EP 10
月見酒と、終わらない限界公務員の夜
神の代引き騒動と市場崩壊の危機が過ぎ去った、ポポロ村の深夜。
広場にポツリと灯る『大衆居酒屋・極道亭』の赤提灯の下では、静かな月見酒の宴が開かれていた。
「はぁぁ……月人君の抱き枕、最高ぉぉ……♡ このサラサラの生地、ほのかに香る柔軟剤の匂い……。もう私、一生この腕の中から抜け出せないわぁ……」
世界神ルチアナは、ピンク色の芋ジャージ姿のまま、先ほど金貨五枚で代引きしたばかりの『朝倉月人・等身大抱き枕』に頬ずりをし、完全に限界オタク特有の蕩けたアヘ顔を晒していた。
彼女の右手には、キンキンに冷えたサケスキーのハイボール。左手には抱き枕。神としての威厳は、とうの昔にブラックホールへと消え去っている。
「ちょっとルチアナ、あんた一人で抱き枕独占しないでよ! 私にも触らせなさいよ!」
「ダメよリーザ先輩! これは私が明日からの労働(借金返済)を乗り切るための、唯一の精神安定剤なんだから!」
「あんたたち……本当に底辺まで堕ちましたわね」
キャルルが人参茶を啜りながら、ゴミでも見るような冷ややかな視線を二人に送っている。その横では、ルナが頭のたんこぶをさすりながら「微生物さんの声が聞こえるようになりましたわ……」とブツブツ呟いていた。
「……騒がしい連中だ」
俺――鬼神龍魔呂は、カウンターの奥で七輪の備長炭を弄りながら、呆れたように鼻を鳴らした。
極道たるもの、一日の終わりは美味い酒と肴でキッチリ締めるのが流儀だ。
俺は七輪の網の上に、よく洗った『太陽芋』を丸ごと乗せ、じっくりと遠赤外線で焼き上げていた。皮が焦げて中から甘い蜜がプクプクと吹き出してきたところで、火から下ろす。
「ほら、夜食だ。熱いうちに食いな」
俺は焼き上がった太陽芋を真っ二つに割り、そのホクホクの黄金色の断面に、自家製の『濃厚バター』をたっぷりと乗せ、仕上げに『醤油草』の原液を数滴垂らした。
ジュワァァァァァァァァッ……!
熱々の芋の上でバターが音を立てて溶け出し、焦げた醤油の香ばしさと混ざり合って、深夜の広場に暴力的なまでの『悪魔の匂い』を漂わせた。
「なっ……!?」
ルチアナが抱き枕からガバッと顔を上げた。
「じゃがバター……いえ、太陽芋バター醤油!? そんなの、深夜に食べたらカロリーの暴力じゃないのぉぉっ!」
「あぁ? 明日から毎日大根引き抜き作業で腰を粉にするんだ。これくらいカロリー入れとかねぇと、半日でぶっ倒れるぞ」
俺が木のお皿に乗せて差し出すと、ルチアナとリーザは獣のようなスピードで太陽芋に食らいついた。
ハフッ、ホクホクッ……ジュワァァァッ。
「んんんん〜〜〜っ!!!」
ルチアナの瞳孔が限界まで見開かれ、エメラルドの瞳から感動の涙が吹き出した。
「甘いぃぃぃっ! お芋の濃厚な甘さと、バターの塩気とコクが口の中でトロトロに溶け合うわぁぁっ! そこにお醤油のパンチが加わって……もう、ダメっ! 理性が飛ぶぅぅっ!」
「ハイボールに死ぬほど合うわね! カロリーなんて明日から畑で消費すればゼロよ!」
神と人魚が、口の周りをバターだらけにしながら、夜空に浮かぶ美しい満月を見上げて幸せそうに笑っている。
ルチアナは、ハイボールのジョッキを片手に、俺に向かってニカッと笑いかけた。
「ねぇ、おじさん」
「なんだ」
「私、おじさんに金貨五枚の借金ができちゃったじゃない? それって、返すまではずっとこの村で、おじさんの作った美味しいご飯を食べながら、農作業して生きていけるってことよね?」
ルチアナは、抱き枕をギュッと抱きしめながら、少しだけ寂しそうな、だが晴れやかな顔で言葉を続けた。
「私、天界のデスクワークはもうウンザリなの。毎日パソコンの画面と睨めっこして、視聴率と予算の計算ばっかり。……でも、ここは泥だらけになるし、アンタのゲンコツは痛いけど……ご飯は最高に美味しいし、働いた分だけちゃんと報われる気がするの」
彼女は、俺のツナギの袖をチョンと引っ張った。
「だから私……借金を返し終わっても、ずっとここに居座ることに決めたわ。おじさんの居酒屋の常連第1号として、一生パラサイトしてあげる!」
なんとも図々しく、神の威厳の欠片もない宣言だ。
だが、その飾らない本音は、天界で孤独に書類の山と戦っていた彼女の、初めて見せた『本当の笑顔』だった。
「……好きにしな」
カチッ。
俺は真鍮製のライターでマルボロ赤に火をつけ、紫煙を夜風に乗せて細く吐き出した。
「俺のシマの土を踏み、俺の作った飯を食うってんなら、てめぇはもう俺の『身内』だ。……極道は、一度面倒見ると決めた身内は、神様だろうが悪魔だろうが、最後までキッチリ面倒見てやるよ」
「おじさぁぁぁぁぁんっ!! 好きぃぃっ!」
「ただし、朝寝坊したら容赦なくシバくからな」
「ヒィッ! はいっ! 頑張って早起きしますぅぅっ!」
月明かりの下、極道大衆居酒屋の赤提灯が優しく揺れている。
俺の求めるカタギのスローライフは、また一人、厄介でポンコツな『神様』という家族を迎え入れ、騒がしくも温かい日常へと溶け込んでいくのだった。
◇ ◇ ◇
だが、その頃。
ポポロ村の平穏な夜空の遥か上空、果てしなく遠い『天界』の執務室にて。
ガシャァァァァァァンッ!!
山積みにされていた数千枚の決裁書類が、怒りに任せて薙ぎ払われ、大理石の床に散乱した。
デスクの前に立つのは、美しい銀髪を振り乱した天使族の長、ヴァルキュリア。
彼女の手には、ルチアナが『ルナ・イーツ』で等身大抱き枕を代引き注文した際に発信された、一瞬のGPS接続ログの用紙が握りしめられていた。
「……見つけましたわ。ルチアナ様……。借金と職務を放棄し、あまつさえ下界で泥酔して『抱き枕』などという不純物を注文するとは……」
彼女の背中から、神聖にして絶対零度の、純度百パーセントの『殺意(コンプライアンス執行のオーラ)』が立ち昇る。
「……万死に値します。この天使長ヴァルキュリア自ら、貴女のその腐りきった性根を、聖槍グラニで物理的に叩き直して差し上げますわ……!!」
お読みいただきありがとうございます!
評価・ブックマークで応援いただけると励みになります。




