十七本目 名前
もうすぐ陽が落ちる。
夕陽に赤く染まった街道を、俺はわかばを抱えたまま爆走していた。
避難民たちと別れてから、かなりの距離を進んだはずだ。
腕の中のわかばは大人しく俺に身体を預けている。さっきより顔色は良くなっているが、あれだけ回復魔法を使ったんだ。まだ魔力は完全には戻っていないだろう。
そろそろ休ませた方がよさそうだ。
そう思って辺りを見回す。
だが、見渡す限り続いているのは街道と草原ばかり。宿屋どころか、街らしいものすら見当たらない。
「……仕方ねぇか、今夜は野宿だな」
俺は少しずつ速度を落とし、街道脇に生えていた大きな木のそばで足を止めた。
「わかば、今日はここで休もう」
「近くに街もないですし、仕方ないですねぇ」
俺はわかばをそっと地面へ降ろすと、木の幹にもたれかかって腰を下ろした。
わかばもそのまま俺の隣へやってきて、ちょこんと座る。
「お腹空きましたねぇ〜」
わかばは自分のお腹を押さえながら、情けない声を漏らした。
「まあ、明日にはどっかの街に着くだろ」
「なんだか勇者様といる時、いっつもお腹空いてる気がするんですけど……」
「え? 俺のせいなのか?」
「ふふっ。そんなこと言ってませんよぉ」
「絶対そういう意味だっただろ」
俺が睨むと、わかばは楽しそうに肩を揺らす。
こいつ、疲れてるくせにこういう時だけ妙に元気だな。
それから俺たちは、地平線へ沈んでいく夕陽を眺めながら、そんなくだらない話をしばらく続けた。
◆
しばらくして、辺りはすっかり闇に包まれていた。俺とわかばは、拾い集めた枝で起こした焚き火を囲んでいる。
静かな夜だった。
聞こえてくるのは虫の鳴き声と、パチパチと薪の爆ぜる音くらい。
街から離れているせいか、人の声も馬車の音もまったく聞こえない。
「わぁ〜!」
ふと、隣からわかばのうっとりとした声が聞こえた。
「どうした?」
「星がとっても綺麗です!」
わかばは焚き火から顔を上げ、夜空を見つめていた。
「星か」
俺もつられて空を見上げる。
昨日も見たが、相変わらずこの世界の夜空は綺麗だ。雲ひとつない空いっぱいに、数えきれないほどの星が瞬いている。
「そういえば、この世界って星座とかあるのか?」
「星座ですか? はい、ありますよ!」
「どんなのがあるんだ?」
「ええっとぉ〜」
わかばはしばらく夜空を見回したあと、一本の指を伸ばした。
「あの赤い星ありますよね! 一番目立つやつ!」
「ああ、タバコの火の星か」
「ちょっとよく分かりませんけど……あれが頭です!」
わかばは俺の言葉を軽く流すと、そのまま星をなぞるように指を動かした。
「それで、左右にある青い星。あれが翼です!」
「ほう」
「あの星座は、火竜座っていうんですよ!」
「火竜座か」
「それと、あっちはユニコーン座で、こっちは金獅子座です!」
わかばは次々と夜空を指差していく。
「……なんだ。星座はまともなんだな」
てっきり、マルボロ座とかキャスター座とか言い出すのかと思った。
「まともって、どういう意味ですか?」
「なんでもないよ。こっちの話」
「むぅ……」
焚き火に照らされたわかばの頬が、わずかに膨らむ。そのまましばらく空を眺めていたわかばだったが、ふと思い出したようにこちらを向いた。
「そういえば、勇者様」
「ん?」
「勇者様がもともといた世界のお話、聞きたいです!」
「元の世界……か」
俺は焚き火へ視線を落とした。
赤く燃える薪を眺めていると、忘れていた元の世界の景色が、ぼんやりと頭に浮かんでくる。
まだこっちへ来て数日しか経っていない。
それなのに、随分前のことのような気もした。
「勇者様って、何か好きなこととかあったんですか? タバコ以外で!」
「タバコ以外か……」
いきなり選択肢を一つ潰された。
俺は顎に手を添え、しばらく考え込む。別にこれといった趣味が多いわけじゃない。
暇な時にやっていたことといえば――。
「ラノベとかかな?」
「らのべ?」
案の定、わかばはきょとんとした顔で首を傾げた。
「本のことだよ」
「どんな本なんですか?」
「どんなって……色々あるけど」
どう説明したものか。
異世界人にラノベを説明する機会なんて、当然今まで一度もなかった。
俺は少し考えてから、分かりやすそうな要素を適当に並べてみる。
「例えば……特別な力を授かった主人公が、美少女に囲まれて、魔法をぶっ放したりしながら、魔王を倒したりする話だよ」
「それって、今の勇者様じゃないですか!?」
「え?」
思わずわかばを見る。
言われてみれば。チートみたいな力を手に入れて、美少女と二人で旅をして、目的は魔王討伐。
「……あ、確かにな」
俺が呟くと、わかばは堪えきれないように声を上げて笑った。
「ふふっ! 勇者様、らのべの主人公みたいですね!」
「別になりたくてなったわけじゃねぇけどな」
「私もラノベ、読んでみたいです!」
「え?」
「勇者様の好きな本なんですよね?」
わかばは焚き火越しに、期待するような目で俺を見ている。その顔を見ていると、断る理由も思いつかない。
「まあ……ラノベくらいなら、いつか読ませてやるよ」
「ほんとですか!?」
ぱっと表情が明るくなる。
「そんな喜ぶことか?」
「だって、勇者様の好きなもの知りたいですから!」
「……そ、そうかよ」
真正面からそんなことを言われると、妙に気恥ずかしい。俺は誤魔化すように焚き火へ視線を戻した。
しばらく沈黙が落ちる。
パチッ、と薪が弾けた。
さっきまで気にならなかった焚き火の音が、妙に大きく聞こえる。
「あ、あの……勇者様」
「ん?」
わかばは膝を抱えたまま、なぜかこちらを見ようとせず、焚き火ばかり眺めていた。
「勇者様って、その……もとの世界に、恋人とかいるんですか?」
「こんなヤニカスにいると思うか?」
「い、いないんですか!?」
勢いよく、わかばがこっちを向いた。さっきまで目を合わせようともしなかったくせに。
「なんでそんな嬉しそうなんだよ」
「う、嬉しそうになんてしてません!」
「いや、めちゃくちゃ嬉しそうだったぞ」
「私はただ、勇者様の将来を考えて、少し心配してるだけです! 嬉しくなんかありませんよ! むしろ悲しくなってます!」
わかばは一息でそこまで言い切った。
耳まで少し赤い。
「そうか。ありがとな」
俺は適当に頷く。
その時、ちょっとした悪戯心が湧いた。
「実は彼女いるんだわ」
「え?」
わかばの顔から、さっきまでの笑顔が消えた。
分かりやすいくらい、一瞬で。
「だから俺の将来の心配なんかしなくていいぞ」
「そ、そうなんですか……」
わかばは力なく笑った。
「そ、それは……よかったですね」
そう言うと、すぐに俺から目を逸らしてしまう。膝を抱える腕にも、少しだけ力が入ったように見えた。
……思った以上に効いてるな。
「ま、嘘だけどな」
「……嘘?」
「だから、こんなヤニカスにいるわけねぇだろ」
「勇者様のばかぁ!」
「ごめんて」
「もう知りません!」
わかばはぷいっと顔を背けた。
本気で怒っているというより、拗ねているだけなのは見れば分かる。
「ったく……じゃあ今度は俺の番な」
「……なんですか?」
まだ少し不機嫌そうな声が返ってくる。
「そういや、わかばって名前、誰がつけたんだ?」
「え? お父さんですけど……」
何気なく聞いただけだった。
だが、その瞬間、わかばの表情がほんの少し曇った。
「わかば?」
「やっぱり、勇者様も私の名前、変だと思いますよね」
「え?」
「私、小さい頃、村の子供たちからよくからかわれてたんです。変な名前だって……」
わかばは膝に顎を乗せながら、揺れる炎を眺めていた。いつもの明るい口調とは少し違う。
「そうなのか」
「でも、私はこの名前好きですよ!」
そう言って、わかばは顔を上げた。
そして、いつものように笑う。
「お父さんがつけてくれた名前ですから!」
「……そっか」
その笑顔を見ているうちに、ふと、初めて会った時のことを思い出した。
召喚されて、何も分からないままこいつと出会って。名前を聞いた俺が最初に口にした言葉。
「ごめんな、わかば」
「え?」
「俺も最初、『なんでよりによって、わかばなんだよ』とか言っただろ」
「ふふっ。そんなこと覚えてたんですか?」
わかばは意外そうに目を丸くしたあと、小さく笑った。
「まあな」
「全然気にしてませんよ!」
「……わかばって、いい名前だと思うぞ」
「……え?」
一瞬、わかばが固まる。
それから、焚き火のせいだけではないだろう赤みが、ゆっくりと頬に広がった。
「……えへへ。ありがとうございます」
わかばは嬉しそうに笑うと、照れ隠しでもするように夜空を見上げた。
俺もなんとなく、同じように空を見る。
無数の星が、相変わらず静かに瞬いていた。
「そういや、わかば」
「……」
「魔王を倒したら、お前——」
返事がない。
「わかば?」
隣を見る。
「……すぅ」
「って、寝てんのかよ」
わかばは木の幹に身体を預けたまま、気持ちよさそうに目を閉じていた。
さっきまであんなに喋ってたくせに。
寝るの早すぎだろ。
俺は呆れながらも、小さく息を吐く。
……まあ、今日はあれだけ回復魔法を使ったしな。
本当なら、とっくに限界だったのかもしれない。俺は眠るわかばを横目に、木の幹へ身体を預けた。
「おやすみ、わかば」
聞こえているはずもない相手にそう呟いて、俺も静かに目を閉じた。




