EP 10
極道流・生搾り果汁メロンパンと、白ジャージの誓い
翌朝、午前五時。
ポポロ村の東の空が、ゆっくりと白み始める頃。
村長宅の広い厨房には、カチリ、という真鍮製ライターの音と共に、一本のマルボロの紫煙が静かに立ち昇っていた。
「……パン作りってのはな、組織の若い衆の根性を叩き直すのと同じだ。しっかりと捏ねて、粘り(根性)を出さなきゃ、目の詰まった良い生地にはならねぇんだよ」
俺――鬼神龍魔呂は、パジャマの袖を肩まで捲り上げ、巨大な木製のこね鉢の前に立っていた。
鉢の中には、ルナミス帝国特産の高級小麦粉、新鮮な有精卵、そして――昨日、隔離ビニールハウスでの大粛清によって回収された、数百リットルにおよぶ『プリンスメロロンの純粋生搾り果汁』がたっぷりと注がれている。
俺のパン作りには、水を一滴も使わねぇ。
水分はすべて、あの魔性のホストどもから剥ぎ取った、天然の甘みと水分だけで賄う。
ドス黒い『極道の闘気』を両手に纏わせ、粘り気が出るまで何度も、何度も、木製の大鉢に生地を叩きつける。
バシィンッ! バシィンッ!
厨房に響く重い打撃音。これは調理の音ではない。食材に対する、極道農家としての『教育(捏ね)』であった。
一次発酵を終え、ふっくらと膨らんだ内側のパン生地を均等に分割する。
続けて、外側を包むための『クッキー生地』の仕込みだ。シープピッグの濃厚な特製塩バターに砂糖を混ぜ、昨日細かく刻んでおいたメロロンの完熟果肉(エメラルドグリーンとサンセットオレンジの二色)を贅沢に練り込んでいく。
内側のパン生地を、この特製クッキー生地で優雅に包み込む。
そして、仕上げだ。俺は手にした極道出刃包丁の背を使い、丸い生地の表面に、スッ、スッと縦横に線を刻んでいく。
「本物の『網目』ってのはな……こうやって、自分の手でキッチリ刻み込むもんだ」
昨日、神々をたぶらかしたプリンスメロロンの網目は、まやかしのメッキだった。だが、今、俺の包丁によって刻まれた格子模様の網目は、焼き上がった時に最高の食感を生み出すための、合理的で美しい「規律」そのものであった。
魔導オーブンの予熱が完了し、天板に並べられた数十個のメロンパンが、次々と熱炉の中へと滑り込んでいく。
十分後。
厨房の排気口から、ポポロ村の朝の空気の中へと、暴力的なまでの『香ばしく、甘い香り』が溢れ出した。
それは、昨日ハウスを支配していた脳を溶かすような怪しいホストの匂いではない。バターの塩気、小麦の焼ける芳ばしさ、そして完熟メロンの純粋な甘みが完璧に調和した、人間の原始的な食欲を心の底から叩き起こす、本物の『メシの匂い』だった。
◇ ◇ ◇
「う、うぅぅ……。頭が、割れるように痛いですわ……」
同じ頃、村長宅の広い畳の部屋で、真っ白な芋ジャージを着た天使長ヴァルキュリアが、ふらふらと上体を起こした。
彼女の隣では、ピンクジャージのルチアナと紫ジャージのカグヤが、頭を押さえながら「あべしっ……」「ふえぇっ……」と、寝ぼけた声を上げている。さらにその横では、ヤンデレ村長のキャルルが「龍魔呂様……浮気は……めっ、ですわ……」と、涙目でうなされながら人参柄の枕を抱きしめていた。
「私……昨日は一体、何をしていたのかしら……」
ヴァルキュリアは、泥とメロン果汁で薄汚れたジャージの袖を見つめ、記憶を手繰り寄せようとした。
パチンコで大負けし、借金を背負い、高時給のメロン畑に行き――そこからの記憶が、酷く朧気だった。何か、もの凄く甘い声のホストに縋り付いて泣いていたような、そしてその後、防毒マスクを被った『最強の理不尽』に首筋をドスッと突かれて意識を失ったような、最悪の断片的な記憶だけが残っている。
「あっ……! ちょっと、何この匂い……!? めちゃくちゃ良い匂いがするんだけど!」
ルチアナが、鼻をヒクヒクさせながら飛び起きた。
「ええ……。昨日浴びた、あの嫌らしいメロンの匂いじゃありませんわ。もっと……もっとこう、パン屋の朝の、脳髄が震えるような芳ばしい香りでしてよ……」
カグヤも、よだれを垂らしながら立ち上がる。
四人の芋ジャージ(白・ピンク・紫、そして気絶から覚めたキャルル)は、まるで見えない糸に引っ張られるゾンビのように、フラフラと厨房へと歩いていった。
厨房の扉を開けると、そこには、大きな木製テーブルの上に、山のように積まれた『それ』が鎮座していた。
「お前ら、目が覚めたか。……ケジメの朝飯だ。とっとと座って食いな」
俺は防毒マスクを外し、タオルで汗を拭いながら、焼き立てのパンを指差した。
「こ……これは……メロンパン、ですか……?」
ヴァルキュリアが、おそるおそるテーブルに近づく。
そこに並んでいたのは、彼女たちが今まで見てきた下界のどんな安価な菓子パンとも違う、芸術品のような『極道特製・生搾り果汁メロンパン』であった。
外側のクッキー生地は、完璧なきつね色に焼き上げられ、大粒の高級砂糖が朝露のようにキラキラと輝いている。色は、完熟果肉を練り込んだ鮮やかなエメラルドグリーンと、濃厚なサンセットオレンジの二色。包丁の背で刻まれた網目模様は、一ミリの狂いもなく美しく立ち上がっていた。
「水は一切使ってねぇ。昨日てめぇらが沼に嵌まってた、あのメロンの生搾り果汁だけで練り上げたパンだ。……ほら、冷めないうちに形つけろ」
俺がそう言って、並々と注がれた冷たい『ポポロミルク』のグラスを人数分置くと、神々は生唾をゴクリと飲み込み、それぞれのメロンパンを両手でそっと持ち上げた。
焼き立てのパンは、驚くほどに熱く、そして信じられないほどに軽い。
ヴァルキュリアは、泥のついた白ジャージの袖で口元を拭うと、意を決して、そのエメラルドグリーンのメロンパンにかじりついた。
カリッ……。サクゥゥゥッ……!!!
静かな厨房に、完璧なまでの『破裂音(食感)』が響き渡った。
外側のクッキー生地が心地よく砕け、次の瞬間、中から溢れ出したのは、これまでに体験したことのないほどの、圧倒的な『みずみずしさと芳醇な甘み』であった。
「――――ッッッ!!!!」
ヴァルキュリアの青い瞳が、限界まで見開かれた。
全身の毛穴が、一斉に開き、脳内を閃光のような衝撃が駆け抜ける。
美味い。
美味すぎる。
水を一滴も使わず、メロン果汁だけで練り上げられた内側のパン生地は、まるでシルクのようにしっとりとフワフワで、噛むたびに濃縮された完熟メロンの爆発的な旨味が、ジュワァァッと口いっぱいに広がっていく。そこに、外側のクッキー生地に仕込まれたシープピッグバターの絶妙な『塩気』が加わり、甘みを極限まで引き立てるのだ。
「なにこれ……! なにこれぇぇぇっ!」
ルチアナが、オレンジ色のメロンパンを両手で交互に貪り食いながら、大粒の涙を流して絶叫した。
「サクサクなのに、中は信じられないくらいジューシー! パチンコの確変の『キュイン』なんて目じゃないわ! 脳みそから本物の脳汁がドバドバ出てるのが分かるぅぅっ!」
「あぁ……聖夜くん……いや、メロンのホストなんてどうでもいいですわ……っ!」
カグヤも、ジャージが汚れるのも構わずにメロンパンを口に押し込み、すかさず冷たいポポロミルクを流し込んだ。
「濃厚な甘みの後に、この冷たいミルクのコクが合わさることで、口の中が完全に『神界の高級リゾート』になってますわぁぁっ!」
「はふっ、んぐっ……! おじさん、やっぱりおじさんの作るおメシが、世界で一番ですわぁぁっ!」
ヤンデレの幻覚から完全に醒めたキャルルも、幸せそうな笑顔でメロンパンにかじりついている。
ヴァルキュリアは、夢中で二個目のメロンパンを掻き込みながら、自身の胸の奥が、温かい何かで満たされていくのを感じていた。
昨日、自分を誘惑したプリンスメロロンの言葉。それは、優しく甘い、だが中身の何もない『偽物の言葉(幻覚)』だった。
だが、今、自分の口の中で爆発しているこのメロンパンの美味さは、紛れもない『本物』だ。
極道農家が、泥にまみれ、額に汗して土を耕し、命を育て上げ、そして圧倒的な技術と信念で調理したからこそ行き着いた、究極の命の結晶。
「私は……私は、一体何をしていたのでしょう……」
ヴァルキュリアの目から、ポロポロと涙がこぼれ落ち、メロンパンの表面の砂糖を濡らした。
「天界の規律に縛られ、他人の目を気にし、パチンコの光に逃げ、果物の幻覚に縋って……。そんな薄っぺらい偽物の快楽のために、私は自分を見失っていたのですね……」
彼女は、最後の一口を愛おしそうに噛み締め、ゴクリと飲み干した。
そして、ポポロミルクで喉を潤すと、静かに立ち上がった。
ヴァルキュリアは、泥だらけになっていた『白い芋ジャージ』の襟首を、両手でピシッと正した。
その青い瞳には、パチンカスの濁った光でも、ホスト狂いの虚ろな光でもない、かつての天使長としての、いや――一人の『真の労働者』としての、気高く揺るぎない輝きが取り戻されていた。
「龍魔呂殿」
ヴァルキュリアは、俺の前に歩み寄り、深く、美しく一礼した。
「天界の法も、天使長としての肩書も、今の私には不要です。私は、このポポロ村で、貴方のシマで、本物の『大地の恵み(メシ)』を作るために、この命を捧げたい。……私、一生この白ジャージを着て、毎日泥まみれになって、大根を引き続けますわ!」
それは、天界の絶対的な執行者が、極道農家の『胃袋コンプライアンス』の前に完全に屈服し、同時に、本物の農業の尊さに魂を救われた、聖なる覚醒の瞬間であった。
「……ふん。素直でよろしい」
俺はマルボロの煙を細く吐き出し、ニヤリと笑った。
「新入り、その意気込みは買ってやる。……だがな、うちのシマのシノギは甘くねぇぞ。メロンパンを食って、失ったノルマの分は、キッチリ体で返してもらうからな」
「はいっ! いかなる過酷な労働でも、規律正しく完遂してみせますわ!」
白ジャージの天使長が、力強く拳を握りしめる。
「よし、お前ら、食ったら即カチコミ(農作業)だ」
俺はクワを肩に担ぎ、厨房の扉を開けた。
「今日は第四区画の『爆破キャベツ』の収穫だ。……モタモタしてると顔面の前で大爆発するから、気合入れてついてきやがれ」
「「「「はいっ、おじさん(龍魔呂様)!!」」」」
ポポロ村の青空の下、白、ピンク、紫の芋ジャージをなびかせた神々と、ウサギの村長が、元気よく畑へと駆け出していく。
パチンコの沼を越え、魔性メロンの誘惑を粉砕し、彼女たちはまた一つ、底辺労働者(農家)として逞しく成長した。
極道農家と神々の、騒がしくも美味いスローライフは、これからもこの大地のルール(コンプライアンス)と共に、どこまでも続いていくのである。
読んでいただきありがとうございます。
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