EP 7
応急救護処置。ダミー人形と闘気の蘇生
帝都ルナミス郊外、『ルナミス魔導自動車教習所』。
第一段階の難関である「S字クランク」をドリフトで突破し、学科教習では「敵対組織なら轢く」という極道ロジックで教官を精神崩壊させた鬼神龍魔呂は、いよいよ仮免前の必須科目である『応急救護処置』の教室へと足を踏み入れた。
床一面にクッションマットが敷き詰められた広い教室の中央には、上半身だけの人間を模した『訓練用ダミー人形』が、等間隔で何体も仰向けに寝かされていた。
「……チッ。なんだここは。抗争の後の死体安置所か?」
パジャマの上にドカジャンを羽織った龍魔呂は、並べられた人形たちを見下ろして忌々しげに舌打ちをした。
「不吉なことを言わないでください! ここは人命救助の尊さを学ぶ、神聖な教室です!」
教壇で声を張り上げたのは、元・ルナミス帝国医療部隊の出身だという、熱血漢の教官・クラークであった。彼はガッチリとした体格を持ち、「先の二人の教官は腑抜けすぎたのだ。私がこの荒くれ者を真っ当なドライバーに更生させてみせる!」と、無駄な使命感に燃えていた。
「いいですか、鬼神教習生! 交通事故の現場に遭遇した場合、救急の魔導馬車が到着するまでの数分間が、傷病者の生死を分けます! 今日はこの『ダミー太郎くん』を使って、心臓マッサージ(胸骨圧迫)と人工呼吸の手順を学んでいただきます!」
「……心臓マッサージだぁ?」
龍魔呂は、目の前に置かれた無表情なダミー人形を見下ろした。
「あぁ。抗争でタマ弾かれた若い衆の心臓を、気合で無理やり叩き起こすアレか。……得意分野だぜ。任せときな」
龍魔呂が手首をポキポキと鳴らすと、ドス黒い『阿修羅の闘気』がボワァァッ!と全身から立ち昇り始めた。
「待ってください! 気合で叩き起こすのではありません! 手の付け根を胸の真ん中に当て、深さ約5センチ沈むように、1分間に100〜120回のテンポで……」
クラーク教官が必死に正規の手順を説明しようとするが、極道の耳には届いていなかった。
「5センチ? そんな撫でるようなマッサージで、三途の川を渡りかけてる極道の魂が引き返してくるわけがねぇだろうが」
龍魔呂は、ダミー太郎くんの横に片膝をつき、右の拳を深く腰の横に構えた。
その拳には、空気を歪ませるほどの圧倒的な闘気がギュルルルッと収束していく。
「生死の境を彷徨う魂を現世に引き戻すには……魂そのものを震え上がらせる『理不尽な暴力(喝)』が必要なんだよ!」
「えっ、ちょ、鬼神教習生!? その構えは……ッ!?」
「極道流・応急救護――『蘇生正拳突き(カチコミ・マッサージ)』!!」
ドゴォォォォォォォォォンッ!!!!!
龍魔呂の右ストレートが、ダミー太郎くんの胸の中央に、マッハの速度で深々と突き刺さった。
バキィィィィィィッ!! メキョォォォォォッ!!
教室中に、乾いた硬質プラスチックと内蔵スプリングが完全に粉砕される、絶望的な破壊音が響き渡る。
「あ、あああぁぁぁっ……!」
クラーク教官の目が、限界まで見開かれた。
5センチどころではない。龍魔呂の拳は、ダミー人形の胸部パーツを完全に貫通し、背中側のマットまで到達していた。ダミー太郎くんの肋骨にあたるパーツは粉々のチリと化し、胸にはポッカリと風穴が空いている。
「……ふぅ。これで心臓もビックリして動き出すはずだ」
龍魔呂は貫通した右腕を引き抜き、フッと息を吐いた。
「動くわけないでしょうがぁぁぁっ!! 即死! 即死です! むしろあなたが今、ダミー太郎くんのトドメを刺しましたよね!? 心臓マッサージで胸に風穴空ける人間がどこにいるんですかぁぁっ!」
熱血だったクラーク教官が、頭を抱えて泣き叫んだ。
「……チッ、柔な野郎だ。これくらいでヘタるようなら、極道の世界じゃ生きていけねぇぞ」
「ダミー人形は極道じゃありません!!」
「はーい、みんな見てるー? おじさんの心臓マッサージ、完全に暗殺拳でーす! 太郎くん、無事に天に召されましたー!」
天井付近を飛び回るキュララのドローンが、胸に大穴の空いたダミー人形をズームアップで生配信している。
コメント欄は爆笑の嵐だ。
『完全にトドメ刺しにいってて草』
『蘇生(物理破壊)』
『北斗の拳かな?』
『太郎くん、安らかに眠れ……』
「……ぜぇ、ぜぇ……。い、いいでしょう。胸骨圧迫は、あなたの……その、極めて独自のスタイルがあるということで、一旦置いておきます……」
クラーク教官は、胃薬をボリボリと噛み砕きながら、震える手で次の手順を示した。
「つ、次は『人工呼吸』です。気道を確保し、鼻をつまんで、息を約1秒間、胸が上がるのを確認しながら吹き込みます。……さぁ、やってみてください!」
「……あぁ?」
龍魔呂の顔が、これ以上ないほどに険しく歪んだ。
「おい、教官。てめぇ、俺にこの無機質なビニールの人形と『口づけ』を交わせって言ってんのか?」
「き、救命処置です! 口づけという表現は語弊があります!」
「冗談じゃねぇ。俺の唇はな、カタギの女には手を出さねぇ、極道としての純潔が詰まってんだ。こんなプラスチックの塊に口をつけるくらいなら、俺の肺活量で遠隔から空気をネジ込んでやる」
龍魔呂が、極道の意地(謎の潔癖症)を見せて断固拒否しようとした――まさにその時だった。
「……なんですって?」
教室の隅で見学していたヤンデレ村長キャルルのウサギ耳が、ピクン!と垂直に逆立った。
彼女の青い瞳から光が消え、底なしの漆黒のヤンデレオーラが、教室の空気を一瞬にして氷点下まで凍てつかせた。
「龍魔呂様の、唇……? それを、あのビニール製の雌(泥棒猫)が、奪おうとしている……?」
ギチリ、ギチリ……!
キャルルが腰のダブルトンファーを引き抜く。タローマン製の特注安全靴に、一億ボルトの紫色の電撃がバチバチと迸り始めた。
「ひぃッ!? な、なんですかあのウサギの女の子は!? ものすごい殺気が……っ!」
クラーク教官が悲鳴を上げる。
「許しませんわ……」
キャルルの声は、地を這うような呪詛のトーンだった。
「龍魔呂様の尊き唇を、こんな安物のダミーごときが味わうなど……万死! 万死に値しますわ! 月影流――『泥棒猫・解体ショー』!!」
ズババババババババッ!!!!
マッハの速度で踏み込んだキャルルのダブルトンファーが、残されていたダミー太郎くんの頭部を、スイカ割りのように木っ端微塵に粉砕した。
シリコンの破片とビニールが、教室内を悲惨に舞い散る。
「あああぁぁぁっ! 太郎くぅぅんっ! 顔面が! 顔面が消し飛びましたぁぁっ!」
クラーク教官が膝から崩れ落ちる。
「ふふっ……これで、龍魔呂様の唇を奪う障害は排除されましたわ……」
キャルルは、首のないダミー太郎くんの残骸を安全靴で蹴り飛ばすと、自らそのクッションマットの上にコロンと仰向けに寝転がった。
そして、目をギュッと閉じ、唇をタコのように尖らせて、全身をプルプルと震わせ始めたのだ。
「あぁっ! なんだか急に息が……息が苦しくなってきましたわ! 誰か……誰か私に、極上の『人工呼吸』を! できれば、ドカジャンを着ていて、タバコの香りがする素敵な極道のおじ様の人工呼吸が、今すぐ、最低でも5分以上必要ですわぁっ!」
完全に「ヤンデレの自作自演」である。
訓練用のダミーを破壊し、自らがダミー人形の代わりとなって、龍魔呂の唇(人工呼吸)を合法的に強奪しようという、恐るべき執念であった。
「さぁ、龍魔呂様! 私の気道は完璧に確保されています! 鼻もつまんで構いませんわ! さぁ、命の息吹を、遠慮なく私の口内に……っ!」
キャルルがマットの上で唇を突き出し、ウネウネと悶えている。
「……たく、どいつもこいつも、俺のシノギ(教習)を邪魔しやがって」
龍魔呂は深くため息をつくと、真鍮製のライターをポケットにしまい、マットで悶えるキャルルの前へと歩み寄った。
「来ましたわ! ついに……私の初恋が、教習所のマットの上で実る時が……っ!」
キャルルが期待に胸を膨らませた、次の瞬間。
トスン。
「……あべしっ♡」
龍魔呂の左手刀が、キャルルの首筋のツボ(気絶ポイント)を極めて正確に捉えた。
極道流・峰打ち『おねんねコンプライアンス』である。
キャルルは突き出した唇をそのままに、白目を剥いて幸せそうにスヤスヤと眠りに落ちた。
「人工呼吸は不要だ。……気絶させて寝かせるのが一番の治療だからな」
龍魔呂は気絶したウサギを無造作に担ぎ上げると、白目になりかけているクラーク教官を見下ろした。
「おい教官。人形は壊れたが、俺の『蘇生術』は十分見せただろ。ハンコ、キッチリ押しとけよ」
「ヒッ……! は、はいぃぃっ! 完璧な救護(物理)でしたぁぁっ!」
クラーク教官は、涙で教習原簿を濡らしながら、震える手で『応急救護処置・合格』のスタンプを狂ったように連打した。
配信のコメント欄は、限界突破の盛り上がりを見せている。
『ヤンデレの自作自演www』
『ダミー人形に嫉妬して破壊するヒロイン初めて見たわ』
『おねんねコンプライアンスの汎用性の高さよ』
『教官の精神がまた一人崩壊した……』
「よし。これで所内のカリキュラムは全部終わりだな」
龍魔呂は、ハンコで真っ赤に染まった教習原簿をバサリと奪い取り、ドカジャンの肩で風を切りながら教室を後にした。
所内教習における全ての常識と教官の精神を、極道コンプライアンスで完膚なきまでに叩き潰した龍魔呂。
彼はついに仮免を取得し、次なる舞台――『帝都の一般道(路上教習)』へと、その重い安全靴の足を踏み出そうとしていた。
そしてそこには、極道農家の車を「煽る」という、この世で最も愚かな行為を働く命知らずの貴族が、待ち構えているのであった。




