十八本目 勇者様は私のものです!
「勇者様、起きてくださいよぉ〜」
「……ん」
頬をつんつんとつつかれる感触に、ゆっくりと目を開ける。
ぼやけた視界の中、最初に飛び込んできたのは、俺の顔を覗き込んでいるわかばだった。
「おはようございます!」
朝っぱらから、やたらと元気な声が響く。
「……お前、元気だな」
昨日あれだけ魔法を使ったくせに、すっかりいつもの調子に戻ってやがる。
「よく眠れましたから!」
「だろうな。話の途中で寝やがって」
「え? 私、寝ちゃってました?」
「めちゃくちゃ爆睡してたよ」
「す、すみません……」
わかばはようやく昨夜のことを思い出したらしく、申し訳なさそうに眉を下げた。
「別にいいけど」
俺は地面に手をついて立ち上がると、眠気を追い払うように大きく伸びをした。
「さあ、行くか!」
「はい!」
◆
それから街道を歩くこと数時間。
太陽がちょうど頭上まで昇った頃、遠くにようやく街らしきものが見えてきた。
「あっ!」
それを見つけた瞬間、わかばが勢いよく駆け出す。
「勇者様! 早く、早く行きましょう!」
「おい、ちょっと待てよ!」
俺も慌ててわかばを追いかけ、足を速めた。
やがて俺たちは、街の入り口にそびえる大きな木製の門へと辿り着く。
門の上には、街の名前が記されたプレートが釘で乱暴に打ち付けられていた。俺はそこに書かれた文字を見上げる。
「ラーク……だと?」
「はい。ここはラークっていう街みたいですね!」
「セッタの次はラークかよ」
「次って、どういう意味ですか?」
「なんでもねぇよ」
俺たちは門をくぐり、ラークの街へ入った。
セブンスターとはずいぶん雰囲気が違う。
道は石畳ではなく、茶色い土を踏み固めただけ。通りの両側に建つ家々も、ほとんどが木造だった。
乾いた風が通りを吹き抜けるたび、細かな砂埃が舞い上がる。まるで西部劇にでも出てきそうな街だ。
「勇者様! とりあえず、ご飯食べに行きましょう!」
「まあ、そうだな」
俺も腹が減っていたところだ。
「一万ゴールドもありますし、高級料理がたくさん食べられますよ!」
「高級料理って、お前、飯に全部使う気かよ!?」
「そ、そんなわけないじゃないですか!」
目が泳いでいる。
絶対ちょっと考えてただろ。
それからしばらく街を歩き、俺たちは通り沿いにあった小洒落た店へ入った。
扉を開けると、小さなベルがからん、と鳴る。
店内はやや薄暗く、正面には長いカウンター。
そのほかには、いくつかのテーブル席が並んでいるだけだった。壁際には酒瓶の入った棚まで置かれている。
「ここ、バーみたいだな」
「そうですね」
まだ昼間だからか、客はほとんどいない。
俺たちのほかには、奥のテーブル席で顔を赤ながら酒を飲んでいる老人が一人だけだった。
俺とわかばはカウンターに並んで腰を下ろす。
しばらくすると、カウンターの奥から一人の女が姿を現した。
「いらっしゃ〜い」
思わず目が止まる。
年は二十代半ばくらいだろうか。
長い金髪を後ろで束ね、胸元が大きく開いた黒い服を着ている。
細い腰とは対照的に、出るところはしっかりと出ていた。
「二人?」
「あ、はい」
女はカウンター越しに俺の顔を覗き込み、にこりと笑う。
「へぇ。お兄さん、見ない顔ね。旅の人?」
「ま、まあ、そんなところです」
「ふ〜ん」
なんだか妙に距離が近い。
それに、香水だろうか。
ふわりと、花のような甘い香りが鼻をくすぐる。
その時。
「……勇者様」
隣から、やけに低い声が聞こえた。
「ん?」
見ると、わかばが頬をぷくっと膨らませている。さっきまでの笑顔からは想像できないほど、不機嫌そうな顔だ。
「ど、どうした?」
「なんでもありません!」
「いや、絶対なんかあるだろ」
女はそんな俺たちを見比べると、くすっと笑った。
「ふふっ。可愛らしい彼女さんね」
「か、彼女じゃありません!」
わかばがものすごい勢いで否定する。
「へぇ〜、違うの?」
「ぜんっぜん違います!」
「ふ〜ん」
女は妖しげに笑うと、今度は俺に顔を寄せてきた。そして耳元で、小さく囁く。
「じゃあ、私がお兄さんの恋人に立候補しちゃおっかなぁ〜」
「は?」
「だ、ダメです!」
わかばが勢いよく身を乗り出した。
「この勇者様は私が召喚したものですよ!!」
「ものって、お前なぁ」
せめて人として扱ってくれ。
「ふふっ。冗談よ。二人とも仲良しなのねぇ」
女は楽しそうに笑った。
その時だった。
「……今、なんと言った?」
背後から、低く掠れた声が響いた。
振り返ると、さっきまで一人で酒を飲んでいた老人が、いつの間にかこちらを見ていた。
その表情からは、先ほどまでの酔った様子が消えている。
「え?」
老人の視線は、俺ではなくわかばへ真っ直ぐ向けられていた。
「お嬢さん。今、勇者を……召喚したと言ったのか?」
「はい。それが何か……?」
老人はゆっくりと席を立つ。
そして確かめるような足取りで、こちらへ歩いてきた。
「お嬢さん。本当に、あなた自身が召喚したのか?」
「は、はい。そうですけど……」
「誰かに手を借りたわけでもなく?」
「一人でやりましたよ?」
「……なんと」
老人は信じられないものを見るように、わかばを見つめた。その反応に、さすがのわかばも戸惑ったらしい。
「な、なんなんですか?」
「いや……すまない。あまりにも驚いたものでな」
老人は小さく息を吐く。
それから今度は、俺へ視線を移した。
「では、お前さんが……異世界から召喚された勇者ということか?」
「ああ。まあ、一応な」
「そうか……」
老人は俺を頭から足の先までじっくりと眺めると、静かに頷いた。
「三十年前と、同じというわけか」
「三十年前?」
「かつて魔王を倒した、伝説の勇者のことだ。あの男も、お前さんと同じように異世界から召喚された」
「……やっぱりそうだったのか」
「驚かんのか?」
「まあ、俺も同じ勇者だしな。なんとなく、そんな気はしてたよ」
それよりも、さっきから気になっていることがあった。
「で、なんでわかばが俺を召喚したことに、そんな驚いてるんだ?」
「それは、勇者召喚が誰にでも使える術ではないからだ」
「え?」
声を上げたのは、わかばだった。
「そうなんですか?」
「……知らずに使ったのか?」
「はい。本に書いてある通りにやっただけなので……」
老人はしばらく言葉を失った後、呆れたように額へ手を当てた。
「勇者召喚には、術者自身に極めて特殊な資質が必要になる。どれほど魔法に秀でた者であろうと、その資質がなければ成功することはない」
「へ、へぇ……」
俺は隣に座るわかばを見る。
当の本人は、自分がどれほど珍しいことをやったのか理解していないらしく、きょとんとしていた。
「じゃあ、わかばって結構すごいのか?」
「結構どころではない」
老人は間髪入れずに答えた。
その瞬間、わかばの顔がぱっと明るくなる。
「ゆ、勇者様、どうです! これでちょっとは私の凄さがわかりましたか!?」
胸を張るわかば。
「いや、お前こそちゃんと理解してるのか?」
老人はそんなわかばを見て、わずかに苦笑した。
「私も長く魔法に携わってきたが、実際に勇者召喚を成功させた者を見たのは……三十年前、一度きりだ」
「それって……」
「当時、私が魔法を教えていた一人の少年だ。その子が伝説の勇者を召喚した」
「あんたの弟子ってことか?」
「そうだ。まだ十五歳だった」
「十五歳で勇者を召喚したのかよ……」
「あの子は私の隙をついて、好奇心から一人で術を行った」
「三十年前の勇者って、勝手に召喚されたのか!?」
「まあ……そういうことになるな」
老人は苦々しそうに頷いた。
「その子……いや、三十年前なら、もういい歳か。その人は今、何してるんだ?」
何気なく尋ねたつもりだった。
だが、その瞬間。
老人の表情がわずかに曇った。
「あの子はその後、召喚術を捨てて故郷へ戻った」
「どうして?」
「三十年前の勇者が、魔界から戻らなかったからだ」
「……」
店の中が、急に静かになった気がした。
老人はしばらく俯いた後、低い声で続ける。
「あの子は深い罪悪感に苛まれていた。自分の身勝手で、一人の人間を死なせてしまったのだと」
「そうだったのか……」
好奇心から自分が呼び出した人間が、そのまま帰ってこなかった。十五歳の子供が背負うには、あまりにも重い出来事だっただろう。
「それ以来、あの子とは会っていない。故郷へ戻った後、どうなったのかは私も知らん」
老人はそう言って、静かに目を伏せた。
「貴重な話を聞かせてくれてありがとう」
「とんでもない」
老人は首を横に振る。
「お前さんも、これから魔界へと行くのだろう? ならば、聞いておいた方がいい」
「勇者様……」
隣から、小さな声がした。
見ると、わかばが少しだけ俯いている。
さっきまでの浮かれた様子は消え、膝の上でぎゅっと手を握っていた。
「わかば、気にすんな! 俺ならだいじょ——」
ぐぅ〜。
静かな店内に、場違いなほど大きな音が響いた。
「……」
「……」
「……」
全員の視線が、わかばに集まる。
わかばは一瞬だけ気まずそうに目を泳がせると、何事もなかったかのように俺を見上げた。
「勇者様、お腹、空きました!」
「は?」




