二十二本目 もっと私を見てください!
淡い水色を基調にした水着。
胸元と腰のあたりには小さなフリルがあしらわれている。
そして、普段の服とは比べものにならないほど肌が露出していた。
てか、こうやって見ると、こいつ意外と——。
って、何考えてんだ俺。
ちらりとわかばの頭に目を向ける。
そこには、昨日俺が買った青い花の髪飾りが、黒い髪の上で揺れていた。
「……勇者様?」
わかばが不思議そうに首を傾げる。
「……」
「勇者様ぁ〜?」
そのまま、俺の方へ近づいてくる。
「ち、近いって!」
我に返って、慌てて顔を背けた。
「えぇ〜?」
背後から、わかばの不満そうな声が聞こえる。
「なんでちゃんと見てくれないんですか!?」
「見たよ!」
「一瞬じゃないですか!」
「十分だろ!」
「全然十分じゃありません!」
俺が右を向けば、わかばも右から顔を覗き込んでくる。
「どうですか?」
「だから、近い近い!」
今度は左を向く。
すると、わかばも反対側へ回り込んできた。
「似合ってます?」
「似合ってるよ!」
「ほんとですか?」
「ほんとだよ!」
「じゃあ、ちゃんとこっち見て言ってくださいよぉ〜」
……こいつ。
絶対楽しんでやがる。
恐る恐る顔を向けると、案の定、わかばは口元をにやにやと緩ませていた。
「なんだよ、その顔」
「なんにもありませんよぉ〜?」
わかばはわざとらしく両手を後ろで組むと、少しだけ身体を傾ける。
「勇者様」
「なんだよ」
「もっと私を見てください!」
「なっ……!」
一瞬、頭が真っ白になる。
けれど、わかばはすぐに悪戯っぽく笑った。
「せっかく勇者様が選んでくれた水着なんですから!」
「そ、そういう意味かよ!」
「どういう意味だと思ったんですかぁ〜?」
「うるせぇ!」
こいつ、なんで急に小悪魔化するんだ。
◆
それから俺たちは、露店の先にあるビーチへと向かった。
白い砂浜には、俺たちと同じように海を楽しむ人たちの姿があった。
波打ち際を走り回る子供たち。
砂浜に敷いた布の上で寝転がる大人たち。
少し沖では、何人かの若者が大きな板のようなものに乗って波と格闘している。
こうして見ると、本当に元の世界の海水浴場と変わらない。
「勇者様! 見てください!」
わかばが波打ち際を指差した。
「なんだよ」
「お魚が空飛んでます!」
「……は?」
見ると、青い魚が水面から勢いよく飛び出した。
一匹。
二匹。
三匹。
しかも、そのまま落ちない。
透明な羽のようなものを広げ、海面すれすれを飛んでいく。
「……なんだ、あれ。トビウオか!?」
「シーウイングですよ! 私も見るの初めてです!」
「いや、トビウオだろ!」
そう思った瞬間、シーウイングとやらは七色の光を放ち始めた。
「不思議ですねぇ〜」
「あ、ああ」
やっぱりここは異世界だった。
「勇者様、早く行きましょう!」
「お、おい!」
わかばはもう待ちきれないらしく、砂浜を駆けていく。黒い髪と青い花が、海から吹く風に揺れていた。
そして、そのまま——。
「わぁっ!」
勢いよく海へ飛び込んだ。
「冷たっ! 勇者様、冷たいですよ! それにしょっぱい!」
「海なんだから当たり前だろ」
「でも、気持ちいいです!」
波が引いていくたび、わかばの足元から白い泡がさらわれていく。
それが面白いのか、わかばは何度も寄せてくる波に足を入れては、子供みたいに笑っていた。
「そんなに珍しいか?」
「珍しいですよ! 私、海なんて初めてなんですから!」
「そういや言ってたな」
「勇者様は見たことあるんですよね?」
「まあな」
「ずるいです!」
「何がだよ!」
「私より先に海を見てます!」
「生まれた世界が違うんだから仕方ねぇだろ!」
「じゃあ——」
わかばが突然しゃがみ込んだ。
「ん?」
次の瞬間。
ばしゃっ!
「うおっ!?」
顔面に海水が飛んできた。
「これなら、私の方が先です!」
「……何が?」
「勇者様に、この世界の海の水をかけたのは私が初めてです!」
「なんだそれ」
「えへへ!」
こいつ……。
満面の笑みを浮かべるわかばを見ていると、怒る気も失せる。
……いや。
「だったら、やり返しても文句ねぇよな?」
「え?」
両手で海水をすくう。
「ちょ、勇者様!?」
「おら!」
「きゃあっ!」
水しぶきが陽の光を受け、きらきらと輝いた。
「やりましたね!」
「先にやったのはお前だろ!」
「知りません!」
「理不尽すぎるだろ!」
そこからは、もう滅茶苦茶だった。
水をかけて。
かけ返されて。
逃げるわかばを追いかけて。
調子に乗ったわかばが少し深いところまで行った、その時。
「わっ!?」
急に大きな波が押し寄せた。
「危なっ!」
咄嗟に腕を伸ばす。
俺はずぶ濡れになりながら、倒れかけたわかばの身体をなんとか受け止めた。
「大丈夫か?」
「は、はい……」
「気をつけろよ。初めてなんだから」
「……はい」
妙に素直な返事。
そこで気づいた。
近い。というか、完全に俺の胸元へしがみついている。
濡れた黒髪から水滴が落ちる。
さっきまであれだけ騒いでいたわかばも、急に黙り込んでいた。
「……」
「……」
わかばも気づいたらしい。
けれど、離れない。
それどころか、少しだけ顔を上げた。
「勇者様」
「……なんだよ」
「顔、赤いですよぉ?」
「お前なぁ!」
慌てて身体を離すと、わかばが楽しそうに笑った。
「やっぱり赤いです!」
「うるせぇ!」
俺は誤魔化すように海水をぶっかける。
「きゃあっ! ひどいです!」
再び水しぶきが舞う。
その向こうで、わかばが笑っている。
俺もいつの間にか時間を忘れて笑っていた。
◆
気がつけば、空はすっかり茜色に染まっていた。
「……遊びすぎたな」
「遊びすぎましたね……」
昼間の元気はどこへやら。
俺たちは二人して疲れ切った身体を引きずりながら、海沿いの道を歩いていた。
「勇者様」
「ん?」
「お腹空きました」
「やっぱりかよ」
「いっぱい遊びましたから!」
予想通りだった。
「どっかで飯食ってくか」
「はい!」
その一言で復活するなよ。
やがて俺たちは、海を見渡せる一軒の店を見つけた。
店の外にはいくつものテーブルが並び、その向こうには夕日に染まった海が広がっている。
「ここにするか?」
「はい!」
店員に案内され、海がよく見えるテラス席へ腰を下ろす。目の前には、夕日に染まった海が広がっていた。
昼間はあれだけ青かった水面が、今は橙色の光を細かく反射している。
「綺麗ですねぇ……」
わかばは椅子に座るなり、うっとりと海を眺めた。
「そうだな」
やがて、注文した料理が次々と運ばれてくる。
大きな貝の中に盛られた魚料理。
青白く光る小魚の揚げ物。
見たこともないほど巨大なエビみたいな魔物。
「……これ、本当に食えるのか?」
「食べられますよ!」
「光ってるけど?」
「新鮮な証拠です!」
「その理屈、絶対おかしいだろ」
そう言いながら一口食べてみる。
「……うま」
「でしょう!」
なぜお前が得意げなんだよ。
わかばは楽しそうに笑いながら、次々と料理を口へ運んでいく。
「お前、昼も結構食ってなかったか?」
「いっぱい泳ぎましたから!」
「燃費悪すぎるだろ……」
俺が呆れている間にも、皿の上の料理はどんどん消えていった。
しばらくして。
腹も膨れたのか、わかばはようやく食べる手を止めた。
「ふぅ〜……幸せです」
「そりゃよかったな」
俺も椅子に深く座り直し、海へ目を向ける。
夕日はもう水平線のすぐ上まで沈んでいた。
辺りも少しずつ暗くなり始めている。
ふと、向かいを見る。
わかばも海を眺めていた。
夕日の光が、長い黒髪を柔らかく照らしている。
「……勇者様」
「ん?」
わかばが海を見たまま、小さく口を開く。
「今日は、本当に楽しかったです」
「そっか」
「はい」
少しだけ間が空く。
それから、俺も海を見ながら答えた。
「俺も楽しかったよ」
「……え?」
わかばがこちらを見る。
「なんだよ」
「いえ……」
少し驚いたような顔をしたあと、わかばは嬉しそうに笑った。
「えへへ」
その笑顔を見て、なんとなくこっちまで気恥ずかしくなる。
「笑うなよ」
「笑ってませんよ〜」
「笑ってるだろ」
「嬉しいだけです」
「……そっか」
それ以上、何を言えばいいのか分からなかった。
俺たちはしばらく黙ったまま、夕日が沈んでいくのを眺めた。
明日には、この街を出る。
その先にあるのは、アストレア。
そして、その先には魔界がある。
この旅が、いつまで続くのかも分からない。
けれど今だけは。
そんなことを考えるのをやめた。
目の前の夕焼けと。
向かいで楽しそうに笑うわかばと。
この時間が、もう少しだけ続けばいいと思った。




