EP 3
初めての乗車。極道ハンドリングと涙の教官
帝都ルナミス郊外、『ルナミス魔導自動車教習所』の広大な所内コース。
初夏の陽射しがアスファルトを照りつける中、一台の教習車(セダンタイプの標準的な魔導車)の前に、絶望的なコントラストの三人が立っていた。
「……えー。そ、それでは、鬼神教習生。これより第一段階、初回の技能教習を開始します」
ガチガチと歯を鳴らし、汗だくになりながらバインダーを抱えているのは、担当教官であるバルト(元・帝国騎士交通機動隊)。適性検査で機械を爆発させた『サイコパス(反社)』と『極度のヤンデレ』を前に、彼の胃袋はすでに限界を超えて千切れそうになっていた。
「おう。よろしく頼むぜ、教官。……安心しろ、俺は筋の通った安全運転しかやらねぇからよ」
パジャマの上にドカジャンを羽織り、首にタオルを巻いた極道農家・鬼神龍魔呂が、真鍮製のオイルライターを鳴らしながらニヤリと笑う。
「はいっ! 龍魔呂様の運転する馬車(車)に乗れるなんて、光栄の極みですわ! 私、後部座席から一秒たりとも瞬きせずに、龍魔呂様の勇姿を見守らせていただきます!」
ヤンデレ村長のキャルルが、ウサギ耳をピコピコと揺らしながら、すでに後部座席のドアノブをがっちりとホールドしている。
「で、では……まず乗車前の『安全確認』からです。車の周囲を回り、障害物や異常がないかを確認してください」
バルト教官が震える声で指示を出すと、龍魔呂は無言で頷き、車の周囲を歩き始めた。
ガンッ! ガンッ!
「……チッ。タイヤの空気圧は問題ねぇな。だが……」
龍魔呂は突然、教習車の車体の下にスライディングで潜り込み、シャーシの裏側を鋭い眼光で睨みつけ始めた。
「な、何をしているんですか鬼神教習生!?」
「……決まってんだろ。敵対組織(他の農家)に『爆弾』や『発信機』を仕掛けられてねぇかの確認だ。極道にとって、車に乗る瞬間が一番命を狙われやすいからな」
「仕掛けられてません!! ここは平和な教習所です!!」
車の下から這い出てきた龍魔呂は、服の砂を払い、運転席のドアを開けた。
そして、巨体を押し込むようにしてシートに座ると、即座にシートのリクライニングレバーを引き上げた。
バタン。ギュギギギギッ!
運転席の背もたれが、後部座席のキャルルの膝にぶつかるギリギリの『約135度』という、極めて深い角度まで一気に倒された。
「……鬼神教習生。そ、そのシートの角度は……」
「あぁ? これが一番落ち着くんだよ。背筋を伸ばして運転なんて、肩が凝ってしょうがねぇだろうが」
深くシートに沈み込んだ龍魔呂。右腕の肘を窓枠にどっかりと乗せ、左手一本だけでハンドルの『12時の位置』を上から鷲掴みするようにホールドする。
それは、教習所で最も忌み嫌われる不良の運転姿勢――通称『極道ハンドリング』の完全なる完成形であった。
「……ッ!」
助手席に乗り込んだバルト教官は、息を呑んだ。
車という密室空間。隣から放たれる、顔の半分が影に隠れた大男のドス黒い殺気。
ただ座っているだけなのに、まるで組長専用車の隣で拳銃を突きつけられているかのような錯覚に陥り、教官の足元はガタガタと震え、無意識のうちに助手席側の『補助ブレーキ』に足を乗せていた。
「あぁ……龍魔呂様……シートを倒したことで、龍魔呂様の後頭部と私の顔の距離がこんなにも近くに……っ。シャンプーの良い香りがしますわぁっ……♡」
後部座席では、キャルルが龍魔呂のヘッドレストに頬をすり寄せ、スーハースーハーと危険な呼吸音を立てている。完全に隔離病棟の空気だ。
「……えーと、では、エンジンをかけてください」
「おう」
キュルルルッ、ブォォォォン!!
魔導エンジンが唸りを上げる。龍魔呂の闘気が魔力石に過剰に流れ込んだせいか、ただの教習車のはずが、まるで重戦車のようなドスの利いたアイドリング音を響かせ始めた。
「ルームミラー、サイドミラーの確認をお願いします」
「……」
龍魔呂は鋭い目でルームミラーを睨みつける。
「よし。……背後に怪しい尾行の姿はねぇ。シマの風紀は異常なしだ」
「サツとか言わないでください!!」
「それじゃあ、出すぜ」
龍魔呂がシフトレバーを乱暴にDに入れ、サイドブレーキを下ろす。
「お、お待ちください! 発進前の目視確認と、声出し喚呼が抜けています!」
バルト教官が慌てて指摘する。
「あぁ? 面倒くせぇな。……『右よし、左よし』ってヤツか?」
「そうです! では、一緒に行きましょう。右よし! 左よし! 出発!」
教官の言葉に合わせ、龍魔呂は首を左右に振って確認動作を行った。
そして、極道のドスを利かせた低く重い声で、車内に響き渡るように宣言した。
「右、ヨシ。……左、ヨシ。……カチコミ、行くぞ」
ヒィッ!?
バルト教官の心臓が跳ね上がった。
『出発』が『カチコミ(襲撃)』に変換されている。これから向かうのは教習所の外周コース(時速30キロ)のはずなのに、この男の頭の中では、完全に『対立組織の事務所への突撃』のシミュレーションが出来上がっているのだ。
ズウンッ……!!
教習車が、重々しく発進した。
極道ハンドリング(左手一本)でステアリングを握る龍魔呂の眼光は、路上に潜む暗殺者を警戒するかのように鋭く前方を見据えている。
「おおっ! 素晴らしい加速ですわ、龍魔呂様! 風を切るようです!」
後部座席でキャルルが拍手喝采を送っている。
だが、実際の教習車の速度は『時速10キロ』であった。
グオォォォォン……(ノロノロノロ……)
「……チッ。なんだこの車。アクセル踏んでんのに、えらく重てぇじゃねぇか。エンジンがカブってんのか?」
龍魔呂が舌打ちをして、ルームミラー越しに教官を睨みつける。
「い、いやっ! そ、そんなことはありませんよ!? 安全運転で素晴らしい速度です!」
バルト教官は、顔面を滝のような汗で濡らしながら、引きつった笑顔を返した。
当然である。教官の左足は今、助手席の『補助ブレーキ』を、親の仇のように全力で踏みしめているのだから。
(無理だ! この男の横顔から放たれるプレッシャーが異常すぎる! これ以上速度を出されたら、絶対にそのまま教習所の壁を突き破って、どこかの事務所に突っ込むに違いない!)
元帝国騎士の防衛本能が、ブレーキから足を離すことを全力で拒絶していた。
「……おい、教官」
突然、後部座席のキャルルが、教官の耳元にスッと顔を近づけてきた。
「ひぃッ!?」
「さっきから、龍魔呂様の滑らかなドライビングを、貴方のその汚い足(補助ブレーキ)で邪魔していませんこと……?」
キャルルの声は氷のように冷たく、そのウサギ耳は怒りでピンと逆立っている。
彼女は、教官のシートの背もたれ越しに、腰のダブルトンファーの柄をチラつかせた。
「龍魔呂様がせっかく気持ちよくカチコミ……いえ、運転をしているというのに、勝手にブレーキを踏むなど、不敬の極み。……次、その足を一ミリでも動かしたら、貴方のアキレス腱を月影流・破衝撃で切断しますわよ?」
「ひぎぃッ!?」
前からは極道のプレッシャー。後ろからはヤンデレの殺気。
教習車という密室の中で、バルト教官は完全に『挟み撃ち』にされていた。
「お、おい教官。さっきから変な声出して、どうした? 腹でも痛てぇのか?」
左手一本でハンドルを回しながら、龍魔呂が怪訝そうに尋ねる。
「な、なんでもありませんッ! 素晴らしいハンドルさばきです! 補助ブレーキなんて踏んでません! 踏んでませんからぁぁっ!」
バルト教官は涙をボロボロと流しながら、震える足をブレーキから離した。
ブォォォォォォンッ!!
ブレーキの抵抗が消えた教習車は、時速30キロの外周コースへと元気よく飛び出していった。
左腕一本でハンドルを回し、顔半分にドス黒い影を落としながら、交差点の人形(ダミー歩行者)を「どけ、轢くぞ」という目で睨みつけながら進む極道農家。
そして、その後部座席で「素敵ですわぁっ!」と嬌声を上げるヤンデレのウサギ。
教習初日のわずか50分間。
それが終わる頃には、助手席のバルト教官の黒髪は、極度のストレスによって真っ白な白髪へと変貌を遂げていたという。
だが、これはまだ、極道教習録のほんの序章に過ぎなかったのである。
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