二十八本目 異世界転生の術
「ど、どうするんですか!?」
わかばが、不安そうに俺を見上げる。
「どうするって……」
俺はもう一度、ステータスを確認した。
【攻撃力:12】
【防御力:8】
【素早さ:5】
【魔 力:3】
何度見ても弱い。
ついさっきまで全部カンストしていたのに、今の俺は最初にこの世界へ来た時と大して変わらない。
「……とりあえず、煙から離れるぞ」
「はい!」
俺たちは工場から距離を取り、煙の流れてこない場所まで移動した。
以前ナスやトマトを食べた時と同じなら、ロックされる時間はそう長くないはずだ。
「このまま待ってれば戻りそうだ」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ」
「よかったぁ……」
わかばが大きく息を吐く。
「じゃあ、ここで待ちましょう」
「……」
「勇者様?」
それが一番安全だ。
なのに——
どうしてもあの工場が気になった。
俺はポケットから方位磁針を取り出す。針は変わらず、工場の向こうを指していた。
「……魔王も、この先なんだよな」
「そのようですね」
だったら、嫌でもあの辺りは通ることになる。
「待ってる間に、ちょっとだけ見てみるか」
「えっ!?」
わかばが目を見開いた。
「今の勇者様、すっごく弱いんですよ!?」
「知ってるよ!」
「本当に分かってます!?」
「分かってる!」
「スライムにも——」
「それ以上言うな!」
ったく。
「中には入らねえよ。煙の来ない方から、外だけ見る」
「……本当に、それだけですよ?」
「ああ」
「危なくなったら、すぐ逃げますよ?」
「分かってるって」
「勇者様、すぐ無茶しますから」
「お前にだけは言われたくねえよ」
こんな場所まで来て、なんで俺たちはいつも通りなんだよ。でも、その方が少しだけ気が楽だった。
それから俺たちは、煙を避けるように大きく迂回し、工場へ近づいた。
近くで見ると、思っていた以上にデカい。
一つの建物というより、いくつもの施設が繋がっているらしい。その周囲では、何匹もの魔物が忙しそうに働いていた。
畑から野菜を運ぶ奴。
木箱を積み上げる奴。
巨大な釜をかき回している奴。
「この光景……見覚えあるな」
「はい」
セブンスターの北にあった、あの施設だ。
規模はまるで違うが、やっていることはよく似ている。
俺たちは物陰に身を隠し、しばらく様子を窺った。そんな工場の脇には、茶色く乾いた大量の葉が並べられている。
「あれ……」
わかばが小さな声を上げた。
「勇者様。前に見た葉っぱに似てませんか?」
「ああ」
魔王軍の荷車に大量に積まれていた、ナスの葉。その向こうには巨大な釜が並び、何本もの管が伸びている。
木製の樽。
中心にシミのできた大きな布。
乾燥させた葉。
そして、細かく刻まれた何か。
俺はしばらく眺めてから、口を開いた。
「……これ」
「はい?」
「料理じゃねえだろ」
「え?」
今更だが、そりゃそうだ。
ナスやトマト、ジャガイモには微量ながらニコチンが含まれている。
実際、俺の勇者スキルは食べただけでロックされた。そして、あの煙。
「魔王の奴……」
俺は工場を見上げる。
「タバコに近い何かを作ろうとしてんじゃねえか?」
「……」
わかばも、今度は笑わなかった。
ここまで揃えば、さすがに俺の妄想だけじゃない。
その時だった。
「あっ」
わかばが前方を指差す。
「勇者様、あれ」
「ん?」
一台の荷車が、工場の脇を通っていく。
溢れんばかりに積まれているのは、野菜でも葉っぱでもなかった。
「……本?」
どれも分厚く、同じような装丁をしている。
突然、ガタンと荷車が揺れた。
一冊の本が荷台から滑り落ち、地面へ転がる。
けれど、荷車を引いていた魔物は気づかず、そのまま工場の奥へ消えていった。
俺とわかばは顔を見合わせる。
「……見るか」
「はい」
周囲を確認してから、落ちた本へ近づく。
先に気づいたのは、わかばだった。
「勇者様……」
「ああ」
分厚い表紙。
古びた装丁。
この本、俺にも見覚えがある。
「これって、お前の家にあった本と同じだよな?」
「はい。まったく同じものです」
俺をこの世界へ呼び出した、あの本。それと同じものが、魔界に何冊もある。
「……なんなんだよ、これ」
俺は本を拾い上げ、ページをめくった。
中には、俺には意味の分からない文字がびっしりと並んでいる。
「よくこんなの読んだな、お前」
「が、頑張ったんですよ!」
見ているだけで頭が痛くなりそうだ。
さらにページをめくっていると、わかばが声を上げた。
「あっ」
「どうした?」
「ここが、最後のページです」
「あ?」
そこだけ、明らかに雰囲気が違っていた。それまでの細かな文字とは違い、誰かが後から書き足したような文章が並んでいる。
「これも読めるか?」
「もちろんです!」
わかばが本を覗き込む。
「ええっと……『この本を読んだ者へ。色々と小難しいことが書いてあるが、仕組みを全て理解する必要はない』」
「……」
「『要するに、この本に書いてあることは、異世界より勇者をこの世界——ニコティアへ召喚するための術だ』」
まあ、それは知ってる。実際、その術で俺はここへ呼び出されたんだから。
「続きは?」
「はい」
わかばが、その下へ目を移す。
「『私はこの術を——異世界転生の術と名付ける』」
「……は?」
思わず、わかばを見る。
「なんですか?」
「今、なんつった?」
「異世界転生の術、ですけど」
「……」
この世界へ来た直後。
こいつ、なんて言った?
——これは、いわゆる異世界転生ってやつですよ!
「お前」
「はい?」
「異世界転生って言葉、この本で知ったの?」
「え? はい」
「……」
「なんですか、その顔!」
ずっと、こいつが転生と転移の違いを分かってないだけだと思ってた。
でも、間違えていたのは、わかばじゃない。
最初から、この本にそう書いてあったってことか。
「……まあいい。続き」
「なんですか、気になります!」
「あとでいいから」
「むぅ……」
わかばは不満そうな顔をしながら、再び本へ目を戻した。
「『召喚された勇者には、とんでもない力が与えられる』」
「……」
「『たいていの問題は力でなんとかなるはずだ』」
待て。
嫌な予感がする。
「『力こそパワーだ!』」
「……」
「……」
俺はわかばを見る。
わかばはそっと目を逸らした。
「お前……あれもこの本かよ」
「い、いい言葉だと思ったんです!」
「どこがだよ!」
「実際、勇者様は強くなったじゃないですか!」
「そういう問題じゃねえ!」
こいつ、やけに妙な言葉を使うなと思ってたら、ここから仕入れてたのかよ。
「でも……」
わかばが、もう一度最後のページを見る。
「ここだけ、明らかに別の人が書いています」
「ああ、そうみたいだな」
俺も改めて文章を見る。
異世界転生。
力こそパワー。
この世界の人間が、偶然こんな言葉を書くか?
「……やっぱり」
「勇者様?」
「これ書いた奴」
俺は最後のページを見つめる。
「俺の世界のこと知ってるだろ」
その時だった。
「お待ちしておりました。勇者様」
「っ!?」
突然、背後から低い声がした。
振り返ると、いつの間にか数匹の魔物が立っている。
「ゆ、勇者様!」
わかばが俺の腕にしがみつく。
まずい。
今の俺は勇者スキルが使えない。
反射的に身構えた。
けれど、魔物たちは襲ってこなかった。
それどころか、先頭の一匹が俺たちへ向かって深々と頭を下げる。
「魔王様がお待ちです」
「……は?」
「こちらへ」
魔物が工場の奥へ続く道を示す。
「いや、ちょっと待て」
「なんでしょう?」
「俺、魔王倒しに来たんだけど」
「存じております」
「お前ら、魔王軍だよな?」
「はい」
「じゃあなんで案内すんだよ」
「魔王様のご命令ですので」
「……」
マジでなんなんだよ。
「勇者様……」
わかばが不安そうに俺を見る。
俺は方位磁針を取り出した。針は、魔物たちが示した方向を真っ直ぐ指している。
「……行くぞ」
「いいんですか?」
「そのためにここまで来たんだろ」
「……はい」
俺は拾った本を持ったまま、魔物たちの後をついていった。
歩いているうちに、いつの間にか鼻の奥に残っていた苦い煙の匂いも感じなくなっていた。
そして、しばらく進んだ頃。突然、目の前に文字が浮かぶ。
【勇者スキル:UNLOCKED】
「おっ」
急いでステータスを見る。
【攻撃力:999】
【防御力:999】
【素早さ:999】
【魔 力:999】
「ステータスが戻った」
「本当ですか!?」
「ああ」
心底ほっとした。
攻撃力十二で魔王に会うとか、ただの自殺だからな。
さらに進むと、やがて巨大な城が見えてきた。黒い石造りの壁に、空へ伸びる何本もの塔。
「……今度こそ、魔王城って感じだな」
「まだそんなこと言ってるんですか?」
「魔界が思ったより普通だったから」
「もういいですって」
魔物たちに連れられ、そのまま城の中へ入る。
すれ違う魔物は誰一人として襲ってこない。
それどころか、俺たちを見ると静かに道を開けていく。
俺は魔王を倒しに来た勇者のはずなのに、まるで最初から来ることを待たれていたみたいだ。
やがて、巨大な扉の前で案内役の魔物が止まった。
「この先です」
「……そうか」
隣を見る。
わかばの顔が強張っている。
「大丈夫か?」
「……はい」
全然大丈夫そうじゃない。
俺は少し迷ってから、そっとわかばの手を握った。
「勇者様?」
「行くぞ」
わかばは俺の手を見る。
それから、小さく頷いた。
「……はい」
ゆっくりと扉が開く。
その先には、広い玉座の間があった。
最奥の玉座に、一人の男が腰掛けている。
細身の身体。
青白く、頬のこけた顔。
片手には、身の丈ほどもある杖を持っている。
見た目だけなら、それほど恐ろしい男には見えない。
けれど。
その男から放たれているものを感じた瞬間、全身に緊張が走った。
凄まじい殺気。
勇者スキルを取り戻した今の俺でも、思わず身構えるほどの圧だった。
間違いない。
こいつが——魔王だ。
やがて、魔王がゆっくりと口を開く。
「よく来たな。待ちわびたぞ、勇者よ」
「ああ。待たせたな」
「ふん」
魔王は僅かに口元を歪めた。
「ところで勇者よ。貴様に一つ、確認したいことがある」
「奇遇だな」
「ん?」
「俺もだ」
俺と魔王は、互いの顔を見る。
そして、一瞬の静寂の後、ほとんど同時に口を開いた。
「お前、タバコ持ってる?」
「貴様、煙草持ってるか?」




