EP 2
世界神の墜落と、パンの耳を巡る泥試合
夜のポポロ村の静寂は、隕石衝突のごとき轟音によって完全に打ち砕かれていた。
俺――鬼神龍魔呂は、咥えタバコのマルボロ赤をギリッと噛み締め、赤黒い『極道の闘気』を阿修羅の幻影のように立ち昇らせながら、俺の畑に空いた直径十メートルの巨大なクレーターの底へとゆっくり歩みを進めた。
手塩にかけて耕した米麦草の畑だ。土壌のバランスを整え、適度な肥料を撒き、ふかふかのベッドのような状態に仕上げていた。
それを、何処の馬の骨とも分からねぇ空からの不法投棄物に台無しにされたとあっては、極道の血が黙っちゃいねぇ。
ズザァァッ……と、クレーターの斜面を滑り降りる。
土煙が晴れた底には、頭から土に突っ込んで「ぷきゅぅ……」と情けない声を漏らしている人影があった。
俺はそいつの襟首を掴み、大根でも引っこ抜くようにスポーン! と土から引きずり出した。
「ってぇぇぇっ! ちょっと、神の御髪になんてことするのよ! バチが当たるわよ!」
ペッペッと口に入った泥を吐き出しながら抗議してきたのは、若い女だった。
年齢は俺と同じくらい……いや、永遠の17歳とか言い張りそうな、妙な幼さと図々しさが同居した顔立ち。だが、その顔立ちは確かに、世界中の絵画に描かれる聖女や女神すら霞むほどの、超絶的な美貌の持ち主だった。
……首から下を見なければ、の話だが。
「あぁ? てめぇ、どこ中だコラ」
俺が凄むと、女はビクッと肩を震わせた。
彼女が着ていたのは、神々しいローブや神具などではない。
ドン・キホーテの深夜のレジ前にいそうな、ド派手な『ピンク色の芋ジャージ(上下)』。足元には年季の入った『健康サンダル』。そして、震える手で懐から取り出したのは、細長いメンソールタバコ『ピアニッシモ』と、100円ライターだった。
「どこ中って……わ、我は……コホン!」
女はピアニッシモを咥え、無理やり姿勢を正すと、背後からブワァァァッ!と神聖で眩い光のオーラ(神気)を放ち始めた。
「恐れ慄きなさい、下等生物ども! 我が名はルチアナ! このアナステシア世界を創造せし、第3種惑星創造神格公務員……すなわち『世界神』である! さぁ、我を崇め、早急に酒とツマミを……」
キュルルルルルルルルルゥゥゥゥッ……!!!
神々しい宣言を、悲しいほどに巨大で下品な『腹の虫の音』が完全に掻き消した。
ルチアナは顔を真っ赤にして、自分のお腹を両手で押さえた。
「あ、あの……違うの。これはその、天界のバイブレーション機能というか……」
「おじさーん! すごい音したけど大丈夫ぅ!?」
その時、クレーターの上から懐中電灯の光が差し込んだ。
騒ぎを聞きつけてパジャマ姿で飛び出してきたキュララ、キャルル、ルナ、そしてリーザの四人だ。
「龍魔呂様! ご無事ですか! ……って、ええええっ!?」
キャルルがクレーターの底を照らし、そこにいるピンクジャージの女を見て素っ頓狂な声を上げた。
「ル、ルチアナ様!? なぜ、最高神である貴女様がこんな辺境の畑に墜落を!?」
キャルルたちにとって、ルチアナは信仰の対象であり、世界の頂点に立つ創造神だ。
だが、その創造神は今、泥だらけのジャージ姿でピアニッシモを吹かしながら、情けない顔で腹をさすっていた。
「うぅっ……ヴァルちゃん(ヴァルキュリア)が……『クレジットカードの限度額が90万を超えてる! また朝倉月人のグッズを箱買いしたんですか!』って、壁ドンからの5時間正座説教をしてきて……。挙句の果てに、山積みの決裁書類をドーンって置いていったのよ……!」
ルチアナが、ポロポロと涙をこぼしながら愚痴をこぼし始めた。
「耐えられなくて、エンジェルすまーとふぉんを機内モードにして逃げてきたら、魔力切れで落ちちゃって……。お金もないし、お腹空いたぁぁぁっ……」
泣き叫ぶ世界神。
だが、そのルチアナの視線が、ふとクレーターの縁に立つ一人に釘付けになった。
芋ジャージ姿のリーザである。
正確に言えば、リーザが夜食(明日の朝飯用)として大切に齧っていた、『タローソンの廃棄パンの耳』に。
「そ、それは……! 小麦の香ばしい匂い! さては我への供物ねッ!」
ルチアナの目の色が変わった。
神聖なオーラなど完全に消え失せ、飢えた野犬のようなギラギラとした血走った目をリーザに向ける。
「なっ!? ち、違うわよ! これは私が朝6時のラジオ体操のスタンプと引き換えに、パン屋のおじさんからタダで貰ってきた大事な非常食……!」
「うるさぁぁぁい! 神が腹ペコだと言っているのよ! よこしなさい!」
ダァァァァァッ!!
健康サンダルが雪混じりの土を蹴り上げる。ルチアナは信じられない跳躍力(物理)でクレーターの斜面を駆け上がり、リーザの持つパンの耳に向かってダイブした。
「ぎゃあああっ! 泥棒女神ぃぃっ! 私のシノギを奪う気ぃ!?」
「離しなさいよこの人魚! 神にパンの耳を譲るという功徳を積ませてあげてるのよ!」
ドサァッ! バキッ! ゴロゴロゴロ……ッ!!
世界を創った最高神と、シーラン国の王女(現在底辺ポイ活アイドル)。
絶対に交わってはならない二つの尊い身分が、たった一本の『パンの耳』を巡って、泥だらけの畑の中で壮絶なプロレス(泥試合)を開始した。
「痛っ! 髪引っ張らないでよ! てめぇ、神のくせにマウントの取り方がエグいのよ!」
「ふふん、天界のデスクワークで凝り固まった身体をほぐすにはちょうどいいわ! ほら、パンの耳を寄越せ! 我に炭水化物をッ!」
ピンクのジャージと、色あせたジャージが、俺の耕したばかりのふかふかの土の上を、キャットファイトよろしく転げ回る。
「あわわわ……ルチアナ様が……神様がパンの耳で人魚と取っ組み合いを……!」
キャルルがそのあまりにも世俗的でみすぼらしい光景に、ショックで膝から崩れ落ちた。
「え、えっと……とりあえず配信回しとくねっ☆ 『世界神ルチアナ降臨! パンの耳争奪戦!』ってタイトルで……」
キュララがちゃっかりと魔導通信石を起動し、ドローンカメラを飛ばす。
『は!? ルチアナ様!?』
『うそだろ、俺たちが毎日祈り捧げてる世界神が、泥まみれでパンの耳奪い合ってんぞ……』
『しかもピンクのジャージってwww』
『神聖さの欠片もねぇ! だが……親近感湧くわww』
深夜の突発配信にも関わらず、世界神の圧倒的すぎる『底辺の姿』に、チャット欄は困惑と爆笑の渦に包まれていた。
しかし。
このポポロ村には、神だろうが王女だろうが、絶対に超えてはならない『一線』が存在する。
その一線を、この二人の泥試合は、軽快なステップで踏み躙っていた。
「よこせぇぇぇっ!!」
「絶対渡さないぃぃぃっ!!」
バサァァァッ!!
ルチアナとリーザがもつれ合いながら、俺が夕方に等間隔で植え直した『太陽芋』の苗床のド真ん中へと、勢いよく突っ込んだのだ。
せっかく育ち始めていた苗が、二人の重みで無残に踏み潰されていく。
「……」
カチッ。
夜の冷気を切り裂くように、真鍮製のオイルライターの音が響いた。
「あ」
キャルルが顔面を蒼白にし、キュララの配信カメラがブルブルと震え始めた。
ズウゥゥゥゥゥゥゥゥゥンッ……!!
ポポロ村の重力が、倍加したような錯覚。
俺の背後で、先ほどまでの怒りすら生ぬるいと感じさせるほどの、漆黒の殺意に染まった『極道の闘気』が、巨大な鬼神となって天を衝いた。
「……おい」
地獄の底で煮詰められたような、低く、重い声。
パンの耳を引っ張り合っていたルチアナとリーザの動きが、ピタリと止まった。
二人が恐る恐る振り返ると、そこには、月明かりを背に受け、顔の半分を極道のオーラで黒く塗り潰した俺が立っていた。
「ひぃッ……」
世界神ルチアナの喉が、ヒュッと鳴った。
彼女は直感で理解した。目の前にいるのは、天界のどの神格よりも恐ろしい、大地の理を司る『ヤクザ農家』であると。
「てめぇら……俺の、可愛い太陽芋の苗を……踏んだな?」
「ち、違うの! これは不可抗力で……!」
「あ、あの……おじさん、これは神様が勝手に……!」
「極道のルール。俺のシマの畑を荒らす奴は……神様だろうが仏様だろうが、等しく『肥料』にしてやる」
俺は、マルボロを携帯灰皿に吐き捨て、両方の拳をギリッと握りしめた。
そして、逃げようとした世界神と人魚姫の首根っこを左右の手で鷲掴みにすると、そのまま二人の頭を。
「極道流・双頭ゲンコツ(落花生)」
ゴォォォォォォォンッ!!!!!
鐘つき堂の鐘を全力で突いたような重低音が、ポポロ村に響き渡った。
「あべぇぇぇぇっ!?」
「ぷぎゃぁぁぁっ!?」
ルチアナとリーザの頭に、俺の両拳が容赦なく、そして平等に振り下ろされたのだ。
世界神の強固な神のオーラごと、極道の物理的制裁が脳天を貫き、二人は白目を剥いてその場にペタンと座り込んだ。
二人の頭のてっぺんには、見事なまでにお揃いの『たんこぶ』が、湯気を立てて膨れ上がっていた。
「……ふぅ」
俺は拳の熱を払い、気絶寸前の二人に冷たく見下ろした。
「俺の畑に穴を開け、苗を踏み荒らした落とし前は……明日から、身体(農作業)でキッチリ払ってもらうからな」
家出してきた世界神は、降臨して数分でヤンキー農家の物理的ゲンコツの前に沈んだ。
翌朝から始まる、神のプライドを粉砕する『過酷な農作業』と、その後の『極上の餌付け』のコンボが、ルチアナを立派な食客(ポンコツジャージ女)へと堕落させていくことを、読者たちは期待を込めて見守ることとなる。
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