EP 7
課金ステータスの暴力と、蹂躙される大地の恵み
「天界の法に代わり、このヴァルキュリアが貴方を裁きます!」
純白の六枚羽を羽ばたかせ、天使長ヴァルキュリアが天空から急降下した。
彼女の右手に握られた絶対規律の象徴『聖槍グラニ』に、黄金の神気が極限まで収束されていく。それは、数多の魔王軍幹部を一撃で葬り去ってきた、回避不能の神速の刺突。
「ホーリー・ランスッ!!」
光の尾を引いて放たれた一撃が、ゼロスの胸元――オリハルコンの鎧のど真ん中へと正確に突き刺さる。
ガキィィィィィィィィィィィィンッ!!!!
空気を切り裂く金属音が、燃え盛る太陽芋の畑に響き渡った。
だが、ヴァルキュリアの青い瞳が驚愕に見開かれた。
「な……!?」
「ハハハッ! 遅ぇよ、お姫様! 止まって見えるぜ!」
神速の刺突は、ゼロスの鎧を貫くどころか、傷一つ、傷すらつけることができていなかった。
そればかりか、ゼロスはグラニの槍の穂先を、左手に持った『オリハルコンシールド』で軽々と弾き飛ばしたのだ。
腕に伝わる凄まじい反発力に、ヴァルキュリアは空中で体勢を崩し、後方へと大きく跳躍して距離を取った。
「馬鹿な……。私の全力を込めたホーリー・ランスが、ダメージゼロ……? 人間の肉体で、これほどの防御力と反応速度を……」
「言っただろうが! 最後に勝つのは『金』なんだよぉっ!」
ゼロスの全身から、紙幣の匂いがする下品でギラギラとした金色のオーラが、間欠泉のように噴き出している。
炎上神ワイズから振り込まれた『金貨一億枚(約一兆円)』。
その天文学的な数字をユニークスキル【マネー】のシステムに全て注ぎ込んだゼロスのステータスは、今やアナステシア世界の理を完全に無視したバグ(異常値)の領域へと突入していた。
『ギャハハハッ! いいぞゼロス! お前の今の防御力と筋力、神界の測定器がエラー吐いてるっすよ! どれだけ天使が鍛錬を積もうが、一兆円分の「課金バフ」の前じゃ、ただの紙装甲っすわ!』
インカムから響くワイズの笑い声に煽られ、ゼロスは醜悪な笑みを浮かべて地面を蹴った。
ドゴォォォォンッ!!
彼が踏み込んだ瞬間、足元にあったポポロ村の大切な『太陽芋』の畝が、爆弾でも落ちたかのようにクレーター状に吹き飛び、土と芋が粉々に砕け散った。
「あぁっ! 大地の恵みが……っ!」
ヴァルキュリアが悲痛な声を上げる。
「知るかよこんな泥臭ぇ芋! 俺様のPVの肥やしになれば本望だろうが!」
ゼロスはマッハの速度でヴァルキュリアの懐に潜り込み、右手のオリハルコンソードを無造作に横薙ぎに振り抜いた。
剣技などない。
ただ、カンストした異常な『筋力』に任せただけの、力任せの暴力。
だが、その圧倒的なステータス差の前では、いかなる技術も無意味だった。
「くっ……! 聖盾シュテルッ!」
ヴァルキュリアは咄嗟に左手の聖盾を展開し、防御姿勢をとる。
直後、剣と盾が激突した。
ガガァァァァァァァァァァァンッ!!!!
「あぁぁぁぁっ!?」
ヴァルキュリアの悲鳴が上がり、彼女の純白の身体が、まるで弾き飛ばされたゴルフボールのように宙を舞った。
数本の木々をへし折りながら、数十メートル先の畑のど真ん中へと無残に叩きつけられる。
彼女の左腕は激しく痺れ、展開していた聖なる盾には、信じられないことに亀裂が入っていた。
「ゲホッ、ゴホッ……! ハァ、ハァ……!」
一撃を放ったゼロス自身も、口から一筋の血を流し、膝をついていた。
金で買った圧倒的なステータスに、本来の『小柄で脆弱な肉体』が耐えきれず、自壊し始めているのだ。だが、彼はアドレナリンと陽薬草のカフェインで痛みを麻痺させ、狂ったように笑い声を上げた。
「ハァ……ハァ……見たか! 俺様の一撃を! これが一兆円の重みだ!」
ゼロスは、泥だらけになって倒れ伏すヴァルキュリアに向かって、ドスドスと厚底ブーツを鳴らしながら近づいていく。
その足取りは、焼け焦げた太陽芋を踏みにじり、土を蹴り散らしていた。
「……くっ……まだです……!」
ヴァルキュリアは、折れそうな心と身体に鞭を打ち、グラニを杖にして立ち上がった。
天使の誇り。そして、あの温かく優しい『豚汁』を作ってくれたポポロ村の恩に報いるため、ここで倒れるわけにはいかない。
「神気を……限界突破! 受けてみなさい……っ!」
彼女の背中の六枚羽が、これまでにないほどの眩い光を放つ。
グラニの切っ先に、天界の裁きの雷が収束していく。一億ボルトを超える、天使長の最大奥義。
「ライトニング・ボルトォォォォォォォッ!!!」
バリバリバリィィィィィィィンッ!!!!
天を衝くほどの極太の黄金の雷撃が、ゼロスを完全に飲み込んだ。
凄まじい熱と閃光が、太陽芋の畑を白昼のように照らし出し、周囲の土がガラス化するほどの超高温が吹き荒れる。
「……やったか!?」
ヴァルキュリアは肩で息をしながら、土煙の奥を見つめた。
これほどの直撃を受ければ、いかなる鎧を着ていようと、内部から炭化しているはずだ。
だが。
「……あーあ。鎧が汚れちまったじゃねぇか」
もうもうと立ち込める煙を払いのけ、ゼロスが無傷で歩み出てきた。
彼の周囲には、高額な課金アイテムである『絶対魔法障壁(一千万G相当)』の結界が、薄皮のように展開されていた。
「嘘……私の最大魔法が、アイテム一つで……」
ヴァルキュリアの瞳から、ついに絶望の色が漏れた。
「お姫様、お遊びはここまでだ。カメラの写り(アングル)を良くするために、その羽、少し毟らせてもらうぜ!」
ゼロスが不敵に笑い、オリハルコンソードを上段に振りかぶった。
もはやヴァルキュリアに、それを避ける体力も、盾を構える力も残っていない。
『いけぇゼロス! その魔王軍に操られた堕天使の首を刎ねろ! 伝説の配信の完成っすよ!』
ワイズの歓喜の叫びがインカムに響き、ゼロスが渾身の力で剣を振り下ろそうとした――まさに、その時だった。
――――ピタッ。
空気が、止まった。
いや、空気だけではない。
燃え盛っていた炎の音も、木々を揺らす風の音も、遠くで泣いていた犬耳族の子供のしゃくりあげる声すらも。
森の、村の、世界の全ての音が、一瞬にして『無音』へと吸い込まれた。
「……あ?」
ゼロスは、振り下ろそうとした剣を空中で止め、首を傾げた。
何かがおかしい。
金貨一億枚を注ぎ込み、神をも凌駕するステータスを手に入れたはずの彼の『肉体の本能』が、けたたましい警鐘を鳴らしている。
背筋を、氷の刃で撫で上げられたかのような、絶対的な死の悪寒。
「……な、なんだ、これ……?」
彼を捉えていた専用ドローンが、ガガガッ……とノイズを発して制御不能に陥り、地面に力なく墜落した。
周囲の温度が、異常な速度で急低下していく。
ズッ……。
ゼロスの背後、燃え盛る黒煙の向こう側から。
重く、深い、地獄の底から響いてくるような『足音』が聞こえた。
ズッ……。
「お前……」
地を這うような、ドス黒い声。
ゼロスが、ギギギ……と錆びた機械のように首を後ろへ向ける。
黒煙が、真っ二つに割れた。
そこから姿を現したのは、パジャマの上にドカジャンを羽織り、真鍮製のオイルライターをカチカチと鳴らしている、一人の巨漢だった。
男の顔の半分は、漆黒の影に塗り潰されている。
だが、その背後から立ち昇る『赤黒い闘気』は、ゼロスの放つ下品な金色のオーラとは異質だった。
それは、システムや魔力といった概念ではなく。
ただ純粋な『暴力』と『殺意』が、三面六臂の阿修羅となって、天を覆い尽くすほどに膨れ上がっていたのだ。
「俺の育てた太陽芋の畑を燃やし」
男――鬼神龍魔呂が、一歩踏み出す。
ただそれだけで、ゼロスの課金ステータスで強化されたはずの膝が、ガクガクと震え始めた。
「俺のシマに、その臭ぇシガーをポイ捨てしたな……」
極道農家の、完全なる『怒髪天』。
圧倒的な数字の暴力で天使を蹂躙したハリボテの勇者は今、数字などというチャチな概念が一切通用しない、『本物の理不尽』と直面したのである。




