EP 9
「銭の匂い。商会トップを缶コーヒーで買収する」
ポポロ村の朝は早い。
俺は麦わら帽子を被り、首にタオルを巻いて、巨大ビニールハウスの中で黙々と草むしりをしていた。
ふかふかの極上腐葉土から顔を出す、瑞々しい野菜の苗たち。土の匂いを嗅いでいると、族の総長として東京のコンクリートジャングルを走り回っていた頃のヒリヒリとした渇きが、スッと消えていく気がする。
「平和だねぇ。やっぱりカタギの農業が一番だ」
チャリン、チャリーン。
そののどかな空気を切り裂くように、ひどく俗っぽい、小銭をじゃらじゃらと鳴らすような音が響いてきた。
ハウスの入り口を見ると、一人の男が立っている。
派手な金糸の刺繍が入った着物に、頭にはピンと張った猫の耳。口元には煙管をくわえ、手には年季の入った黄金の算盤を持っていた。
「ほぉーん。キャルルから聞いた通りや。一夜にしてこんな巨大な魔法防壁を築き上げよるとは。ワテの神眼(動体視力)をもってしても、構造がさっぱり読めへんわ」
「……あ? なんだてめぇ」
俺が腰を上げて凄むと、猫耳の男はビクッとして一瞬尻尾を膨らませたが、すぐに商人の愛想笑いを浮かべてすり寄ってきた。
「お初にお目にかかりまっせ、覇王の兄さん! ワテは大陸随一の大企業、ゴルド商会に所属する商人にして、このポポロ村の財務担当……ニャングルっちゅうモンや。以後お見知りおきを!」
「……覇王じゃねぇ。俺はただの農家だ。で? 商人が俺のシマに何の用だ」
俺はハウスの隅に置いていたキャンプ用の折り畳みテーブルとパイプ椅子を広げ、どっかりと腰を下ろした。
リバロンがどこからか現れ、無言で俺の背後に立ち、獲物を狙う狼のような目でニャングルをねめつける。
「用も何も、銭の匂いがしたさかい飛んできたんや。兄さん、ここで極上の野菜を育てて、三国に売りさばくつもりなんやろ? 素人が流通に手ぇ出したら、足元見られて大損こきまっせ。そこはプロであるワテらゴルド商会に、専属で任せてみいひんか、っちゅう営業や」
「なるほどな」
俺はマルボロに火をつけ、紫煙を吐き出した。
ちょうど流通のルートをどうするか考えていたところだ。渡りに船ではある。だが、口先だけのケチな商人に俺の手塩にかけた野菜を任せるわけにはいかない。
「話は分かった。だが、俺のシノギを預けるなら、てめぇがそれに見合う『器』かどうか見極めさせてもらうぜ。……おい、リバロン」
「ハッ、直ちに」
俺の合図で、リバロンが素早く動いた。
その間に俺は胸ポケットの『エンジェルすまーとふぉん』を操作し、現代のブラック缶コーヒーを二本ポチる。転送された冷え冷えの缶をリバロンが受け取り、純白のクロスを敷いたテーブルの上へ、うやうやしく差し出した。
「お客人、当農園からの『おもてなし』でございます」
「なんや、これ? 鉄の……筒?」
ニャングルは黄金の算盤を置き、訝しげにその黒い缶を手に取った。
「まぁ、飲んでみろ。頭がシャキッとするぜ」
俺が自分の缶のプルタブを、プシュッ! と音を立てて開けると、ニャングルは「ひぃっ、鉄の筒が鳴ったで!?」と肩を震わせた。
彼は恐る恐る見よう見まねでプルタブを開け、中の黒い液体を一口、含んだ。
「――――ッ!?」
その瞬間。
ニャングルの猫耳が、ロケットのように天を突いて直立した。
口いっぱいに広がる、暴力的なまでの『苦味』と『酸味』。だが、それは決して不快なものではない。極限まで計算し尽くされた焙煎の香ばしさが、鼻腔を突き抜けていく。
そして何より、現代の製法で抽出された強烈な『カフェイン』が、血流に乗って彼の脳をダイレクトに殴りつけたのだ。
「あ、あ、あああっ!? な、なんやこれぇぇ!?」
ニャングルは缶を両手で握りしめ、パイプ椅子から転げ落ちて悶絶し始めた。
「にがっ! 苦いのに旨いっ! 頭ン中の算盤が、マッハで弾け飛んでいくわぁぁ! 脳髄がシャキッとして、全身の毛穴から銭の匂いが噴き出してくるぅぅ!!」
ガツンと来る覚醒作用に、商人としての演算能力が強制的にブーストされたらしい。
彼は地べたを這いずり回りながら、残りのコーヒーを喉の奥へ流し込んだ。
「ぷはぁぁぁっ……♡ あかん、これあかんヤツや……! 視界がクリアになって、儲け話が無限に湧いてくるわぁ……ワテ、もうこれなしじゃ生きていかれへん体になってもうた……っ」
語彙力を喪失し、恍惚の表情で空き缶を頬擦りするニャングル。
(……なんだこいつ。ただの缶コーヒーで、キメすぎだろ)
俺は呆れながら、自分のコーヒーをグイッと煽った。
「で? 味はどうだった」
「あ、兄さん……いや、覇王様!!」
ニャングルは土下座の勢いでテーブルにすがりついてきた。その神眼(動体視力)が、ギラギラと欲望の光を放っている。
「この魔法の霊薬……まさか、これも兄さんが作っとるんか!? こんな恐ろしいモン、魔法使いの徹夜作業や、夜勤の兵士に売りさばいたら、国が二つ三つ買えるほどの金になりまっせ!! これ、なんぼでも出せんのか!?」
「あ? あぁ、俺のシマ(スマホ通販)からなら、いくらでも引っ張れるぜ。在庫は無限だ」
「む、無限の……補給線……!!」
ニャングルはガタガタと震え出し、その顔を極度の畏怖と興奮で歪ませた。
◇ ◇ ◇
[幕間:ゴルド商人 ニャングル 視点]
(……覇王。間違いない、この男は真の覇王や……!)
ワテは震える手で、空になった鉄の筒(缶)を握りしめていた。
この筒自体が、すでに異常なのだ。一切の魔法を使わず、これほど完璧に液体を密閉し、品質を劣化させない技術。ドワーフの最高位の鍛冶師ですら、こんな物は作れない。
それを、この男は「いくらでも出せる」と豪語した。
(どんな大国も、魔法のアイテムを無限に生産することなど不可能や。せやのに、この男は自分専用の『未知の補給線』を完全に掌握しとる! 三国の兵站など、この男の前では児戯に等しいわ!)
先ほどの『強烈な覚醒薬』を軍隊に支給すれば、兵士たちは疲労を知らぬ狂戦士と化すだろう。
この男は、本気を出せばいつでも三国を経済と兵站の両面から完全に支配できる。だからこそ、こんな辺境の村で、余裕の笑みを浮かべて「農業」などというカモフラージュをしているのだ。
(乗るしかない……! この覇王の船に、ゴルド商会の全知全霊を賭けて乗らな、ワテら商人は時代に轢き殺されるで!)
「龍魔呂様!! このニャングル、五体投地でお願い申し上げます! 当農園の流通、全てゴルド商会に……いや、ワテに独占させてくだされ!! 手数料なんぞ要りまへん、ワテをあんさんの専属の『金庫番』にしたってや!!」
◇ ◇ ◇
「手数料要らねぇのか。なら、お前に任せるか」
「おおきに! 一生ついて行きまっせ、覇王様!!」
猫耳の商人が、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら俺の靴を舐めんばかりに平伏している。
(……なんか、俺の周り、変なテンションの奴ばっかり集まってこねぇか?)
まぁいい。これで販路は確保できた。
俺は最後の一口を飲み干し、缶をテーブルに置いた。
「よし、明日は『ずっ友ロコシ』の収穫だ。村の連中や、お前ら若い衆にも振る舞ってやるから、楽しみにしとけ」
「ハッ! 龍魔呂様の手ずからの恩寵、このリバロン、心して頂戴いたします!」
「『ずっ友ロコシ』……名前からしてヤバい匂いがプンプンするでぇ……!」
俺の明日の農作業の予告に、なぜか執事と商人が青ざめながら震えている。
ただの甘いトウモロコシだぞ。
俺は我関せずと煙草の煙を吐き出し、午後の水やりのため、パイプ椅子から立ち上がった。
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