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二十七本目 魔界フィリップ・モリスへ

「それでは、魔界への門を開くといたしましょう」


「頼む」

 俺は静かに頷く。


 隣では、わかばがどこか緊張した面持ちで俺を見ていた。


「勇者様、いよいよですね」

「ああ。だが……」

「勇者様?」


 俺は、わかばを見る。

「わかば。お前はここに残れ」

「……え?」


 一瞬、何を言われたのか分からないような顔をする。


「魔界へは、俺一人で行く」

 わかばの表情が固まった。

「な、なんでですか!」


「当然だろ。ここから先は、今までとは違う」


 五年前と三年前。

 俺と同じように異世界から召喚され、チートまで持っていた勇者たち。


 その二人ですら、帰ってこなかった。

 俺なら絶対に大丈夫。なんて、もう簡単には言えない。


「お前までついてくる必要はねえよ」

「で、ですが……」

「大賢者さん」


 オルディスを見る。

「わかばを頼む」


「……」

 オルディスは何も答えなかった。

 ただ、静かに俺たちを見ている。


「嫌です」

 小さな声が聞こえた。


「は?」

「嫌です!」

 わかばが、俺を真っ直ぐに見つめる。


「私は知りたいんです! どうしてお父さんとお母さんが、あんな目に遭わなきゃいけなかったのか!」


「そ、それは……」

「それに……」

 わかばが一瞬、言葉を詰まらせる。


「三十年前の勇者様を召喚したのが、本当に私のお父さんだったのかも……ちゃんと知りたいんです」


「俺が調べてきてやるよ」

「嫌です」

「わかば!」

「魔王は、私の力を欲しがってるんですよね?」

「ああ。たぶんな」


「だったら、少なくとも私を殺すことはできないはずです!」


「でも、確証はないだろ」

「……」

「魔王が何考えてるのかなんて、まだ何も分かってねえんだぞ」


 わかばが唇を噛む。

「それでも……」


 微かに、声が震えた。

「これが、勇者様との最後の別れになるかもしれないんですよ?」


「お前、縁起でもねぇこと言うなよ」

「でも……そうかもしれないじゃないですか」

「……」

 わかばが俯く。

 握りしめた両手が、小さく震えていた。


「私には、もう勇者様お一人しか残っていないんです」


 その声は、今にも消えてしまいそうなくらい小さかった。


「だから……置いていかないでください」

「わかば……」


「それに」

 わかばが顔を上げる。

 その目には涙が滲んでいた。


「何があっても離れるなって言ったの、勇者様じゃないですか」


「……」

「私、ちゃんと覚えてます」

 そう言って、わかばは俺の服の裾をぎゅっと掴んだ。


「あれは……嘘だったんですか?」

「……卑怯だぞ、お前」

「ひっ……ぐすん。だ、だって……」


 そんな顔されたら、もう、何も言えねえだろ。


「……分かったよ」

「え?」

「一緒に行くぞ」


 わかばが、ぱっと顔を上げた。


「ほ、本当ですか!?」

「ああ。ただし——」


「素晴らしい!」

 突然、横から大声が飛んできた。


「ん?」

 思わず振り向く。

 オルディスが、なぜか感極まったような顔で俺たちを見つめていた。


「まさに——『愛』ですな」

「は?」


 何言ってんだ、この爺さん。


「互いを想い、命の危険を承知でなお共に進もうとする。その絆……実に素晴らしい」


「いや、別にそういうんじゃ——」

「私がこれまで見送った勇者様方にはなかったものです」


 オルディスは深く頷いた。


「その絆があれば、あるいは魔王をも——」

「お、おう……」


 なんか急に期待が重いぞ。

 すると、オルディスが僅かに笑った。


「無事にお戻りになられましたら、グランド・ルミアホテルの最上級スイートを予約しておきましょう」


「……ん?」


 なんで今ホテルの話が出てくる?

 嫌な予感がする。


「今度こそ、どうか勇気を振り絞り、漢を見せてくださいませ」


「は?」

 隣で、わかばの顔が一瞬で真っ赤になった。


「な、なんの話ですか!?」

「さて。なんのことでしょうな」


 この爺さん……。

 昨日のこと、絶対分かって言ってんだろ!


「ゆ、勇者様! それより!」

 わかばが慌てたように俺の服の裾を引っ張る。


「あ、ああ」


 ったく。

 最後の最後まで調子狂わせやがって。

 俺は一度息を吐いてから、改めてわかばを見る。


「じゃあ、わかば」

「はい!」

「何があっても俺から離れるなよ」


 わかばは一瞬だけ目を見開いた。

 それから——。

 今度は迷うことなく、強く頷いた。


「……はい! 勇者様!」

「よし」


 俺はオルディスへ向き直る。

「大賢者さん。頼む」

「承知いたしました」


 オルディスの表情から笑みが消える。

 それから、静かに杖を構えた。その瞬間、大聖殿の空気が変わった。


「それでは——」

 オルディスが杖を掲げる。

「魔界への門を、開きます」


 バチバチと、空気が裂けるような音が大聖殿に響き渡った。


「な、なんだ!?」


 俺たちの目の前で、空間がぐにゃりと歪む。

 やがて、その歪みは縦に大きく裂けていった。


「空間が……裂けてる?」

 隣で、わかばが息を呑む。


 裂け目の向こうには、ここではないどこかの景色が見えていた。


「この向こうが……魔界」

「ええ」


 オルディスが静かに頷く。


「門は開かれました。ここをくぐれば、魔界フィリップ・モリスへと辿り着きます」


「……」

 ついに。

 ここまで来たんだな。


 俺は目の前に開いた裂け目を見つめる。

 魔王。


 三十年前の勇者。

 五年前と三年前に消えた二人の勇者。

 そして、わかばの父親。


 この先へ行けば、今まで分からなかったことの答えも、きっと見つかる。


 一歩踏み出そうとした、その時。


「勇者様。これを」

「ん?」


 オルディスが、小さな道具を差し出した。

 丸い盤面の中央に、一本の針がついている。


「なんだこれ? 方位磁針?」


「その中には、魔王の邪気を探知する特殊な魔法石が組み込まれております」


「魔王の邪気?」


「はい。その針が指す方角へ進めば、魔王のもとへ辿り着けるでしょう」


「なるほど」


 こりゃ助かる。

 右も左も分からない魔界で、魔王を探して彷徨うところだった。


 俺はそれを受け取る。

「ありがとう」

「いえ」


 オルディスは静かに首を振った。

 隣を見る。

 わかばも、裂け目の向こうを真っ直ぐに見つめていた。


「行くぞ、わかば」

「はい!」


 俺たちは並んで、魔界への門へ近づいていく。

 あと一歩。


 ここを越えれば、魔界。

 俺は一度だけ振り返った。オルディスが、静かに俺たちを見送っている。


「じゃあな、大賢者さん」

「ええ」


 オルディスは、ゆっくりと頭を下げた。

「行ってらっしゃいませ。勇者様」

「ああ」


 前を向く。

 そして——。

 俺とわかばは、一緒に魔界への門をくぐった。


 一瞬、身体が、ふわりと宙に浮いたような感覚に襲われる。


「うおっ……」

 思わず目を閉じる。


 けれど、それもほんの一瞬だった。

 すぐに、足の裏へ固い地面の感触が戻ってくる。


「……着いたのか?」

 ゆっくりと目を開ける。


「ここが……魔界」

 隣で、わかばが小さく呟いた。


 俺も辺りを見回す。最初に目に入ったのは、空だった。


 薄暗い。

 夕暮れとも夜とも違う、紫がかった空がどこまでも広がっている。


 太陽らしきものは見当たらない。なのに、不思議と周囲を見渡せるくらいには明るかった。


 地面は黒っぽく乾き、遠くには黒い山のような影がいくつも連なっている。


「……」


 しばらく辺りを見回してから、ぽつりと呟く。

「思ってたより普通だな」

「普通……ですか?」


「いや、もっとこう……溶岩とか流れてるもんかと思ってた」


「なんでですか!?」

「魔界ってそういうもんだろ?」


「知りませんよ! 私だって初めて来たんですから!」


 そりゃそうか。

 俺だってゲームの中でしか来たことないしな。


 少しだけ肩の力が抜ける。


 とはいえ、ここが魔界であることに変わりはない。


 俺はポケットから、オルディスにもらった方位磁針を取り出した。中央の針が、小刻みに震えている。


「これが魔王のいる方角を指すんだったよな」

「そのはずです」


 やがて——。

 針が、ぴたりと一方向を指した。


「こっちか」

 俺は針の示す方向へ顔を向ける。


「行くぞ、わかば」

「はい!」


 それから、二人で歩き始めた。

 今のところ、魔物の姿はない。

 それどころか。

 妙に静かだった。


 風の音。

 俺たちが地面を踏む音。

 聞こえるのは、それくらい。


「……なんか不気味だな」

「そうですね……」


 わかばも、いつもより少しだけ俺の近くを歩いている。何度か方位磁針を確認しながら、そのまま進んでいく。


 しばらくして——。


「……ん?」

 前方に、何かが見えてきた。


「勇者様、あれ……」

「ああ」


 畑だ。

 それも、一つや二つじゃない。


 黒い大地を綺麗に区切るように、巨大な畑がいくつも並んでいる。


 その向こうにも。

 さらに、その向こうにも。

 見渡す限り、ずっと。


「すごい……」

 わかばが目を見開いた。


「魔界にも、こんな大きな畑があるんですね」

「ああ……」


 俺は畑へ近づく。

 そして。

 植えられている作物を見た瞬間、思わず足が止まった。


「……やっぱりか」

「え?」


 ナス。

 その隣には、トマト。

 さらに向こうには、ジャガイモ。

 全部、ナス科だった。


「勇者様?」

「ああ。いや……」


 予想はしていた。

 人間界でも、魔王軍はこいつらを異常なくらい集めていた。


 村人を追い出し。

 家まで壊して。

 わざわざ畑を作ってまで。


 しかも、ナスやトマト、ジャガイモには微量ながらニコチンが含まれている。


 実際、俺の勇者スキルは、こいつらを食っただけでロックされた。


 セブンスター。

 ラーク。

 マイルドセブン。

 そして——魔界フィリップ・モリス。


 ここまで揃っていて。

 魔王がタバコと無関係だなんて、もう思っていない。


 問題は——


「……何やってんだ、魔王のやつ」

「え?」

「いや」


 魔王が、タバコに関係する何かをしている。

 そこまでは、ほぼ間違いない。


 でも。

 なんのために。

 ここまで大量のナス科を育てているのか。

 そこが分からない。


「勇者様」

 わかばが前方を指差した。

「あそこに、大きな建物があります」

「……ああ」


 畑のさらに奥。

 巨大な建物が見えた。

 横に長い、無骨な建物。

 その屋根からは、何本もの太い煙突が伸びている。


「工場……か?」

「な、何を作ってるんでしょうか?」

「さあな」


 俺は方位磁針を見る。

 針はちょうど、その建物がある方向を指していた。


「魔王も、あっちか」

「じゃあ、通るしかないですね」

「そうみたいだな」


 俺たちは、そのまま巨大な建物へ向かって歩き始めた。


 一歩。

 また一歩。

 距離が縮まっていく。

 煙突からは、薄い煙がゆらゆらと吐き出されている。


「……」

 急に、嫌な予感がした。


 ナス科。

 大量の畑。

 工場。

 そして——煙。


「勇者様?」

「ちょっと待て」

 足を止める。


 鼻の奥に、何かが引っかかった。

 ほんの僅か。

 焦げ臭いような。

 苦いような。

 なのに——。

 妙に懐かしい。


「……おいおい」


 まさかな。

 そう思った、その瞬間。

 目の前に文字が浮かび上がった。


【阻害物質を検出】


「……は?」

 久しぶりに見る、死ぬほど嫌な文字。

 そして、続けて——。


【勇者スキル:LOCKED】


「おい!」

「ゆ、勇者様!?」


 嫌な汗が、背中を伝う。

 恐る恐るステータスを確認する。


【攻撃力:12】

【防御力:8】

【素早さ:5】

【魔 力:3】


「……」

「勇者様?」

「……マジかよ」

「え?」


「ステータスが、元に戻ってるううううううう!?」


「えええええっ!?」


 よりによって。

 魔界に来て、魔王を倒しに来て。


 ここで。


「な、なんでですか!?」

「この煙だよ!」

 俺は煙突を指差す。


「煙?」

「ああ」


 もう一度、鼻の奥に残った感覚を確かめる。

 間違いない。


 俺のスキルが反応したってことは——。

 あの工場から出ている煙には、ニコチンが含まれている。


「……やっぱりか」

「やっぱり?」


 わかばが、不安そうに俺を見る。

 俺は巨大な建物を見上げた。


「……面倒なことしてやがるな、魔王」


 そして、何より最悪なのは。


 俺は今。

 魔界のど真ん中で——。

 チートを失った。

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