二十一本目 勇者様……似合ってますか?
なんでメビウスじゃなくて、マイルドセブンなんだ? マイセンなんて、十年以上も前の名前だろ。
そういや、俺がガキの頃、親父が吸っていたのもマイセンだった。
「何か、おかしいんですか?」
わかばが不思議そうにこちらを見る。
「いや、こっちのはな——」
「勇者様!」
「うおっ!?」
急に強い声で遮られ、びくりと肩が跳ねた。
「な、なんだよ」
「いつもいつも『こっちの話』って……たまには私にも教えてください!」
わかばは頬をぷっくりと膨らませ、じっと俺を睨んでいる。
「え? ああ……まあ、そうだよな」
そういえば、これまで何度も同じ言葉で誤魔化してきた。俺には当たり前でも、こいつからすれば意味の分からない独り言を聞かされているようなものだよな。
「いいか。セブンスターもマイルドセブンも、俺の世界じゃタバコの名前なんだよ」
「たばこって、そんなにいろんな名前があるんですか?」
「種類によって味とかが違うからな」
「へぇ〜」
わかばは感心したように何度か頷いた。
だが、すぐに首を傾げる。
「……じゃあ、どうして魔王はその名前を知ってるんですか?」
「そこなんだよな……」
思わず腕を組む。
セブンスター。
ラーク。
マイルドセブン。
フィリップ・モリス。
どれも俺の世界じゃ、タバコに関係する名前だ。
一つなら偶然。
二つでも、まあ無理やり納得できなくはない。
だが、ここまで重なるとなると話は別だ。
それに——。
「……あ」
もう一つ、引っかかっていたものを思い出した。
「どうしました?」
「そういや、あの旗」
「旗?」
「魔王軍が掲げてた、紅白の旗だよ」
わかばは少し考えてから、ぱっと顔を明るくした。
「ああ! 勇者様が最初、たばこと間違えたやつですね!」
「あれ、間違いじゃなかったかも……」
「では、あれがたばこなんですか?」
「いや。正確には、タバコの箱のデザインだ」
「へ、へぇ〜」
分かったような、分かっていないような返事だった。
紅白の旗だけなら偶然で済む。
デザインはどう見ても赤マルだが……まあ、似ることくらいはあるだろう。
でも、名前までこれだけ揃うとなれば——。
そもそも魔王は、どこでそんな名前を——。
「勇者様?」
「ん?」
顔を上げると、わかばがすぐ目の前から俺を覗き込んでいた。
「難しい顔してますよ?」
「まあ、ちょっとな」
「考えても分からないことは、考えても分かりません!」
「そりゃそうだけどよ……」
確かに、ここでどれだけ頭をひねったところで答えが出ないのも事実だった。
「それより!」
わかばがくるりと振り返り、声を弾ませる。
「せっかく港街に来たんですから、海を見に行きませんか?」
「海?」
「はい! 私、ちゃんと見るの初めてなんです!」
「マジか」
「そうですよ!」
そういえば、俺もこの世界に来てから海を見るのは初めてだ。
「写真とかで見たこともないのか?」
「しゃしん?」
「あ……ないよな」
「またこっちの話ですか?」
「ご、ごめんって」
わかばがじとっとした目を向けてくる。
さっき怒られたばかりなのに、早速やってしまった。
「と、とにかく行くか」
「はい!」
一瞬で機嫌を直したわかばが、嬉しそうに駆け出していく。その顔は、魔王の謎なんかより海の方が何倍も大事だと言っていた。
……まあ、今はそれでもいいか。
答えの出ない疑問を頭の片隅に追いやり、俺は浮き足立つわかばのあとを追った。
◆
港街の大通りを抜けると、一気に視界が開けた。
「わぁ……!」
隣で、わかばが声を漏らす。
白い砂浜。
陽の光を反射して輝く青い海。
どこまでも続く水平線の向こうでは、大きな帆船が風を受けてゆっくりと進んでいる。
海へと続く道の両脇には、色鮮やかな露店がずらりと並んでいた。
南国めいた果物に冷たい飲み物、貝殻の飾り。見たこともない魚を串に刺して焼いている店まである。
潮の匂いに、魚や肉の焼ける香ばしい匂いが混じる。まるで、元の世界の南国リゾートみたいだった。
「すごい……」
さっきまで騒いでいたわかばが、小さな声で呟いた。その目は、真っ直ぐ海の向こうを見つめている。
「本当に、向こう側が見えないんですね」
「海だからな」
「ずーっと行ったら、何があるんでしょう?」
「さあな。別の国とかじゃないか?」
「行ってみたいです!」
「今から泳いで行くなよ?」
「行きませんよ!」
わかばが振り返って笑う。
潮風が長い黒髪をさらい、その横で俺が買った青い花の髪飾りが小さく揺れた。
……ちゃんと付けてるんだな。
それが、少しだけ嬉しかった。
「勇者様! 早く行きましょう!」
「おう!」
そう言って海へ向かったはずなのに、わかばは数歩もしないうちに近くの露店へ吸い寄せられた。
「わぁ! 見てください、これ!」
「おいおい、海はどうしたんだよ」
呆れる俺をよそに、わかばは貝殻で作られた首飾りや腕輪に目を輝かせている。
「可愛いですねぇ」
「そうだな」
そういえばこいつ、こういうのが好きって言ってたな。また後で、隙を見て買ってやるか。
それからも果物や妙な置物を見つけるたびに足を止め、海を見るだけのはずが、いつの間にか露店巡りになっていた。
そんな中。
「勇者様!」
「今度はなんだよ」
「見てください! 水着が売ってますよ!」
「水着?」
わかばが指差した先には、色とりどりの水着が所狭しと並べられていた。
上下に分かれたもの。
細い肩紐のもの。
胸元や腰にフリルの付いたもの。
……なんというか。
普通に、俺の世界でも見覚えのあるデザインだ。
「勇者様! これ可愛くないですか?」
いつの間にか店先へ駆け寄っていたわかばが、一着の水着を手に取る。
淡い水色を基調にした、フリル付きの水着だった。それを自分の身体の前に合わせ、俺へくるりと振り返る。
「どうです?」
「……」
「勇者様?」
期待に満ちた目で見られても困る。
「いや、まだ着てないのに聞かれても分かんねぇよ!」
「それは……そうですね」
水着と自分の身体を見比べ、わかばが納得したように頷く。
「じゃあ勇者様は、どれがいいと思います?」
「は?」
「私、こういう水着を選ぶの初めてなので」
「俺だって女物の水着なんか選んだことねぇよ!」
「でも、どれが似合うかくらい分かるじゃないですか!」
「分かんねぇよ!」
「ちゃんと見てください!」
「なんで俺が怒られてんだよ……」
仕方なく、店先を見渡す。
赤、黄色、白、青。
派手な柄のものまである。
どれが似合うかなんて、正直さっぱり分からない。
ただ——。
わかばの黒髪に目をやる。
その横では、淡い青色の花が揺れていた。
「……それでいいんじゃね?」
「これですか?」
わかばが手にした水色の水着を持ち上げる。
「髪飾りと同じ色だし」
「……!」
わかばの顔が、ぱっと明るくなった。
「じゃあ、これにします!」
「決めるの早っ!」
「勇者様が選んでくれましたから!」
「いや、選んだっていうか……」
何となく言っただけなんだけど。
……まあ、そんな嬉しそうならいいか。
その時、俺たちのやり取りを聞いていた店主がにこやかに声をかけてきた。
「お客さん! 試着室なら奥にありますよ!」
「試着……だと?」
思わず店主を見る。
それから、わかばを見る。
わかばも俺を見ていた。
数秒の沈黙。
その顔が、みるみる輝いていく。
「勇者様!」
「……なんだよ」
「ちょっと待っててください!」
水着を抱えたわかばが、店の奥へ駆け出していく。
「お、おい!」
呼び止める間もなく、その姿は試着室の向こうへ消えた。
いや。
待て。
なんで俺が緊張してんだよ。
水着くらい、元の世界でも見たことがある。
海だって、プールだって行ったことくらい——。
……女の子と二人で来たことは、一度もないけど。しかも今回は、俺が選んだ水着を着て出てくるわけで。
「……」
余計なこと考えるな。
ただの水着だぞ。
そう思うほど、妙に時間が長く感じる。
……まだか?
いや、なんで待ち遠しくなってんだよ。
自分自身に突っ込みを入れた、その時。
「勇者様〜!」
試着室の向こうから、わかばの声がした。
「ん?」
「着替えました!」
「お、おう」
次の瞬間。
仕切りの布が、さっと開く。
「どう……ですか?」
そこには、頬をほんのり赤らめ、照れ臭そうに笑うわかばが立っていた。
けれど、その姿を見た瞬間、俺の体は固まっていた。




