EP 5
パチンコの大負けと、高時給の『メロロン畑』
ビギナーズラックというものは、ギャンブルの神(そんなものがアナステシア世界にいるかは定かではないが)が初心者に与える、最も甘く、最も残酷な罠である。
ルナミス帝国の魔の遊技場『ルナミスパーラー』で、パチンコ台『CR異世界転生トラックでドン!』の魅力に完全に取り憑かれてしまった天使長ヴァルキュリア。
初日の万発越えによる大勝利で、脳内に致死量のドーパミンを分泌させてしまった彼女は、翌朝、誰よりも早くポポロ村の村長宅を飛び出し、ルチアナとカグヤを引き連れてルナミスパーラーの『開店待ちの列(朝イチ)』に並んでいた。
――そして、迎えた昼下がり。
「……どうして……。どうして、ガオガオンのプレミアムカットインが来ないんですの……」
「……天井まで回せば……必ず確変に入るって……隣のおじさんが……」
「……財布の中身、もう銅貨一枚も残ってないわ……」
ポポロ村へ向かう『ロックバイソン定期バス』の最後尾の座席。
そこには、昨日の初勝利で得た銀玉(換金して金貨数十枚)を全て溶かし、さらに前借りで持っていったなけなしの生活費すらも完全にスッカラカンにしてしまった三柱の神々が、灰のように真っ白に燃え尽きて座っていた。
ヴァルキュリアの純白のジャージは、タバコの煙と負のオーラを吸い込み、心なしかどんよりとくすんで見える。
村長宅の縁側に戻ると、首にタオルを巻いた極道農家・鬼神龍魔呂が、呆れた顔でマルボロを吹かしていた。
「……見事な負けっぷりだな。すっからかんじゃねぇか」
「うぅっ……おじさぁん……っ! あともう一回、あと一回トラックが突っ込んできてくれれば、全部取り返せたのにぃぃっ!」
ルチアナが俺の足元に縋り付いて号泣する。
「ギャンブルの負けは、労働で返すしかねぇ。極道の鉄則だ」
俺は容赦なくルチアナを蹴り剥がし、三柱の芋ジャージを見下ろした。
「てめぇら、今日の晩飯代すら残ってねぇんだろ。……仕方ねぇ、今日は特別に『高時給のシノギ』を回してやる」
「こ、高時給……!? 本当ですか!?」
借金で首が回らなくなったパチンカス特有のギラギラとした目が、ヴァルキュリアの青い瞳に宿る。
「ああ。ポポロ村の裏手にある、特別隔離ビニールハウス。……そこで栽培してる『メロロン』の収穫だ」
「メロロン、ですの?」
カグヤが首を傾げる。
「ポポロ村特産の、最高級メロンだ。糖度が異常に高く、一個で金貨が数枚飛ぶほどの高級品だ。……だが、こいつの収穫には『命の危険』が伴う」
俺は納屋から、分厚い工業用の『防音イヤーマフ(耳栓)』と、ガスマスクのような『強力なノーズクリップ付きマスク』を三セット取り出し、神々の前にドンッと置いた。
「いいか、よく聞け。メロロンはただの果物じゃねぇ。熟すと、強烈に甘い香りで周囲の者の思考力を奪い、さらに……自ら喋って『誘惑』してきやがる魔性の植物だ」
「果物が、喋る……?」
「あぁ。収穫にきた農家を甘い声でたぶらかし、メロメロにして、最終的には駆け落ち(畑の肥料にされる)する農家が後を絶たねぇ。……いわば、畑に生える究極のキャバ嬢、あるいはホストだ」
俺は三人に、イヤーマフとマスクを無理やり装着させた。
「絶対に、何があってもこの耳栓と鼻栓を外すな。メロロンの声を聞き、匂いを嗅いだら、てめぇらの豆腐メンタルなんざ一瞬で溶かされて、一生ハウスから帰ってこれなくなるぞ。……いいな?」
「ふ、ふん。たかが果物の誘惑など。天界の厳しい戒律に耐えてきた私には、全く通じませんわ」
ヴァルキュリアが、イヤーマフ越しに強気に言い返した。
◇ ◇ ◇
ポポロ村の最奥部、厳重に施錠された特別隔離ビニールハウス。
扉を開けると、そこにはムワッとした熱気と湿気が立ち込めていた。ツルが這い回る広大なハウスの中には、ボーリングの球ほどもある巨大で網目の美しいメロン――『メロロン』が、無数に実をつけている。
三人娘(白、ピンク、紫の芋ジャージ)は、重装備のままハウスの中へと足を踏み入れた。
「あ、あついわね……。ただでさえハウスの中は蒸し風呂なのに、こんな分厚いマスクと耳栓なんて……」
ルチアナが、額の汗を拭いながら愚痴をこぼす。
「ホントですわ。それにしても、ただのメロンじゃありませんの。大人しくツルにぶら下がっているだけですわよ?」
カグヤも、ハサミを片手に不思議そうにメロロンを見つめた。
確かに、彼女たちの目には、メロロンはただの美味しそうな高級フルーツにしか見えなかった。
人参マンドラのように走り回るわけでもなく、お祈りレタスのように包丁を入れた瞬間にテレパシーを放ってくる気配もない。
「……龍魔呂殿も、少々大げさすぎますわね。お祈りレタスのトラウマに比べれば、甘い言葉を囁く果物など、可愛いものですわ」
ヴァルキュリアが、玉の汗を流しながら息苦しそうにマスクを引っ張った。
「それに、こんな重装備では、手元が狂ってメロンを傷つけてしまうかもしれませんわ。……ほんの少し、空気を入れ替えるだけです」
パチンコで大負けし、正常な判断力を失っていたこと。
そして何より、「たかが果物」という神ゆえの致命的な油断。
ヴァルキュリアは、俺の「絶対に外すな」という忠告を破り、ノーズクリップ付きのマスクを顎までずらし、イヤーマフを片耳だけパカリと外してしまった。
それを見たルチアナとカグヤも、「ヴァルちゃんが外すならいいわよね」「息苦しくて死にそうですもの」と、次々に防備を解いてしまった。
――その瞬間だった。
フワァァァァッ……。
マスクを外した三人の鼻腔に、暴力的なまでの『極上の甘い香り』が流れ込んできた。
それは、ただの果物の匂いではない。天界の最高級の香木と、ハイブランドの香水を煮詰め、そこに官能的なムスクを足したような、脳髄を直接トロトロに溶かす魔法の香りだった。
「あ……れ……? なんだか、頭がフワフワして……」
ヴァルキュリアの青い瞳から、スッと焦点が失われる。
『……やあ。よく来てくれたね、お姫様たち』
ビクッ!
三柱の神の肩が跳ねた。
耳栓を外した耳に飛び込んできたのは、女性の耳元で囁くために作られたような、低く、甘く、色気に満ちた『究極のイケボ(幻聴)』だった。
声の主は、彼女たちの目の前の畝に鎮座する、ひときわ大きく、王冠のようなヘタを乗せたメロロンの突然変異種――『プリンスメロロン』であった。
『こんなに暑いハウスの中で、泥だらけになって……。君たちみたいに綺麗で尊い存在が、無理して働くことなんてないのに』
プリンスメロロンが、ツルを微かに震わせながら、脳内に直接語りかけてくる。
『ねぇ……こっちにおいでよ。僕が、君たちの疲れた心を、甘く癒やしてあげるからさ……』
「あ……ああぁっ……♡」
パチンコでスッカラカンになり、借金を背負い、精神的にも肉体的にも疲労困憊だった神々の心の隙間に、その甘いイケボと香りが、致死量の猛毒となって染み渡っていく。
「私、天使長なんて激務……本当は、本当は誰かに褒めてほしかっただけなのに……っ!」
ヴァルキュリアが、涙目になってプリンスメロロンの前に膝をつく。
「私の……私のコタツ部屋演出……どうしてハズレなのよぉ……よしよししてぇっ……!」
ルチアナが、メロロンのツルを両手で愛おしそうに撫で回す。
「タワマンもハイブランドも失った私には……もう、貴方のこの甘い香りしか……っ!」
カグヤが、メロロンの網目に頬を擦り付け始めた。
――陥落。
それは、ものの数秒の出来事だった。
神々の誇りも、お祈りレタスを乗り越えた(つもりの)メンタルも、プリンスメロロンの放つ『究極のホスト営業』の前に、完全なメロメロ状態へと堕ちてしまったのである。
「ねぇ、もっとお水あげる! だから、もっと甘い声で私を褒めてぇっ♡」
「私のこのジャージ、似合ってるって言って! ねぇ、言ってぇっ!」
「貢ぐわ! 私、ルナミスパーラーでまた万発出して、貴方に全部貢いであげるからぁっ!」
隔離されたビニールハウスの中で、神々が巨大なメロンを相手に、推し活とホスト狂いを拗らせたような奇声(愛の言葉)を上げ始める。
俺が設定した「高時給」の意味。
それは、この恐るべき『魔のキャバクラ(ホスト)畑』から、無事に生還できた者にだけ与えられる、命懸けの対価だったのだ。
そして今、三柱の芋ジャージの神々は、その禁断の沼の底へと、嬉々として沈んでいこうとしていた。
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