EP 5
S字クランクと、屋根の上のヤンデレ
キーーーーンコーーーーンカーーーーンコーーーーン……。
帝都ルナミス郊外、『ルナミス魔導自動車教習所』に、午後一番の教習開始を告げるチャイムがのんびりと響き渡った。
だが、配車カウンターの前だけは、まるでこれから重大な抗争の容疑者が保釈されるかのような、異常な緊張感に包まれていた。
「えー……鬼神龍魔呂教習生。前の時間に担当したバルト教官ですが、極度の精神的疲労(※キャルルによるアキレス腱切断の脅迫)により、現在、教習所の保健室で点滴を受けておられます。白髪も元に戻りそうにありません」
受付の事務員が、涙目になりながら配車券(教官の割り当て券)を差し出す。
「よって、今時間の技能教習は、代わりの教官が担当いたします」
「あぁ? バルトの野郎、サボりか。ヤクザの若い衆なら焼きが回ってるところだぞ」
パジャマの上にドカジャンを羽織り、首にタオルを巻いた極道農家・鬼神龍魔呂が、配車券をひったくるように受け取った。券に印刷されていた名前は――『ミリア』。
「初めまして! 今時間、担当させていただきます、ミリアです! よろしくお願いしまぁす!」
カウンターの奥からトコトコと現れたのは、ルナミス教習所に配属されたばかりの、うら若き新人の女性教官であった。短いスカートの制服に、栗色の髪をサイドポニーに結んだ彼女は、いかにも「明るく元気な新米お姉さん」という雰囲気を醸し出している。
だが、ミリア教官の眩しい笑顔は、龍魔呂と目が合った瞬間に、完全にフリーズした。
「……おう。鬼神だ。よろしく頼むぜ、ねーちゃん」
龍魔呂が顔の半分にドス黒い影を落とし、ドスの利いた声で挨拶する。その背後からは、肉眼で見えるほどの赤黒い『阿修羅の闘気』がボワァァッ!と立ち昇っていた。
「ひ……っ。パ、パジャマにドカジャンの教習生……!? これ、事務員さんが言ってた『本職のサイコパス』の人じゃ……っ!」
ミリア教官の顔面から、一瞬にして血の気が引いていく。
だが、地獄はそれだけでは終わらなかった。
龍魔呂のすぐ隣。ウサギ耳をピンと垂直に逆立てた少女――ヤンデレ村長のキャルルが、マークシート用の鉛筆を指の力だけでパキィッ!と真っ二つに折りながら、ミリア教官を針のような視線で睨みつけたのである。
「……泥棒猫」
「ひゃぅっ!?」
「龍魔呂様がせっかく合法的なライセンス(免許)を取得しようと歩み寄ってくださっているというのに……このような、男を誘惑するためだけに作られたようなサイドポニーの雌が助手席に座るだなんて。……許せませんわ。万死、万死に値しますわ……っ!」
キャルルの青い瞳から完全に光が消え失せ、ドス黒い漆黒のヤンデレオーラがハウス栽培のキノコのようにモクモクと湧き上がり始める。
「あ、あの! 今回の教習は、第一段階の難関である『S字コース』と『クランクコース』の実技を行います! 狭い通路での高度なハンドル操作が必要なため……大変申し訳ありませんが、危険防止(と私の命の保障)のため、後部座席への同乗はお断りさせていただきますぅぅっ!」
ミリア教官は、受付の事務員から渡されていた『対ヤンデレ用・特別防衛マニュアル』に従い、震える声でキャルルの同乗を拒絶した。
「チッ、聞こえたかウサギ。ルール(同乗拒否)なら仕方ねぇ。てめぇはロビーでリーザと一緒に、無料のココアでもタッパーに詰めてろ」
「……分かりましたわ、龍魔呂様。ルールはコンプライアンス(龍儀)ですものね。キャルル、大人しくロビーで待っていますわ♡」
キャルルは一瞬にして外面を『星の王子様』のような純粋な笑顔へと切り替えると、丁寧に一礼してロビーの方へと歩いていった。
「ふぅ……。なんとか引き下がってくれましたね。さぁ、鬼神様、教習車へ向かいましょう!」
ミリア教官はホッと胸を撫で下ろし、龍魔呂を案内して外の教習車へと向かった。
だが、彼女はまだ知らなかった。
ヤンデレのウサギが、「大人しく引き下がる」などという奇跡は、このアナステシア世界には絶対に存在しないということを。
◇ ◇ ◇
ルナミス教習所・特殊難関コースエリア。
教習車の運転席に座った龍魔呂は、シートの背もたれを限界まで後ろに倒した『極道座り』の体勢をとり、左手一本だけでハンドルの頂点を鷲掴みにしていた。
「ルームミラーよし。サイドミラーよし。……カチコミ(発進)だ」
ブォォォォォォンッ!
魔導エンジンがドスの利いたアイドリング音を響かせ、教習車がゆっくりと発進する。
「は、はい! まずは手前の『S字コース』に入ります! 時速5キロ以下の徐行で、タイヤの位置を意識しながら、ゆっくりと曲がって……」
助手席のミリア教官が、緊張でバインダーを胸に抱きしめながら指示を出した、その瞬間だった。
ドンッ!!
突如として、教習車の天井(屋根)から、何かが激しく叩きつけられたような重い衝撃音が響き渡った。車体がサスペンションごとギシィッ!と大きく沈み込む。
「な、何事ですか!? 上空から魔物でも落ちてきたんじゃ……っ!」
ミリア教官が悲鳴を上げて上を見上げる。
ズリズリ……ズリズリズリ……。
教習車のフロントガラスの上部から、何かがゆっくりと『逆さま』になって降りてきた。
それは、2本の長いウサギの耳。
続けて、タローマン製の特注安全靴で屋根にガッチリと張り付き、スパイダーマンのように教習車の天井にしがみついた、キャルルの顔であった。
ガラス越しに、ミリア教官とキャルルの目が至近距離でバチッと合った。
キャルルは、フロントガラスに自身の頬をペタァァァッと押し付け、瞳孔の完全に開いた漆黒のヤンデレの目で、助手席のミリアをじっと見つめながら、不気味にニタリと微笑んだ。
『み……つ……け……ま……し……た……わ……泥……棒……猫……♡』
ガラス越しに響く、呪いのようなテレパシーの声。
「ひゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっーーーーー!!!!」
ミリア教官は、あまりの恐怖にバインダーを車内にぶちまけ、シートの奥へと全力で背中を押し付けて絶叫した。
「窓の外にウサギが生えてます! 逆さウサギが私を見て笑ってます! お母さん助けてぇぇぇっ!」
「チッ……あのバカ娘、屋根の上にへばりついてやがるな」
龍魔呂は、フロントガラスを遮るキャルルの姿をルームミラー越しに一瞥し、深くため息をついた。
「おい、ねーちゃん。前が見えねぇから、ワイパー動かしていいか?」
「ワイパーで撥ねられるレベルの怨念じゃありませんあれはぁぁぁっ!」
『あはははは! 龍魔呂様、素晴らしいドライビングテクニックですわ! この密室で泥棒猫と何を話しているのか、私、屋根の上からずぅぅぅっと、一言一句聞き漏らさずに監視していますからねぇぇっ!』
キャルルは安全靴のつま先に仕込まれた電撃の闘気で教習車のルーフを磁石のようにガッチリ吸着しており、時速20キロ程度の風圧ではビクともしない。
「……たく、五月蝿ぇハエ(ウサギ)だぜ。……おい教官、しっかり掴まってな」
龍魔呂の目が、ギチリと般若の表情へと切り替わった。
「あそこの難関コース(S字クランク)の遠心力を使って、あの外道をまとめて振り落として(収穫して)やる」
「え……? 鬼神様、まさか、あの狭いコースで速度を……?」
ミリア教官が引きつった顔で助手席の補助ブレーキに足を伸ばそうとしたが、それよりも龍魔呂の『極道コンプライアンス(理不尽)』の踏み込みの方が遥かに早かった。
「極道流・慣性ドリフト――『クランク特攻』!!」
ドゴォォォォォォォォォンッ!!!!!
龍魔呂がアクセルペダルを床板が抜けるほどの勢いでベタ踏みした。
魔導エンジンが「ギュオォォォォォン!」と狂ったような爆音を上げ、ただの教習車が、時速60キロを超える猛スピードで、本来は徐行で進むべき『S字カーブ』の入り口へと突っ込んでいった。
「ひぎゃぁぁぁぁぁっ! 減点! 速度超過で一発検定中止ですぅぅぅっ!」
ミリア教官の髪が、急加速のGで後ろへと激しく引っ張られる。
だが、龍魔呂の左手一本(極道ハンドリング)の手首のスナップが、常軌を逸した速度でステアリングを右へ、左へと激しく切り返した。
キキィィィィィィィィィッ!!! ガガガガガガッ!!!
激しいスキール音と共に、教習車の4本のタイヤから、焦げたゴムの臭いとドス黒い闘気の火花が爆発的に吹き上がる。車体は完全に横滑り(ドリフト)の状態になりながら、S字の狭い曲線を、まるで一本の滑らかな線を描くように、マッハの速度で駆け抜けていく。
「脱輪……してない……!? あの狭いS字を、ドリフトで、一ミリのブレもなくクリアしていくなんてぇぇっ!?」
ミリア教官は、恐怖のあまり涙をボロボロと流しながら、狂気的なドライビングテクニックを目の当たりにして絶叫した。
しかし、本当の地獄はその先に待つ、直角の超難関『クランクコース』であった。
幅わずか3メートルの、直角に折れ曲がった迷路のようなクランク。時速60キロで突入すれば、普通はそのまま正面のコンクリート壁に激突して廃車である。
「仕上げだ、ねーちゃん。……舌噛まねぇように気をつけな」
龍魔呂は不敵に笑うと、コーナーの手前でサイドブレーキをガツンと引き上げ、同時にハンドルを直角に叩き込んだ。
ズババババババババババッ!!!!
車体が、直角の角を中心に、コマのように高速で180度旋回を始めた。
フロントバンパーの先端が、クランクの縁石から『わずか1ミリ』という、神業を越えた極限の間隔を保ったまま、完璧な慣性スライドで直角コーナーを次々とクリアしていく。脱輪など一回もしない。内輪差の計算など、極道の空間把握能力(喧嘩の間合い)の前には呼吸と同義だった。
「キャーッ! 最高ですわ、龍魔呂様! まるで遊園地のアトラクション(絶叫マシン)のようですわぁぁっ!」
屋根の上のキャルルは、凄まじい横Gで身体が真横に吹き飛ばされそうになりながらも、安全靴の磁力でルーフにしがみつき、髪を振り乱して大喜びで嬌声を上げていた。全く振り落とされる気配がない。
「なんで張り付いたままなのよぉぉぉっ! もう嫌ぁぁぁっ! ブレーキ踏ませてぇぇぇっ!」
助手席のミリア教官は、窓の外の狂ったウサギと、時速60キロで直角を曲がり続ける重力加速度、そして密室の極道の殺気により、脳の処理能力が完全に限界を迎えた。
――プチュン。
ミリア教官の脳内のブレーカーが、静かに落ちた。
彼女は白目を剥き、口の端からカニのようにブクブクと白い泡を吹き出しながら、シートの横へと力なく崩れ落ち、完全な気絶状態(精神崩壊)となった。
「はーい、みんな見てるー? おじさんのクランクドリフト、マジで神懸かってまーす! 教官のお姉さんは泡吹いて死んじゃいましたー! チャンネル登録よろしくねー!」
上空では、キュララのドローンがその狂気の教習風景を全編4K画質で生配信しており、ゴッドチューブのコメント欄は、かつてないほどの大爆発を起こしていた。
『教習所でやるドライフトじゃねぇwww』
『脱輪どころか時空が歪んでるww』
『屋根の上のウサギの吸着力が一番のバグだろこれ』
『教官の精神的死亡を確認www』
キィッ……。
クランクコースを完璧な減速で抜け切った教習車は、何事もなかったかのように、所内の発着所へと静かに停車した。脱輪ゼロ、ポールへの接触ゼロ。走行データ上は『完全なるノーミス(満点)』であった。
「……チッ。結局、ウサギは振り落とせなかったか」
龍魔呂はサイドブレーキを引き、シフトをPに入れると、首のタオルで汗を拭い、真鍮製のライターをカチリと鳴らした。
隣を見ると、ミリア教官がシートベルトに吊るされた状態で、ピクピクと痙攣しながら眠っている。
「おい、ねーちゃん。教習終了だ。……ハンコ、キッチリ押しといてくれよな」
龍魔呂は、気絶した教官のバインダーから教習原簿を抜き取ると、何事もなかったかのように車を降りた。
難関のS字クランクを、教官を物理的に全滅させながらも『データ上は満点』でクリアした極道農家。
だが、教習所の試練はまだ中盤だ。次なる学科授業や、人形を使った『応急救護処置』という名の、さらなる大爆笑の崩壊劇が彼らを待ち受けていることを、この時の神々(リスナー)は、まだ誰も予測していなかったのである。
読んでいただきありがとうございます。
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