EP 7
「執事の流儀と、魔性メロロンの誘惑」
「フッ、ハッ! 国家の礎を、今、この手で……!」
「おう、手ぇ止まってんぞ。畝の端までしっかり均しとけよ」
「ハッ! 申し訳ございません、龍魔呂様!」
巨大ビニールハウスの中に、男の荒い息遣いが響く。
三つ揃えの高級スーツを着込んだ銀髪の人狼族、リバロン。昨日、俺の『若い衆(舎弟)』に志願してきたこの男は、泥と牛糞にまみれながら、狂ったようなテンションで鍬を振るっていた。
一応、タオルくらいは貸してやったのだが、彼は「スーツこそ私の正装、戦闘服にございます」と謎の美学を貫き、高級生地を泥だらけにしている。
(……なんであいつ、クソまみれになりながら恍惚とした顔してんだ?)
俺はパイプ椅子にどっかりと腰を下ろし、スマホ通販で買った缶のブラックコーヒーを煽りながら、呆れた視線を送った。
まぁ、こっちとしては助かっている。人狼族の強靭な肉体と無尽蔵のスタミナは、農作業と相性が抜群だった。ルナの水やり魔法と合わせれば、この広大な畑の管理も余裕で回る。
「おじしゃまー。ルナ、お水やり終わったよ。お給料の『白い四角いの(角砂糖)』、ちょうだい?」
泥だらけのドレスの裾を引きずりながら、エルフの嬢ちゃんが小走りでやってきた。
瞳孔が少し開いている。相変わらず、ただの砂糖に依存しすぎだ。
「おう、ご苦労さん」
俺はポケットから角砂糖を一つ取り出し、放り投げた。
「あはぁぁっ♡ 甘いっ、脳がビリビリするぅぅ……!」
空中で見事にキャッチしたルナは、地面に転がりながら奇声を上げ、至福の表情で痙攣し始めた。
「さて、若い衆ども。休憩は終わりだ。今日は『メロロン』の収穫をするぞ」
俺が立ち上がると、リバロンが鍬を置き、サッと懐から純白のハンカチを取り出して眼鏡の汚れを拭った。
「メロロン、ですか。龍魔呂様、あれは危険です」
「危険? メロンだろ?」
「ええ。ですが、ただの果実ではございません。熟したメロロンは『魔性の作物』。その甘い香りと声で周囲の者の精神を侵し、廃人にしてしまう恐ろしいチャーム能力を持っています。収穫の際は、耳栓と鼻栓を厳重にし、精神防御の魔法を――」
「おい、お疲れ様。今日も良い天気ね」
リバロンが警告を発している最中、ハウスの奥にある蔓の密集地帯から、極上に甘い『女の声』が聞こえてきた。
見れば、ソフトバレーボールほどの大きさに育った薄緑色の果実が、ツルにぶら下がりながらぽよんぽよんと艶かしく揺れている。果実の表面には、うっすらと目鼻のような模様が浮かび上がっていた。
「いつもお水、ありがとうね。でも、無理しちゃだめよ?」
「……メロンが喋ったな」
「ええ。あれが完熟メロロンの恐ろしいところ。対象の心に直接語りかけ、庇護欲と欲望を刺激して精神を――くっ!?」
解説していたリバロンが、突如として頭を押さえて片膝をついた。人狼族の鋭敏すぎる聴覚と嗅覚が仇となり、メロロンの放つ幻惑の香りをモロに吸い込んでしまったらしい。
「お疲れ様、今日も頑張ってるわね♡ 貴方は悪くないわ、今日は全部忘れて、甘えていいのよ?」
「ぐ、うぅっ……! あ、甘え……私が、甘える……?」
あの完璧な執事が、だらしなく口角を下げ、ネクタイを緩め始めている。
「おじしゃま……私、あのメロンさんのところに行ってくる……。あそこに行けば、お砂糖のプールがあるって……」
角砂糖でキマっていたルナまで、フラフラとメロロンの方へ歩き出した。
(……どいつもこいつも、シャブ打たれたみたいになりやがって)
俺は深くため息をつき、真鍮製のライターを取り出した。
カチッ……。
マルボロ・赤に火をつけ、紫煙を肺の奥深くまで吸い込む。
「私、貴方が来るのを待ってたの。ねぇ、今日は少し長くいてくれる?」
ぽよん、ぽよん。
メロロンが俺に向かって、極上のキャバ嬢のような声で囁きかけてくる。濃厚で甘い香りが、俺の鼻腔をくすぐった。
「貴方が、私を食べてくれるのね……。さぁ、全部脱ぎ捨てて、私と一緒に堕ちて――」
「やかましい」
俺は低い声で一喝した。
ドズゥゥゥゥン……ッ!!
俺の全身から、赤黒い極道の闘気が爆発的に立ち昇る。
幻惑の甘い香りなど、俺の放つ凄まじいプレッシャーの前に一瞬で掻き消された。
「……えっ?」
メロロンが、素っ頓狂な声を上げた。
「なんで……私のチャームが効かないの? 私、こんなに甘くて、こんなに揺れてるのに……!」
「俺はカタギの女には手を出さねぇ」
俺はマルボロを咥えたまま、ズカズカとメロロンに近づいていく。
「それに、俺はこういう甘ったるい疑似恋愛みてぇなキャバクラ営業は嫌いでね。男なら、もっと硬派に生きるモンだ」
チャキッ。
俺は腰のベルトから『UR剪定バサミ』を抜き放ち、一切の躊躇なく、メロロンの太いツルを真っ二つに切断した。
「ああっ……! ウソ、私の魅力が通じないなんて……でも、その冷たい目、男らしくて……しゅてき……ガクッ」
魔性の果実は、最後に謎の恍惚とした声を残し、ただの美味そうなメロンとなって俺の掌に転がり落ちた。
「……チッ。ただのフルーツの分際で、いっちょ前に色気なんか出しやがって。だが、重さは十分だ。よく冷やして食えば極上のデザートになるだろうぜ」
俺はメロロンのヘタを掴み、軽く持ち上げて見せた。
その光景を、正気に戻ったリバロンが、地面に這いつくばったまま戦慄の目で見上げていた。
◇ ◇ ◇
[幕間:人狼族の執事 リバロン 視点]
(……ば、馬鹿な! あり得ない!)
私は己の不甲斐なさを恥じると同時に、目の前の覇王の底知れなさに恐怖していた。
メロロンの放つ精神汚染魔法は、国家の要人ですら廃人にするほどの超高位のチャームだ。本来なら、対魔力防壁を展開するか、感覚を完全に遮断しなければ防ぐことはできない。
だというのに。
この御方――龍魔呂様は、ただ『己の矜持(女には手を出さない)』という強い意志の力と、覇気(赤黒い闘気)のみで、その魔法を完全に粉砕してのけたのだ。
(いかなる甘言や精神支配をも跳ね除ける、絶対的な『個』の力。これぞ、乱世の王に求められる最強の精神防壁……!)
恐怖、暴力、そして揺るぎない精神。
私は確信した。この男の器は、一つの大陸などでは到底収まりきらないと。
彼が世界を統べるその日まで、私はこの身を賭して、彼という『国家』をマネジメントしよう。そう、泥まみれのスーツに誓ったのである。
◇ ◇ ◇
「おい、リバロン。ボーッとしてねぇで、こいつを井戸の冷水で冷やしてこい」
「ハッ! 直ちに! このリバロン、最高のデザートに仕立て上げてご覧に入れます!」
泥だらけのスーツを着た執事が、メロロンを抱えて嬉々として走っていく。
その後ろを、「メロンしゃん、メロンしゃん……」とヨダレを垂らしたルナがふらふらと追いかけていった。
「やれやれ。手のかかる若い衆だぜ」
俺は残ったメロロンのツルを片付けながら、大きく伸びをした。
だが、俺は気付いていなかった。
メロロンを切断した際に放たれた『極濃度の幻惑の香り』が、巨大ビニールハウスの換気口から外へと押し出され、風に乗って村の外――三国が対峙する国境方面へと、静かに流れていってしまったことに。
「なんだか、遠くの方で生暖かい風が吹いてる気がするな……。ま、天気もいいし、農作業にはもってこいか」
俺はマルボロの煙を吐き出し、次の畝へと向かった。
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