十六本目 力があっても
村を出た俺たちは、南の山中にあるという聖都アストレアを目指し、街道を歩いていた。
朝からずっと歩き続けているが、辺りに見えるのは草原と、遠くに連なる山ばかりだ。目的地までは、まだまだ時間がかかりそうだった。
「勇者様!」
突然、後ろを歩いていたわかばが道のど真ん中で立ち止まった。俺も足を止めて振り返る。
「ん? なんかあったか?」
「あれ、あれやりましょうよ!」
わかばは妙に嬉しそうな顔で、俺を見上げている。
「なんだよ、あれって」
「あの、お姫様抱っこで走るやつ!」
「は?」
思わず聞き返した。
「だって、そっちの方が速いですよね!」
「お前、俺を馬か何かだと思ってないか?」
「そ、そんなことないで……って、あれ?」
言いかけたわかばの視線が、俺の横を通り越して街道の先へ向いた。
「どうした?」
俺もつられて振り返る。
遠くの街道を、大勢の人間がこちらへ向かって歩いてきていた。
一人や二人じゃない。
ざっと見ただけでも、かなりの数だ。
「あの人たち、なんでしょうか?」
「冒険者……にしては、数が多すぎるな」
集団との距離が縮まるにつれて、その姿がはっきりと見えてくる。わかばは額に手をかざし、目を細めた。
「女の人に、子供、それにお年寄りまでいます!」
「妙だな……ちょっと行ってみるか」
「はい、勇者様!」
俺たちは小走りで集団へ向かい、すぐに先頭を歩く男のもとへ辿り着いた。
「一体どうし——」
「あっ!」
俺が男に話を聞こうとした、その時だった。わかばが突然、人混みの中へ駆け出した。
「お、おい! わかば!」
慌てて後を追う。
その先には、一人の小さな女の子がいた。
母親らしき女性に手を引かれながら、足を引きずるように歩いている。
よく見ると、どこかで擦りむいたのか、細い足から血が流れていた。
「足、怪我してるじゃないですか!」
わかばは女の子の前にしゃがみ込む。それから静かに目を閉じ、手にした杖へ力を込めた。
杖の先から淡い緑色の光が溢れ、女の子の傷ついた足を優しく包み込む。
「……回復魔法か」
やがて、光が消えた。さっきまで血が滲んでいた傷口は、綺麗に塞がっている。
「はい、もう大丈夫ですよ〜」
わかばは女の子に向かって、いつものようににこっと笑った。
「あれ、痛くない」
女の子は不思議そうに自分の足を見たあと、何度かその場で足踏みする。
「ほんとだ! 痛くない!」
そして、ぱっと顔を輝かせた。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「ミア、本当によかった……!」
母親は娘を抱き寄せると、今度はわかばに何度も頭を下げた。
「本当にありがとうございます」
「いえいえ。これくらいなら大丈夫です!」
そう言って笑うわかばを横目に、俺は改めて周囲を見回した。よく見れば、怪我をしているのはこの子だけじゃない。
足を引きずる老人。
腕に布を巻いた男。
疲れ切った顔で、眠った子供を抱えている母親。
服も荷物も泥だらけだ。ただ遠出をしているだけには見えない。
「……なんだよ、これ」
「勇者様、私、ほかの人たちも診てきます!」
「お、おう」
わかばはそう言うと、怪我人を探して人混みの中へ駆けていった。俺はその後ろ姿をしばらく見送ってから、近くを通りかかった男に声をかける。
「あ、あの!」
「……はい?」
男が足を止めた。
背中には大きな荷物を背負っていて、顔にも疲れが滲んでいる。
「こんな大勢で、一体どこに向かってるんですか?」
男は一度、後ろへ続く人の列を見た。
「近くの村へ避難しているところです」
「避難って……どうして?」
その言葉を聞いた途端、男の表情が曇った。
「私たちは、住んでいた村を追われたのです」
「村を追われた?」
嫌な予感がした。
「もしかして、魔王軍か?」
「……そうです」
男は力なく頷いた。
「魔王から決められた量の野菜を納められず……村を取り上げられました」
「そ、そんな……」
思わず言葉を失う。
野菜を納められなかった。たったそれだけで、住んでいた場所まで奪われるのか。
「魔王軍は我々の家を取り壊して、あの土地に新しい畑を作るそうです」
「……は?」
腹の奥が、一気に熱くなった。
勝手に村を奪って。
家まで壊して。
そのうえ、自分たちの畑にするだと?
「その村、ここから遠いですか?」
「え?」
男が顔を上げる。
「俺が取り返してきます」
「と、取り返すって……どうやって?」
「決まってるだろ。村にいる魔王軍を追い払うんだよ」
俺は村人たちが歩いてきた方角へ目を向けた。
魔王軍が何匹いるのかは知らない。
けど、今の俺なら魔王軍なんて相手にならない。村を奪った連中をぶっ飛ばして、この人たちを家に帰してやればいい。
そう、単純な話だ。
「し、しかし! そんなことをすれば、あなたまで危険です!」
「大丈夫だよ」
俺は振り返り、男に笑ってみせる。
「俺、勇者だから」
「ゆ、勇者……?」
男は目を丸くした。
その顔を横目に、俺はさっそく村へ向かおうと一歩踏み出す。
だが——。
「待ってください!」
突然、袖を掴まれた。
「うおっ」
振り返ると、男が必死な顔で俺を引き止めていた。
「どうして止めるんですか?」
「……我々は、野菜を納められなかった。それだけで、このような目に遭いました」
男は俺の袖から手を離すと、後ろへ続く長い列を見つめた。俺もそちらへ目を向ける。
疲れ切った老人。
母親の手を握って歩く子供。
背負えるだけの荷物を抱え、黙って歩く男たち。
「もし我々が魔王軍に逆らったと知られれば……次は、どんな目に遭うかわかりません」
男の声が震える。
「今度は村を奪われるだけでは済まないかもしれない。逃げた先まで追ってくるかもしれない」
「でも、それじゃ……」
「お気持ちは、本当にありがたいです」
男は俺に向かって、深く頭を下げた。
「ですが、どうか我々のことはお気になさらず」
「……」
何も言い返せなかった。
村にいる魔物を追い払うだけなら、今の俺には簡単だ。たぶん、数分もかからない。
でも。
俺が魔物を倒して。
俺がここを去って。
そのあと、魔王軍がまた村へやって来たら?
戻ったこの人たちが、今度は反逆者として何をされるか分からない。
俺が守れるのは、その場にいる間だけだ。
ずっと、この人たちのそばにいることはできない。
「……くそ」
拳を強く握る。
目の前に困っている人たちがいるのに。
今は、その力を使うことすらできなかった。
その時、人混みの向こうで淡い緑色の光が灯った。俺の視線はそこへ吸い寄せられる。
わかばが地面に膝をつき、怪我をした老人の腕に回復魔法をかけていた。傷が塞がると、老人が何度も頭を下げる。
「もう大丈夫ですよ〜。でも、無理しちゃダメですからね!」
わかばはそう言って笑うと、すぐに次の怪我人のもとへ向かった。
一人治して。
また一人治して。
わかばは、ただ目の前の人を助け続けていた。
魔王軍を倒すわけでもない。
奪われた村を取り戻すわけでもない。
それでも。
今、困っている誰かのために、自分にできることをしている。俺はしばらく、その姿を黙って見ていた。
……なんだかな。
勇者は俺のはずなのに。
今のこの状況じゃ。
わかばの方が、よっぽど勇者らしいや。
◆
それからしばらくして。
「……よし」
最後の怪我人を治し終えたわかばが、ゆっくりと立ち上がった。
「わかば」
「はい! 勇者さ——」
ぐらり。
「おっと!」
倒れかけた身体を、慌てて受け止める。
「お、おい。大丈夫か?」
「だ、大丈夫ですぅ……」
全然大丈夫そうじゃない。顔色は悪いし、額には汗が滲んでいる。
「回復魔法、使いすぎたんじゃないのか?」
「ちょっとだけ……魔力を使いすぎちゃったかもしれません」
「ちょっとじゃねぇだろ」
「でも、みなさん怪我してましたし……」
わかばはそう言って、へにゃっと笑った。
ったく。
「ほら」
「へ?」
俺はそのまま、わかばの身体を抱き上げた。
「きゃっ!」
慌てたわかばが、俺の首へ腕を回す。
「ゆ、勇者様!?」
「歩けないだろ」
「歩けますよぉ!」
「さっき倒れかけてただろうが」
「それは……そうですけど」
わかばは俺の腕の中で、しばらくもぞもぞしていた。やがて、何かに気づいたように顔を上げる。
「あっ」
「なんだよ」
その顔が、だんだん嬉しそうに緩んでいく。
「えへへ」
「……なんだよ」
「結局、お姫様抱っこしてくれるんですね!」
「……」
そういや朝、そんな話してたな。
「これは仕方なくだ!」
「はいはい。そういうことにしておきますね〜」
「お前、元気じゃねぇか。降ろすぞ」
「ダメです!」
わかばは慌てて俺の首にぎゅっとしがみついた。
「絶対ダメです!」
「なんで二回言ったんだよ……」
まったく。
さっきまであんなに勇者らしく見えてたのに。
……やっぱ、いつものわかばだ。
俺は小さく笑うと、そのまま街道を走り出した。腕の中のわかばは、どこか満足そうに俺へ身体を預けていた。




