EP 10
月見雪中鍋と、新たな住人
パチッ、パチパチ……。
ポポロ山の中腹に設営された巨大なドーム型テントの中は、外の猛吹雪が嘘のように暖かく、そして平和な空気に包まれていた。
テントの中央に設置されたタローマン製の薪ストーブが、赤々とした炎を上げて燃えている。その天板の上には、俺がドンガン地下帝国製の分厚いダッチオーブン(鉄鍋)を乗せ、極上の『鍋』を仕込んでいる最中だった。
「お師匠様……素晴らしい手際ですわ。その丸っこい大根は、どのように切るのですか?」
スアイが、タローマンのオーバーオールの袖をまくり上げ、俺の横で真剣な眼差しを向けている。彼女の手には、洗って泥を落としたばかりの『月見大根』が握られていた。
「月見大根は、満月のように丸いのが特徴だ。皮を厚めに剥いて、十文字に隠し包丁を入れる。そうすりゃ、分厚く切っても中まで出汁がしっかり染み込むんだよ」
俺は愛用のUR農具(今回は万能包丁として使用)を軽快に滑らせ、月見大根を分厚い輪切りにしていく。
次にまな板に乗せたのは、ポポロ村の特産品『肉椎茸』だ。傘が肉厚で、切ったそばから肉とキノコの両方の芳醇な香りが漂ってくる。さらに、昼間にスアイと一緒に燻製にした『シープピッグの極厚炙りベーコン』も、惜しげもなくゴロゴロとしたブロック状に切り分けた。
「よし、出汁が煮立ってきたな」
ダッチオーブンの蓋を開けると、フワァァァッ……と、テントの中に暴力的なまでに食欲をそそる湯気が立ち込めた。
鍋の中では、鰹節ならぬ『ピラダイの焼き枯らし』と昆布から取った黄金色の和風出汁に、醤油草の原液と少量の角砂糖が加えられ、グツグツと煮え滾っている。
そこに、月見大根、肉椎茸、極厚ベーコン、そして煩悩を捨てた『たまんネギ(賢者モード)』を次々と投入していく。
「おじさぁぁん、まだぁ!? 私、お腹と背中がくっつきそうなんだけどぉ!」
「お肉! お肉はたっぷり入れてくださいね! 私、シーラン国の王女として、お肉の配分には厳しいですから!」
「お野菜もたっぷりですわ〜! 私が今、ここでネギを十万本ほど発芽させましょうか!?」
「やめろ馬鹿エルフ、テントが破けるだろうが」
薪ストーブの周りでは、キュララ、リーザ、ルナの三人が、まるでお腹を空かせた雛鳥のように口を開けて待っていた。キャルルはヤンデレの炎をすっかり収め、俺のお手拭き用のタオルを甲斐甲斐しく用意してくれている。
「騒ぐな。……よし、肉椎茸の旨味とベーコンのスモーク香が、大根に完全に染み込んだ。完成だ」
俺はダッチオーブンごと、テントの中央にある折りたたみテーブル(俺のDIY特製)にドンッ! と置いた。
「極道特製・肉椎茸と月見大根のポカポカ雪中鍋(スモークベーコン仕立て)だ。火傷しねぇように食えよ」
「「「いっただっきまーすっ!!」」」
ヒロインたちが、一斉にマイお椀と箸を突き出した。
スアイも、俺から渡されたお椀を両手で受け取り、信じられないものを見るような目で鍋の中を覗き込んだ。
琥珀色に透き通った出汁の中に、飴色に染まった月見大根と、存在感を放つ極厚の肉椎茸、そして脂がトロトロに溶け出したシープピッグのベーコンが、宝石のように輝いている。
「……いただきますわ」
スアイは震える手で箸を持ち、まずは琥珀色の出汁を一口、口に運んだ。
「……ッ!!」
その瞬間。スアイの全身を、雷に打たれたような衝撃が駆け巡った。
熱い。ただ熱いだけではない。ピラダイと肉椎茸から出た強烈な『旨味の奔流』が、冷え切っていた彼女の胃袋から全身の細胞の隅々にまで、爆発的な勢いで染み渡っていく。
醤油草の香ばしさと、たまんネギの極限の甘みが、複雑かつ完璧なハーモニーを奏でている。
たまらず、スアイは十文字の隠し包丁が入った『月見大根』に噛み付いた。
ハフッ、ジュワァァァァッ……!
「あぁぁ……っ!」
スアイのエメラルドグリーンの瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
分厚い大根は、歯を立てる必要すらないほどに柔らかく煮込まれており、噛み締めた瞬間、中に溜め込んでいた極上の出汁とベーコンの燻製脂が、まるで決壊したダムのように口の中へ溢れ出したのだ。
大根特有の甘みと、肉の暴力的な旨味が、口の中で渾然一体となって溶けていく。
「美味しい……っ、美味しいですわ……っ!」
スアイは、涙と鼻水をタローマンの袖で拭いながら、夢中で鍋をかき込んだ。
肉椎茸のプリプリとしたアワビのような食感。極厚ベーコンを噛みちぎる際の、スモーク香と豚肉の野性味あふれるパンチ。それら全てが、彼女が今まで何百年も生きてきた中で、一度も味わったことのない『温かさ』を持っていた。
(魔王軍では……食事はただの魔力補給のためのモジュール型レーションでした。味は良くても、そこには何の温もりもなかった。……私は、氷点下の城で、薄着のアーマーを着て、ずっと……ずっと、一人で寒かったのですわ……っ!)
氷の女帝として孤独に張り詰めていた彼女の心が、極道農家の作った『鍋』の熱気によって、完全に溶かされ、救済されていく。
「ほら、スアイ。泣きながら食うと味が濁るぜ。大根ならまだたっぷりある。ゆっくり食え」
俺が鍋から大根とベーコンを追加でよそってやると、スアイは「はいっ……はいっ……!」と子供のように何度も頷き、お椀を抱きしめた。
「んん〜っ! おじさんのお鍋、最高ぉぉっ! これ配信したら絶対スパチャ飛ぶよ!」
キュララがスマホを構えようとしたが、俺はスッと手を伸ばしてレンズを手で覆った。
「今日は配信は無しだ。身内だけでゆっくりメシを食う時間くらい、カメラ抜きで楽しめ。……外で凍えてる連中にも悪いからな」
「え〜っ、おじさんのケチ! ……まぁ、いっか! 今日は食べることに集中するもんね!」
キュララはあっさりとスマホを放り投げ、再び肉椎茸にかぶりついた。
テントの外の岩壁には、俺の『極道流・雪かき』によって雪のパンケーキにされたアバロン人事部のザメスたちが張り付いているはずだが……極道の晩飯の時間に、そんな無粋な連中のことを気にかける奴は、このテントの中には一人もいなかった。
「ふぅ……」
腹八分目まで食い終わった俺は、パイプ椅子に深く腰を預け、真鍮製のライターでマルボロ赤に火をつけた。
テントの天井に開けられた換気口から、紫煙が静かに吸い込まれていく。
ヒロインたちは満腹になって、ストーブの周りでゴロゴロと幸せそうに寝転がっている。
「……お師匠様」
スアイが、空になったお椀を膝に置き、背筋を伸ばして俺の前に正座した。
「私、決意いたしました。魔王軍には、もう絶対に未練はありません。アバロン魔皇国からの追手が何度来ようとも、私はこのタローマンの作業着を脱ぎませんわ」
彼女の瞳には、かつての氷の女帝としての冷たい光ではなく、大地とDIYを愛する一人のキャンパーとしての力強い決意が宿っていた。
「私はこのポポロ村で、お師匠様の二番弟子……いえ、一番弟子として、木を切り、サウナを直し、大自然と共に生きていきたいのです。……どうか、私をこの村の住人として置いていただけないでしょうか?」
スアイが深々と頭を下げる。
テントの中が、一瞬だけ静まり返った。
キャルルがむくりと起き上がり、腕を組んでスアイを見下ろした。
「……泥棒女帝。言っておきますけれど、龍魔呂様の一番弟子も、この村の村長も私ですわ。貴女が住むというのなら、それなりの『役割』を果たしていただきますからね?」
「望むところですわ、村長さん! 私、雪山のことなら何でもできますのよ!」
バチバチと火花を散らす二人を前に、俺は呆れてため息をついた。
「まぁ、いいんじゃねぇか」
俺がそう言うと、全員の視線が俺に集まった。
「屋根は吹き飛んじまったが、サウナ小屋の基礎は生きてる。明日からまた、丸太の皮剥きからやり直しだ。人手は多いに越したことはねぇしな」
俺はマルボロの煙を吐き出しながら、スアイに向かってニヤリと笑った。
「それに、お前が作ったあの雪の斜面。ありゃあ素人じゃ作れねぇ極上のモンだ。……スアイ、今日からお前が、この『ポポロ山スキー場』の支配人だ。しっかり働いて、自分で食う飯の分くらいは稼げよ」
「……ッ!!」
スアイの顔が、パァァァッ! と輝いた。
「はいっ!! お師匠様!! 私、粉骨砕身、雪山の開拓とサウナの復旧に尽力いたしますわ!!」
スアイが感極まって叫ぶと、リーザが「やったぁ! これでかき氷とリフト券のビジネスが正式に回せるわよキュララちゃん!」とガッツポーズを取り、ルナが「スキー場にヤシの木を植えましょう!」と余計な提案をしてキャルルにツッコミを入れられている。
相変わらず、騒がしい連中だ。
俺は立ち上がり、テントの入り口のジッパーを少しだけ開けた。
外の猛吹雪はすでに収まり、雲の切れ間から、澄み切った冬の夜空が顔を覗かせていた。
空高く輝くのは、凍てつくような空気を柔らかく照らす、美しい満月だ。
月光が、俺たちが切り開いた白銀のゲレンデを、まるで宝石箱のようにキラキラと反射させている。
「……まぁ、悪い夜じゃねぇな」
冷たい空気を肺に吸い込みながら、俺は再びマルボロを咥えた。
魔王軍の幹部が寝返ったことで、アバロン魔皇国や天界の炎上神がどれだけ騒ごうと、俺の知ったことではない。
極道のルール。シマの平和を守り、美味い飯を食い、そして汗水流してサウナで「ととのう」。
俺の求めるカタギのスローライフは、白銀の世界と新たな厄介な住人を迎え入れながら、月明かりの下で今日もブレることなく続いていくのだった。
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