!」


 声はわずかに震えていた。

 それでも杖を握る手に力を込め、魔王を真っ直ぐ睨んでいる。


「ふっ。貴様のような小娘に何ができる? 声が震えておるではないか」


「そ、それは……」

 俺はわかばを庇うように一歩前へ出た。


「下がってろ」

「……はい」

 わかばが俺の背後へ下がる。


 魔王はそんな俺たちを見て、つまらなそうに鼻を鳴らした。


「煙草を持っていないなら、貴様も用済みだ。さっさと我の前から消え失せろ」


「あ?」

 魔王が杖を掲げる。

 先端に、目が眩むほどの白い光が集まっていく。


「っ!」


 何の魔法かは分からない。

 だが、あれは受けたらまずい。


「くっそ!」

 俺はわかばを抱え、床を蹴った。


 直後。俺たちがいた場所を、白い光が貫く。


「きゃっ!」


 そのまま壁際へ着地する。


「大丈夫か!?」

「は、はい!」


 すぐに、さっきまで立っていた場所を振り返る。


「……あれ?」


 床は無傷だった。

 焦げ跡どころか、傷一つない。


「貴様、なぜ避けた?」

 魔王が不思議そうに首を傾げる。


「いや、あんなヤバそうなの普通避けるだろ」


 魔王の眉がぴくりと動いた。

「……それもそうか」

「納得すんな!」


 なんなんだ、こいつ。


「だが、受けていれば、貴様もこれまでの勇者どもと同じく元の世界へ戻れたというものを」


「……は?」


 俺もわかばも固まった。


「今……なんつった?」

「聞こえなかったか?」


「五年前と三年前の勇者は、お前が殺したんじゃないのか?」


「殺す?」

 魔王が眉をひそめる。


「我は人間を殺しはせぬ。あやつらは元の世界へ送り返した」


「……」


人殺しはしない……だと。

でも、こいつは——


「勇者様は二人とも……生きているんですか?」

 背後から、わかばの声が聞こえた。


「ああ」

 魔王は当然のように答える。


「どうやって?」

「今、貴様へ使ったものだ」


 魔王が杖を軽く持ち上げた。


「我の力は、自分以外の対象を異世界へ飛ばすものだ」


「あれ、攻撃じゃなかったのかよ」

「そう言っておる」

「見た目なんとかしろよ!」

「知らん!」


「我はただ——」

 魔王は玉座へ腰を下ろした。


「煙草が欲しかっただけだ」

「……」


 やっぱり。ここまで来れば、答えは一つしかない。


「おい、魔王」


 俺は魔王を真っ直ぐ見た。


「いや——元勇者、と呼んだほうがいいか?」


 魔王の目が細くなる。


「ほう。なぜそう思う?」

「考えりゃ分かる」


 俺は小さく息を吐いた。


「煙草のない世界で、煙草を知ってる。街の名前まで煙草の銘柄に変えてる。それに、あの赤マルみてえな紋章」


 魔王の眉が、ぴくりと動く。


「三十年前に消えた勇者がいて、今ここに、日本の煙草を知ってる魔王がいる」


 俺は魔王を指差した。


「お前しかいねえだろ」

 魔王は何も答えない。


「それに——マイルドセブン」

「ん?」

「今はメビウスって名前だ」

「何を……言っておる?」

「お前の煙草知識は、三十年前で止まってる」


 沈黙。


 やがて、魔王の口元がゆっくりと吊り上がった。


「なかなか頭が回るではないか」

「……当たりか」

「ああ」


「魔王が……三十年前の勇者様……?」

 わかばが呆然と魔王を見る。


「そうだ」

 魔王はあっさり答えた。


「そんな……」

 わかばは、それ以上の言葉を失った。


 三十年前。この世界を救うために召喚された、伝説の勇者。


 それが今——俺たちの目の前で、魔王として玉座に座っている。


 わかばは完全に混乱しているようだった。


 だが俺には、もう一つ気になっていることがあった。


「あの旗。お前、赤マル好きだったんだろ?」

「……貴様もか?」

「ああ」

「何ミリだ?」

「あ?」

「タールだ」

「八ミリ」


 その瞬間。


「ぐわっはっははははっ!」

 魔王が腹を抱えて笑い出した。


「なんだよ!」

「八ミリだと!? クソガキめ! そんなものを吸うくらいなら、飴玉でもしゃぶっておれ!」


「てめえ……タールでマウント取るとか、どっちがクソガキだよ!」


 俺が拳を握りしめた、その時。


「勇者様」

 背後から、妙に低い声が飛んできた。


「……なんだよ」

「あいつは魔王ですよ?」

「分かってるよ!」

「でしたら、あまり楽しそうにお話ししないでください」

「楽しんでねえよ!」


 俺は咳払いした。


「で、三十年前。お前は魔王を倒しに来たんだろ?」


「ああ」

「だったら、なんでお前が魔王になってんだよ」

 魔王の笑みが消える。


 しばらく黙ったあと、杖を指先で弄びながら口を開いた。


「三十年前。我も貴様と同じように、この城まで辿り着いた。当時はまだ、先代の魔王がいたからな」


「それで、そいつを倒した?」

「いや。我の力で、別の世界へ飛ばした」

「……は?」

「消えたのだから、倒したも同然だと思ってな」

「雑すぎるだろ」

「当時は、それで十分だと思ったのだ!」


 魔王が苛立たしげに吐き捨てる。


「だが、いくら待っても我は元の世界へ戻らなかった」


「……」


「自分を元の世界へ飛ばすことは?」


「そんなことができたら、とっくにしておるわ!」


「詰んでるじゃねえか」

「言うな!」

 魔王が顔をしかめる。


「それから二十数年ほど、我は魔界を彷徨った。煙草を探してな」


「二十数年!?」


 冗談だろ。一本の煙草を求めて、そんな年月を。


「最初は、どこかにあると思っていた。ありとあらゆる場所を探した。だが——一本も見つからなかった」


 魔王の声が低くなる。


「……」

 その絶望は、少しだけ分かる気がする。


 いや。

 分かりたくもないけど。


「そこで悟った。我一人で探し続けても、見つからんとな」


 魔王が玉座の肘掛けへ手を置く。俺は、その玉座を見た。


「……それで魔王になったのか?」


「ああ。魔物どもを従えれば、我一人で探す必要はないからな」


「煙草を探すために魔王になったのかよ……」

 規模がでかすぎる。


「それだけではない」

「あ?」

 魔王の口元が、わずかに歪む。


「魔王が存在すれば、いずれ人間どもは勇者を求める。そして勇者は、異世界より召喚される」


「まさか、お前——」


 そこで。

 ようやく分かった。


「次の勇者が煙草を持ってくるのを待ってたのか?」


「そういうことだ」

「……頭おかしいだろ」


「三十年、本物の煙草を吸えなければ、貴様も分かる!」


「分かりたくねえよ!」

 俺は手にしていた本を掲げた。


「それで、これか」

「ああ」

 魔王の視線が本へ向く。


「魔王軍に持たせてたのも?」


「我の命令だ。煙草を持った異世界人を呼ぶためにな」


「……やっぱりか」


「でも、異世界人なら誰でもいいわけじゃないだろ?」


「当然だ。術式には我が手を加え、召喚される者を絞った」


「……何した」

 魔王は平然と言った。


「異世界に存在する者のうち、体内に一定量以上のニコチンを含む者が召喚対象となるようにな」


「……」


 俺は自分を指差す。


「じゃあ、俺」


「ああ。貴様は我と同類《ヤニカス》だから選ばれたのだ」


「勇者の選定基準それかよ!」


 なんだよ。

 もう少し、こう。

 運命とか素質とかねえのか。


「じゃあ……五年前と三年前の勇者も?」

「……」


 魔王の顔が露骨に不機嫌になる。


「一人目は、煙草の味も分からんくせに粋がって吸っておった未成年のクソガキだった」


「あっ」

 オルディスが言っていた、勇敢な少年。


「『バレたらまずいから、今は持ってない』だと? ふざけるな! それなら初めから吸うなというものだ!」


「いや、それはお前が正しいわ」

「だろう!」


「勇者様」

 また背後から声が飛んでくる。


「なんだよ」

「そこ、同意するところですか?」

「未成年の喫煙はダメだろ!」

「いや、よく分かりません!」


 魔王が鼻を鳴らした。


「二人目は、すでに禁煙したとホラを吹く中年だ。あやつ、口からヤニの臭いをぷんぷん漂わせおって」


「……」


「おまけに『妻には黙っててください』だと! 貴様の妻など知るか!」


 落ち着いた経験豊富な勇者って、ただの隠れ喫煙のおっさんだったのかよ。


「で、二人とも煙草持ってなかったから帰したのか?」 


「ああ」

 あっさりした答えだった。


「……よかった」


 わかばが、小さく息を吐いた。けれど、すぐに魔王を見据える。


「でも、そのお二人を召喚したのは、誰だったんですか?」


「知らん。我がしたのは、本を各地へばら撒いたことだけだ。誰が拾い、誰が術を使ったかまでは把握しておらん」


「……そうですか」


 結局。五年前と三年前の勇者を誰が召喚したのか。それだけは、今も分からない。


「じゃあ、こいつがこの本を拾ったのも?」


「偶然ではない。人間の目につく場所へ、各地で落とさせた。あとは召喚適性を持つ者が拾うのを待つだけだ」


「なるほどな……」


 わかばが黙って本を見る。その表情は険しかった。


「で」


 俺は最後のページを開いた。


「この最後のページ、書いたのもお前?」

 魔王が少しだけ誇らしげな顔をする。


「我だ」

「やっぱお前かよ!」


 それに。


「生きたまま別の世界に飛ばされてんだから、転生じゃなくて転移だろ」


「細かい男だ」


「こっちは最初からずっと引っかかってたんだよ!」


「勇者様」

「……今度はなんだよ」

「それ、今そんなに大事ですか?」

「俺には大事だったんだよ!」


 わかばは呆れたような顔をした。


「……ところで」

 不意に、魔王の視線が俺から外れた。


「そこの小娘」

 わかばがわずかに身構える。


「……私ですか?」

「ああ」


 魔王が、わかばをじっと見つめる。

「勇者を召喚したのは、本当に貴様か?」

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