EP 6
「執事リバロンの深読み。覇王の誕生(無自覚)」
カチッ……カチッ……。
ビニールハウスの中に、冷たい金属音が響く。
俺は愛用の真鍮製ライターを鳴らし、マルボロの煙を細く吐き出した。
極上の朝飯(豚神風マシマシ野菜炒め)を食い終え、満腹になったルナは「メス豚の幸せぇ……」などと寝言を垂れながら、ハウスの隅の肥料袋を枕にして爆睡している。
平和な朝だ。
だが、この匂い(強烈なニンニクと豚脂)に釣られてやってきたのは、エルフの嬢ちゃんだけではなかったらしい。
「ガァァァァッ!」
「ヒャッハー! なんだこの美味そうな匂いのするテントはよォ!」
ハウスの入り口を乱暴に引き裂いて押し入ってきたのは、巨大な野犬の群れ……を連れた、薄汚い野盗の集団だった。三国の国境が入り交じるこの緩衝地帯には、法から逃れたハグレ者がよく流れ着くらしい。
奴らは涎を垂らしながら、無防備に眠るルナと、俺が育てた極上の野菜たちをいやらしく舐め回すように見た。
「おいおい、エルフの上玉が寝てやがるぜ! それにこの野菜、王都で売れば金貨何枚になるか……」
「あ?」
俺の低い声が、ハウス内の空気を一瞬で凍結させた。
紫煙をくゆらせながら、俺はゆっくりと立ち上がる。身長百九十センチの巨体と、顔の傷。そして、足元から立ち昇る赤黒い極道の闘気。
「おい、てめぇら。ここは俺の『シマ』だ。カタギに手を出さず、大人しく素通りするなら見逃してやるが……俺の女と、手塩にかけた野菜に手を出そうってんなら、相応の『ケジメ』はつけてもらうぞ」
ズォォォォォォォ……ッ!!!
俺の放つ尋常ではない殺気に、野犬の魔獣たちが「キャインッ!」と悲鳴を上げて小便をちびった。
だが、頭に血の昇った野盗の頭目は、蛮刀を振りかざして突っ込んでくる。
「ハッタリかましてんじゃねぇぞ、デカブツがァァッ!」
「……教育が足りてねぇな」
俺は腰に下げていた『URスコップ』を抜くことすら面倒に感じ、右手の拳に赤黒い闘気を一点集中させた。
大東流合気柔術と空手のハイブリッド。極限まで圧縮した闘気を、踏み込みと同時に叩き込む。
「正拳突き(物理)だ、オラァッ!」
ドッバァァァァァンッ!!!!
俺の拳が頭目の腹部に触れるか触れないかの距離で、空気が爆発した。
強烈な衝撃波が野盗たちを薙ぎ払い、彼らは文字通り「木の葉のように」ハウスの入り口から遥か彼方の森へと吹き飛ばされていった。星となって消えゆく彼らの悲鳴すら、一瞬で聞こえなくなる。
「……チッ。ハウスの入り口が破けちまったじゃねぇか。後でテープで補修しとくか」
俺は苛立ち紛れに頭を掻き、落ちたマルボロを拾い上げようとした。
その時だ。
「――お見事な『統治』でございます。これほどの圧倒的な力、まさしく万民が平伏すべき『リヴァイアサン』に他なりませんな」
スチャッ、と。
ハウスの破れた入り口から、一人の男が静かに足を踏み入れてきた。
三つ揃えの完璧なスーツ。胸元には純白のハンカチーフ。そして頭には、銀色に輝く狼の耳。
男は優雅な所作で胸に手を当て、俺に向かって深く、最敬礼の角度でお辞儀をした。
「お初にお目にかかります。私は人狼族のリバロン。しがない『執事』でございます」
「……あ? 執事だぁ? ここは農家だぞ。お呼びじゃねぇよ」
俺が怪訝な顔でライターを鳴らすと、リバロンと名乗った男は、眼鏡の奥の鋭い瞳を細め、狂気すら孕んだ歓喜の笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇
[幕間:人狼族の執事 リバロン 視点]
(……素晴らしい。なんと美しく、そして恐るべき怪物か)
私は内心の震えを抑えきれず、目の前の巨漢――覇王を見上げていた。
先ほどの野盗を一掃した『拳』。あれは単なる暴力ではない。空間そのものを支配し、一切の反撃を許さぬ『絶対的な力の証明』だ。
ホッブズは著書『リヴァイアサン』において、万人の万人に対する闘争を終わらせるためには、全てを圧倒する巨大な怪物(国家権力)が必要だと説いた。
まさに、この男こそがそれだ。
この男は先ほど、自らの領域を「シマ」と呼んだ。
裏社会の隠語で領土を意味するその言葉は、彼にとっては単なる畑ではなく、『新たな絶対国家』の誕生宣言に他ならない。
そして、その力は野盗のような無法者には容赦なく振るわれるが、彼の足元で無防備に眠るエルフの姫君(おそらくは彼が庇護下に置いた旧世界の王族)には、指一本触れさせないという慈愛に満ちている。
(圧倒的な暴力による恐怖と、弱き者を食わせる絶対的な恩恵。この二つを併せ持つ者のみが、この三国が睨み合う乱世を終わらせることができる……!)
かつて私が仕えたルナミス帝国の貴族は、ただ己の欲に溺れるだけの『豚』であった。だから私は彼を合法的に破滅させ、真の主を探してこの地へ来たのだ。
そして今、私の目の前に、生涯を捧げるに足る『本物の怪物』がいる。
「どうか、私の無礼をお許しください、覇王様」
「だから覇王じゃねぇっての。俺は龍魔呂だ」
「ハッ、龍魔呂様。私はあなたの『シマ』という名の新たな国家構想に、深く感銘を受けました。私リバロン、あなたの『宰相』として、いかなる泥仕事も引き受ける覚悟がございます。どうか、私を末席に加えてはいただけないでしょうか」
私は再び深く頭を下げた。
この男の横にいれば、退屈な世界が最高にスリリングな政治劇へと変わる。私は彼という絶対権力をマネジメントする、影の支配者となるのだ。
◇ ◇ ◇
「……さいしょう?」
俺は目の前で跪くスーツ姿の狼男を見下ろし、首を傾げた。
なんかの病気か? シマ(畑)を国家構想だの、宰相だの、中二病の極みみたいな単語を並べ立てている。
だが、こいつの背中から感じる気配は、そこらのチンピラとは一線を画している。かなりの手練れだ。
(まぁ、ちょうど人手が欲しかったところだ)
俺はマルボロを携帯灰皿に捨てると、ハウスの隅に積んであった『五十キロの牛糞堆肥の袋』を二つ、軽々と持ち上げた。
「おい、リバロンとか言ったな」
「ハッ、いかようにも」
「宰相だか何だか知らねぇが、俺の『若い衆(舎弟)』になりてぇなら、まずは労働で根性を見せろ。これ、向こうの畑に運んどけ」
ドスンッ!
俺は百キロの牛糞堆肥を、高級スーツを着たリバロンの足元に投げ落とした。
「……堆肥、ですか」
「あぁ。臭ぇ泥仕事から逃げるような奴は、俺のシマじゃ生きていけねぇからな」
「――――ッ!」
リバロンの狼の耳が、ビクンと大きく跳ねた。
彼はなぜか堆肥の袋を見つめ、ひどく感極まったような表情を浮かべていた。
(……なるほど。国家の礎は、まず農業(土台)から固めよという、覇王なりの試練であり、暗喩ですか。なんと深遠なる御方だ!)
「承知いたしました、龍魔呂様! このリバロン、己のスーツが汚れることなど厭わず、あなたの思い描く『国家の土台作り』に、この身を粉にして尽力いたします!」
リバロンは目を血走らせて堆肥の袋を担ぎ上げ、すさまじいスピードで畑へと走っていった。
(……なんであいつ、牛のクソ運ぶだけであんなに嬉しそうなんだ?)
まぁいい。これでタダ働きする便利な若い衆が一人増えた。
「明日は確か、妙なツルが伸びてきてた『メロロン』とかいう作物の手入れだったか」
俺はスーツ姿の執事が嬉々として畑にクソを撒く姿を遠目に眺めながら、明日の農作業の段取りだけを考えていた。
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