二十六本目 今朝は小鳥がよく鳴いておりますね。
オルディスは、わかばをしばらく見つめていた。
「……今日は、ここまでにいたしましょう」
「今日は……?」
「魔界への門は、明日の朝に開くことにしましょう」
「明日?」
「はい。長旅の直後でもあります。今夜は、この聖都でゆっくりと身体をお休めください」
俺は隣のわかばに目を向けた。
さっきの話もあってか、少しぐったりとしているように見える。
「じゃあ、そうさせてもらおうかな」
「もちろんです」
オルディスの表情が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
「勇者様とお連れの方には、宿も用意しております」
「宿?」
「はい。このアストレアでもっとも格式の高い宿を」
「マジか!」
思わず声が出た。
「ゆ、勇者様! 声が大きいですよぉ」
オルディスが小さく笑う。
さっきまで少し沈んでいたわかばの顔にも、ようやく笑顔が戻っていた。
「今宵は、たっぷりと英気をお養いください」
「ああ」
「そして明日」
オルディスの表情が、再び引き締まる。
「魔界への門を開きます」
「……分かった」
◆
俺たちはオルディスが遣わした案内人に連れられ、宿へとやってきた。
「こちらがアストレアでも最高級の宿、グランド・ルミアホテルでございます」
「……でっけぇ」
思わず建物を見上げる。
これまで泊まってきた宿とは、明らかに格が違った。外観からして豪華だ。どう見ても、俺みたいな貧乏人のヤニカスが泊まっていい場所じゃない。
「勇者様! すごいですよ!」
「ああ。絶対高いぞ、ここ」
「オルディス様が用意してくださったんですよね?」
「ああ、最高じゃねえか。しかもタダだぞ」
「そこですか!?」
案内人に続いて中へ入る。
中は、さらにすごかった。
何に使うのか分からない置物。
足が沈みそうなくらい柔らかい絨毯。
見たことのないものが、あちこちに並んでいる。
わかばなんて、さっきからずっと目を輝かせていた。
そのまま案内人に連れられ、廊下の奥へ進む。
やがて、一つの扉の前で足を止めた。
「こちらが、お二人のお部屋でございます」
そう言って、にこやかに振り向く。
「え? お二人の……?」
案内人が扉を開ける。俺とわかばは、一緒に部屋の中へ入った。
「……」
「……」
広い。
めちゃくちゃ広い。
大きな窓。
艶のある豪華な机。
柔らかそうなソファ。
見たことのない調度品も、いくつも置かれている。
そして。
部屋の端には——。
でかいベッドが、一つ。
圧倒的な存在感を放っていた。
「……」
「……」
いや。
待て。
なんで一個なんだよ。
しかも、やたらでかい。
どう見ても、一人で寝るための大きさじゃない。
「……」
「……」
俺とわかばは、黙ったままベッドを見つめた。
「それでは、どうぞごゆっくり」
「え? あ、ああ」
パタン。
案内人が扉を閉めると、部屋の中には俺とわかばだけが取り残された。
「あ、あっ!」
突然、わかばが声を上げる。
「な、なんだよ!」
「勇者様! こんなのありますよ!」
わかばが部屋の隅に置かれていた何かを指差した。
「お、おお!」
とりあえず俺も乗っかる。
「これはなんでしょうか!?」
「いや、分かんねえ!」
「珍しいですね!」
「珍しいな!」
何なのかはマジで分からない。でも今はなんでもいい。
「そ、それに勇者様!」
「お、おう!」
わかばが今度は窓へ駆け寄る。
「景色が、とっても綺麗ですね!」
「いや、外真っ暗だろ」
「……」
「……」
そこで、話題が尽きた。
ゆっくりと。俺とわかばの視線が、再びベッドへ戻る。
「……」
「……」
「あ、あの!」
「な、なんだ!?」
思わず肩がぴくりと揺れた。
「勇者様が使ってください!」
「は?」
「ベッドです!」
わかばがベッドを指差す。
「これから魔王と戦うんですよ! 勇者様はちゃんと休まないとダメです!」
「いや、お前が寝ろよ。俺は床でいい」
「ダメです!」
「なんでだよ」
「勇者様が床で寝て、疲れが取れなかったらどうするんですか!」
「俺は大丈夫だって」
「ダメなものはダメです!」
「じゃあ、お前が床で寝るのかよ」
「私は大丈夫です!」
「俺が大丈夫じゃねえよ!」
女の子を床に寝かせて、自分だけこんなクソでかいベッドで爆睡。さすがにそれは人としてどうなんだ。
「だから、お前が使え」
「勇者様が使ってください!」
「お前が」
「勇者様が!」
「……」
「……」
埒が明かない。俺たちは同時にベッドを見る。
まあ。
二人で寝ても、余裕はある。
「……じゃあ」
わかばが、ちらっと俺を見る。
「二人で寝れば、いいんじゃないですか?」
「……マジで?」
「だ、だって! こんなに広いんですし!」
「いや、まあ……そうだけど」
「勇者様は……嫌なんですか?」
「嫌じゃねえけど」
「なら、いいじゃないですか」
「……お前、意外と平気なんだな」
「べ、別に、勇者様となら平気です!」
そう言いながら、顔は真っ赤だった。本当に平気なのかよ。
◆
結局。俺たちは同じベッドで背中合わせに寝ることになった。
「……」
「……」
別に離れて寝ろなんて、お互い一言も言ってない。
なのに。顔を合わせるのは、なんとなく気まずかった。
ベッドはかなり広い。それなのに、妙にわかばが近く感じる。
背中の向こうにいる。少し動けば布団が揺れる。暗くて静かな部屋。布団が擦れる音も、呼吸する音も聞こえてくる。
「……」
それにしても眠れねえ。
明日魔界に行くってのに、遠足の前の小学生じゃねぇんだぞ。
「……」
つい、背中の向こうにいるわかばを意識する。
……そりゃ、眠れるわけねえよ。
俺だって男なんだぞ。
風呂上がりには、あんな格好で目の前に現れて。
マイルドセブンでは水着で、「もっと私を見てください」とか言いやがって。
そして今度は、同じベッド。
……こいつ、俺の理性をどこまで試す気だよ。
「……」
てか、もう、いいよな?
これってそういうことだよな?
何が、とは言わないけど。
俺、ここまで十分我慢したよな?
そう思った、その時。
「……勇者様」
背中の向こうから、小さな声が聞こえた。
「ん?」
「起きてますか?」
「起きてるよ」
「……そうですか」
それきり、わかばは黙った。
「なんだよ」
「……」
「わかば?」
少し間が空いて。
わかばが、ぽつりと言った。
「魔王を倒したら……」
「ん?」
「勇者様は、元の世界へ帰るんですよね」
「……」
俺は、真っ暗な天井を見つめる。
「まあ、たぶんな」
「そう……ですよね」
「どうした?」
「……いえ」
また沈黙。
しばらくして、わかばが小さく息を吸った。
「ただ……」
声が、ほんの少しだけ小さくなる。
「帰ってほしくないなって……思っただけです」
「……」
心臓が、どくんと跳ねた。
背中の向こうから、小さく鼻を啜る音が聞こえる。
「……わかば?」
「ご、ごめんなさい! 今のは寝言です!」
いや、それは無理あるだろ。
けど。
「……俺も」
返事はない。
「わかばがいるならさ」
言葉にしてから、急に恥ずかしくなってくる。
でも。
もう口にしてしまった。
「別に……帰らなくてもいいかなって思ってる」
「……」
「魔王を倒したあとさ。わかばと一緒に畑やるのも、楽しそうだしな」
「……」
返事がない。
「わかば?」
「……」
「おい」
「……」
まさか。
少しだけ振り返る。
わかばは俺に背中を向けたまま、ぴくりとも動かない。
「……って、寝てんのかよ!」
相変わらず寝るの早すぎだろ!
せっかく俺が、かなり恥ずかしいこと言ったのに!
「ったく……」
俺は再び背中を向けた。
まあ。
聞かれてなかったなら、それはそれでいいか。
そのまま目を閉じる。
けれど、俺は気づいていなかった。
背中の向こうで。
眠っているはずのわかばが、枕をぎゅっと握りしめたまま。耳まで真っ赤になっていたことを。
◆
翌朝。
俺は、チュンチュンという心地よい小鳥の囀りで目を覚ました。
「……ん」
柔らかい布団。
差し込む朝日。
そして、同じベッドで、わかばがすやすやと眠っている。
「……」
朝。
女の子。
同じベッド。
小鳥の囀り。
「……って、これ朝チュンってやつか!?」
思わず飛び起きた。
「ふぇっ!?」
隣でわかばも飛び起きる。
「な、なんですか!?」
「いや! なんでもねえ!」
「朝からうるさいですよ!」
「悪かったって!」
違う。
何もしてない。
本当に何もしてないからな!
……いや。
一緒のベッドで寝たけど。
それだけだからな!
「勇者様?」
「なんだよ」
「顔、赤くないですか?」
「お前にだけは言われたくねえよ!」
「な、なんでですか!」
……そういや。
ほんとに途中から寝てたんだよな、こいつ。
「……」
「な、なんですか?」
「いや」
まあ、いいか。
◆
支度を済ませた俺たちは、再びレーデル大聖殿へ向かった。
中へ入ると、昨日と同じ場所でオルディスが俺たちを待っていた。
「おはようございます。勇者様」
「おう」
「お、おはようございます!」
わかばがぺこりと頭を下げる。
オルディスは俺を見る。
それから、わかばを見る。
「……」
「なんだよ」
「いえ」
オルディスの口元が、ほんの僅かに緩んだ。
「昨夜は、よくお休みになれましたかな?」
「ああ。まあな」
「そうですか」
オルディスは満足そうに頷く。
そして。
「ゆうべはお楽しみいただけましたか?」
「は?」
隣で、わかばの肩がびくっと跳ねた。
「何もしてねえよ!」
「ゆ、勇者様!?」
「だってこいつ絶対そういう意味で言ってんだろ!」
「わ、私は何もしてません!」
「お前もなんで赤くなってんだよ!」
「赤くなってません!」
オルディスは、そんな俺たちを気にも留めず、ゆっくりと窓の外へ目を向けた。
「今朝は、小鳥がよく鳴いておりますね」
「だからなんもしてねえって!」
「私は小鳥の話をしただけですが?」
この爺さん、絶対分かって言ってんだろ。




