十九本目 花火よりも綺麗だよ
「ふわぁ〜、美味しかったです!」
店を出るなり、わかばは満足そうにお腹をさすった。
「そりゃ、あれだけ食えばな」
結局、こいつは遠慮するどころか、次から次へと料理を追加しやがった。幸い、一万ゴールドが吹き飛ぶほどではなかったが。
「さあ、腹も膨れたし行くぞ!」
「え?」
俺はそのまま街の出口へ向かって歩き出す。
「アストレアだよ。ここからまだ結構あるんだろ?」
「あ……はい。そうですけど……」
さっきまで上機嫌だったわかばの声が、急に小さくなった。
「どうした?」
「い、いえ! なんでもありません!」
そう言って、わかばは慌てたように俺の隣へ駆け寄ってくる。けれど、どこか元気がない。
少し歩いたところで、わかばがちらりと通りの向こうへ目を向けた。露店が並び、その間を子供たちが楽しそうに走り回っている。
「……勇者様」
「ん?」
「その……少しだけ、この街を見ていきませんか?」
「え?」
わかばは俺を見上げると、少し困ったように笑った。
「せっかく来たんですし……ね?」
「いや、でも急がないと……」
「あ……そうですよね」
わかばはそう言って、小さく笑った。
「すみません。忘れてください」
それから何事もなかったように前を向く。
「……」
俺もそのまま歩き出した。
けれど、隣を歩くわかばは、さっきまでとは別人みたいに静かだった。
時折、名残惜しそうに露店の方へ目を向けては、すぐに前へ戻している。
……なんだよ。
そんなに遊びたかったのか?
俺は小さく息を吐いて、足を止めた。
「……ちょっとだけだぞ」
「え?」
わかばが顔を上げる。
「よく考えりゃ、食料とかも買っといた方がいいしな。少しくらいなら、街を見ていってもいいだろ」
「……いいんですか?」
「ちょっとだけだからな」
一瞬だけ呆けたように俺を見つめたあと、わかばの顔がぱっと明るくなる。
「はい!」
◆
それから、俺たちは露店の並ぶ通りへ向かった。茶色い道の両側には、色とりどりの布を張った店がずらりと並んでいる。
焼いた肉の香ばしい匂い。
甘い菓子の匂い。
どこからか聞こえてくる、賑やかな音楽。
「なんだ? 祭りでもやってるのか?」
「そのようですね!」
わかばは興味津々といった様子で、忙しそうに辺りを見回している。
「勇者様! あっちも見てみましょうよ!」
「はいはい。走るなよ」
俺がそう言うより早く、わかばは人混みの中へ駆け出していた。
「聞いてねぇな、あいつ……」
苦笑しながら、その後を追う。
やがて、わかばは一軒の露店の前で立ち止まった。店先には、小さな人形や髪飾り、木彫りの置物なんかが所狭しと並べられている。
「わぁ〜! 可愛いです!」
わかばは目を輝かせながら、一つ一つ眺めていく。
「こういうの好きなのか?」
「はい! 見てるだけでも楽しいですよ!」
そう言いながら、わかばは小さな花の髪飾りを手に取った。淡い青色の花を模した、安物っぽい髪飾りだ。
けれど、わかばはしばらくそれを眺めたあと、そっと元の場所へ戻した。
「買わないのか?」
「いいんです。見るだけで十分なので!」
そう言って笑う。
「じゃあ、次行きましょう!」
わかばは、また別の露店へと走っていった。
俺は髪飾りへ一度だけ目を向ける。そして、わかばの影が小さくなったころで歩き出した。
追いついてからは、完全にわかばのペースだった。気になる露店を見つけては立ち止まり、知らない食べ物を見つけては覗き込み、珍しい雑貨を見つけては目を輝かせる。
「勇者様! これ、なんでしょう?」
「俺に聞くなよ。俺は異世界人だぞ」
「あ、そっか」
そんなくだらない話をしながら、二人で街を歩く。気づけば、俺もそれなりに楽しんでいた。
最初は食料を買うついでのつもりだったのに。
まあ、たまにはこういうのも悪くないか。
そんなことを考えていると、近くの露店から威勢のいい声が飛んできた。
「兄ちゃんたち、今日は運がいいぞ!」
「ん?」
振り向くと、店主らしき男がこちらに手招きしている。
「今日は年に一度の火竜祭だ! 夜になれば、でっかい花火も上がるぞ!」
「花火?」
思わず聞き返す。
てか、異世界にも花火ってあんのか。
その瞬間。
「勇者様!」
わかばが両手を胸の前で組み、期待に満ちた目で俺を見上げていた。
「……見たいのか?」
「はい!」
即答だった。
「でも、夜までまだ結構あるぞ」
「……ダメですか?」
さっきまで輝いていた目が、ほんの少しだけ曇る。俺はそんなわかばを見て、しばらく黙った。
アストレアへは早く向かった方がいいだろう。
けれど。
せっかくあんなに楽しそうにしてるんだ。
「……まあ、ここまで来たなら最後まで見てくか」
「ほんとですか!?」
「その代わり、明日はちゃんと出発するぞ」
「はい!」
わかばは嬉しそうに大きく頷いた。
……ほんと、分かりやすいな。
俺はそんなわかばを見て、小さく笑った。
◆
それから時間が経ち、街に夜が訪れた頃。
俺たちは、祭りの会場から少し離れた小高い丘にいた。
どうやらここは花火がよく見える場所らしく、周囲には俺たちと同じように夜空を見上げる人たちが集まっている。
昼間あれだけ賑やかだった街も、ここまで来ると少し静かだ。
遠くから聞こえてくる祭囃子と、人々のざわめき。時折吹く夜風が、足元の草をさらさらと揺らしている。
「ここなら、よく見えそうですね!」
わかばは嬉しそうにそう言うと、俺の隣に腰を下ろした。
「そうだな」
俺もその隣に座る。
それにしても。
ちょっとだけ街を見るつもりだったのに、まさか夜までいることになるとは。
「今日、楽しかったか?」
「はい!」
わかばは迷うことなく頷いた。
「すっごく楽しかったです!」
「そりゃよかった」
俺がそう返すと、わかばは少しだけ黙った。
それから、膝を抱えたまま小さく笑う。
「……勇者様」
「ん?」
「今日は、付き合ってくれてありがとうございました」
「別にいいよ。俺も結構楽しかったし」
「……えへへ」
わかばは嬉しそうに笑うと、そのまま夜空を見上げた。昼間はあれだけはしゃいでいたのに、今は妙に大人しい。
その横顔を眺めていた、その時だった。
ドンッ——。
腹の底まで響くような音が、夜空いっぱいに広がった。
「おっ」
「わぁ……!」
俺たちは同時に顔を上げる。
真っ暗な夜空に、大きな光の花が咲いていた。
少し遅れて、また轟音が響く。
二発、三発。
赤。
青。
金。
次々と打ち上がる花火が、夜空を鮮やかに染めていく。
「すごいです……!」
わかばは目を輝かせながら、夢中になって空を見上げていた。
俺もいつの間にか、その景色に見入っていた。
元の世界でも花火くらい見たことはある。
けど。
こうして誰かと並んで、何も考えずに眺めたことなんて、あっただろうか。
ましてや女の子と二人でなんて。
そんなことを考えながら、ふと隣を見る。
わかばは夜空を見上げたまま、子供みたいに目を輝かせていた。
打ち上がる花火の光が、その横顔を何度も照らしていく。俺は夜空を見るのも忘れて、しばらくその姿に見惚れていた。
やがて花火の間隔が、少しずつ長くなってきた。ふと、昨日聞きそびれたことを思い出す。
「そういえば、わかば」
「はい! なんでしょう?」
わかばは夜空を見上げたまま答えた。
「昨日、聞きそびれたんだけどさ」
「昨日?」
「魔王を倒したあと、お前どうするんだ?」
「え……?」
わかばが、ゆっくりとこちらを向く。その顔から、さっきまでの笑顔が少しだけ消えた。
「ほら。魔王を倒したら、その後どうすんのかなって」
「ああ……」
わかばは再び夜空へ目を戻した。
「そうですね……」
少し考えたあと、小さく答える。
「……畑、ですかね」
「畑?」
「はい」
わかばは膝を抱えたまま、静かに頷いた。
「お父さんとお母さんが残してくれたものですから」
「……そっか」
あの小さな畑。
初めて会った日に見た、ナスばかり植えられていた畑を思い出す。
ドンッ——。
再び花火が上がる。
一瞬だけ明るく照らされたわかばは、何も言わずに夜空を見上げていた。
「……勇者様は?」
「俺?」
「魔王を倒したあと、どうするんですか?」
「どうするって……」
わかばは少し迷うように口を閉じる。
それから、俺の方を見ないまま続けた。
「やっぱり……元の世界に戻るんですか?」
「……どうだろうな」
「え?」
今度はわかばが、はっきりと俺を見る。
「そもそも、魔王を倒したら本当に帰れるのかも分かんねぇし」
そう口にしてから、自分でも少し変な気分になった。
こっちへ来たばかりの頃なら、迷わず「帰ってタバコを吸う」って答えていたはずなのに。
「昼間の爺さんの話だと、三十年前の勇者は帰ってこなかったんだろ?」
「……はい」
わかばは小さく頷いた。
「まあ、その辺もアストレアに行けば何か分かるかもしれないけどな」
「……そう、ですね」
わかばはそれだけ答えると、また夜空へ視線を戻した。
ドンッ——。
大きな花火が、夜空いっぱいに咲く。その光に照らされて、わかばの横顔が一瞬はっきりと見えた。
けれど。さっきまで、花火のように明るかったその顔は、どこか影に沈んでいた。




