二十本目 なんでマイセンなんだ?
翌朝。
東の空から差し込む淡い光が、ラークの街並みをゆっくりと照らしていた。
昨夜あれほど賑やかだった祭りの通りも、今はすっかり静まり返っている。
道の端には片付けられていない屋台の跡が残り、時折吹く朝風が、落ちた紙切れをころころと転がしていた。
俺たちは結局、花火を最後まで見てからラークの街で一泊した。
そして、適当な食料と水を買い込んだ俺たちは、まだ人通りの少ない街を抜け、再びアストレアへ向けて歩き始めた。
街を出ると、目の前には朝露に濡れた草原が広がっていた。陽の光を受けた草の先がきらきらと輝き、遠くでは薄い霧がゆっくりと消えていく。
「そういえば、わかば」
「はい、なんでしょうか?」
「これ。昨日、渡すタイミングなかったからさ」
俺は懐から、鮮やかな紙に包まれた小さな包みを取り出し、わかばに手渡した。
「なんですか? これ」
「いいから、開けてみろよ」
「はい……」
わかばは不思議そうに包みを開いていく。
そして、中から出てきたものを見た瞬間、目を丸くした。
「これって……」
昨日、露店でわかばが手に取っていた、淡い青色の花の髪飾り。
「昨日、欲しそうにしてただろ。それに安かったし」
「……ありがとうございます!」
わかばは髪飾りを両手で持ったまま、嬉しそうに笑った。
「付けてみろよ」
「じゃあ、勇者様に付けてほしいです」
「なんでだよ!?」
「だって、鏡とか持ってませんし。どこに付けたらいいか分からないので」
「いや、それくらい適当でいいだろ……」
「ダメです!」
何がダメなんだよ。
そう思いながらも、差し出された髪飾りを受け取る。
わかばは俺に背を向けると、長い黒髪を片手でさらりとかき上げた。
「お願いします!」
「……おう」
仕方なく、その髪に手を伸ばす。
近くで見ると、艶々していて本当に綺麗な髪だった。指先で触れると、驚くほどさらさらしている。
それに——。
……なんか、いい匂いするな。
「勇者様?」
「な、なんでもない!」
「?」
危ねぇ。
何が危ないのか分からないけど、なんか危ねぇ。
黒い髪の上に、淡い青色の花が咲いた。
「ほら、できたぞ」
「ありがとうございます!」
わかばはすぐに振り返ると、髪飾りにそっと触れた。
「どう……ですか?」
「似合ってるよ」
「ほんとですか!?」
「おう」
わかばが一歩、俺との距離を詰める。
「どんな風にですか!?」
「どんなって……」
期待に満ちた目で、じっと俺を見上げてくる。
近い。さっき自分で付けた青い花が、黒髪の間で揺れていた。
「だから! 似合ってるものは、似合ってるんだよ!」
「え〜! それじゃ分かりませんよ!」
「知らねぇよ! 俺に何を言わせたいんだ!」
「別に何も言わせようとしてませんよぉ〜?」
「絶対嘘だろ……」
俺が歩き出すと、わかばもすぐ隣へ並んだ。
その指は何度も、嬉しそうに髪飾りへ触れている。
昨日、こっそり買っておいてよかった。
もちろん、そんなことは絶対に言わないけど。
「そうだ、あれやるか?」
「あれ……とは?」
「あれはあれだよ。その……お姫様抱っこで走るやつ」
口にした瞬間、後悔した。
じわじわと顔が熱くなる。
なんで俺から提案してんだよ。
「ええっと……お気持ちは嬉しいんですけど」
「え、いや、その……」
うわ、やらかしたか。
絶対に引いてる。
わかばは一瞬きょとんとしたあと、前を向いた。
朝の風に、長い黒髪と青い花が小さく揺れる。それから、俺の方を見て笑った。
「今日は、ゆっくり歩きたいです」
「そ、そうか……」
「はい」
俺は何も言わず、その隣を歩く。
いつもより少しだけ遅い速度で。
それから俺たちは、何度か野宿を挟みながら街道を進んだ。
昼は歩いて、夜になれば適当な場所で火を起こす。そんな旅を三日ほど続けた頃、ようやく遠くに大きな街が見えてきた。
地図を広げて確認すると、どうやらあそこがアストレアへ向かう前、最後にある街らしい。
「やっと街か……」
「今日はちゃんとベッドで眠れそうですね!」
わかばが嬉しそうに足を速める。
俺もその後を追い、やがて街の入口まで辿り着いた。
そこで、一人の男が声をかけてきた。
「旅の方かい? ようこそ、マイルドセブンへ!」
「……マイルドセブン?」
思わず聞き返した。
男は、何をそんなに驚いているのか分からないといった顔でこちらを見る。
「この街の名前さ。ここらじゃ一番大きな港街だよ」
なるほど……って、いやいや。
「なんでマイセンなんだよ! そこはメビウスだろ!」
「めびうす?」
男は不思議そうに首を傾げる。
「……なんでもない。こっちの話だよ」
またこれかよ。
セブンスター。
ラーク。
そして今度は、マイルドセブン。
もういい加減、慣れてきた。
どうせ他の街もこんな名前なんだろ。
タバコなんて存在しない世界のくせに、やたらと俺の知っている銘柄と同じ名前が出てくる。
「そもそも、なんでそんな名前なんだよ!?」
「なんでって言われてもなぁ……」
男は少し首を傾げた。
「五年前、復活した魔王がそう名付けたからだよ」
「……え?」
一瞬、聞き間違いかと思った。
「今、なんて?」
「だから魔王だよ。この街をマイルドセブンって名前に変えたのは」
「ち、ちょっと待て!」
思わず男に詰め寄る。
「じゃあ、この街って昔からマイルドセブンだったわけじゃないのか?」
「ああ。もともとはエルナって名前だったよ」
「……マジか」
男は怪訝そうに俺を見ている。
けれど、そんなことはどうでもよかった。
頭の中で、今まで引っかかっていたものが一つずつ浮かんでくる。
「わかば」
「はい?」
「セブンスターは?」
「え?」
「セッタの街だよ。あそこも昔からあの名前だったのか?」
「ああ、それなら違いますよ!」
わかばは何でもないことのように頷いた。
「昔はステラって呼ばれていました!」
「……ステラ?」
「あれ? 言ってませんでしたっけ?」
「いや……聞いてない」
おいおい、マジかよ。
じゃあ、ラークも。
あの街の門に、名前の書かれたプレートが乱暴に打ち付けられていたのを思い出す。
今思うとあれは、後から名前を変えた跡だったのかもしれない。
今まで全部、ただの偶然だと思っていた。
この世界にはタバコなんて存在しない。
だから、たまたま同じ名前なだけだと。
でも、違う。
魔王がわざわざ街の名前を変えている。
セブンスター。
ラーク。
マイルドセブン。
……いや、マイルドセブンは昔の名前だ。
今じゃメビウスに変わっている。
それでも、どれも俺の世界にあるタバコの名前だ。
それだけじゃない。
魔王の住む魔界の名はフィリップ・モリス。
それも、もとの世界じゃ有名なタバコ会社の名前だ。
「……待てよ」
その時、別のことが頭をよぎった。
ナス。
トマト。
ジャガイモ。
魔王軍が集めていた、ナス科の植物。
そして、どれも微量のニコチンを含んでいる。
あの時は、そこまでしか分からなかった。
なぜ魔王が集めているのか。
なぜ、よくわからんスープにして、わざわざ魔界まで運んでいるのか。
けれど。
もし、魔王がタバコを知っているのだとしたら——。
「勇者様?」
黙り込んだ俺を見て、わかばが不思議そうに首を傾げる。
俺は返事をせず、もう一度門を見上げた。そこには、でかでかと街の名前が刻まれている。
「……わかば」
「はい?」
俺はゆっくりと口を開いた。
「魔王のやつ……」
一度、息を呑む。
「もしかして、タバコを知ってるんじゃないか?」
「え?」
わかばが目を丸くする。
俺はもう一度、門の文字へ目を向けた。
そこで、最初に感じた違和感が、また頭に引っかかった。
「……いや、そもそも」
「勇者様?」
俺は眉をひそめたまま、小さく呟いた。
「なんで、メビウスじゃなくてマイセンなんだ?」




