EP 7
魔皇国の追手と、炎上神の企み
天界の薄暗い一室。
無数のモニターが並ぶサイバー空間で、新入りの炎上神・ワイズは、専用のマイタンブラーに入れたカプチーノを啜りながら、ネットの海に広がる熱狂を冷ややかに見つめていた。
「……チッ。どいつもこいつ、『スアイ様尊い』だの『タローマンの作業着最高』だの、平和ボケしたコメントばかり書き込みやがって」
ワイズの視線の先にあるモニターには、キュララが配信している『元・氷魔将軍のすっぴんガチキャンプ&DIY生活!』の生中継が映し出されていた。
雪山で元魔将軍とヤンデレ村長が仲良くテントを張り、ヤンキー農家がサウナ小屋の煙突を微調整している、何とも微笑ましい光景だ。
だが、他人の絶望と炎上でPVを稼ぐワイズにとって、こんなハートフルなスローライフは退屈の極みだった。
「神聖なるゴッドチューブのエンタメってのはな、もっとドロドロして、胸糞悪くて、視聴者が怒りと絶望でキーボードを叩き割るようなモンじゃなきゃダメなんだよ」
ワイズは底意地の悪い笑みを浮かべ、エンジェルすまーとふぉんを指先でタップした。
「だから俺が、極上の『スパイス』を放り込んでやった。アバロン魔皇国の『人事部』……組織のルールとノルマに縛られた、最悪のブラック上司どもをな」
ワイズのスマホの画面には、ポポロ山の麓から猛スピードで雪を溶かしながら登っていく、黒曜石の鎧を着た魔族の部隊の姿が映っていた。
「さぁ、見せてみろよ。自由を手に入れた女帝が、古巣のパワハラ上司に連れ戻され、あの忌まわしいビキニアーマーを無理やり着せられる絶望の瞬間を! そして、お前らが苦労して作った木組みの小屋が、無残に燃え落ちる悲劇をなぁっ!」
神の歪んだ悪意が、PVという名の狂気となって、平和な雪山へと牙を剥いた。
◇ ◇ ◇
「お師匠様! サウナストーンの配置、完了いたしましたわ!」
ポポロ山の中腹。
完成したばかりの真新しいサウナ小屋の中で、スアイがタローマンの軍手で汗を拭いながら、誇らしげに胸を張った。
小屋の中央に鎮座する薪ストーブの上には、熱を蓄えやすい河原の石(龍魔呂が川から拾ってきた特選品)がピラミッド状に美しく積み上げられている。
「おう、上出来だ。煙突の排気も完璧に機能してる。これなら、最高の『ロウリュ』が楽しめるぜ」
俺――鬼神龍魔呂は、手作りの木桶にたっぷりと水を張り、そこに砕いた『陽薬草』を揉み込んでいた。
熱したサウナストーンに水をかけ、蒸気を発生させるのがロウリュだ。陽薬草の成分が蒸気となってサウナ室内に充満すれば、疲労回復効果は桁違いに跳ね上がる。
「龍魔呂様、テントの薪ストーブにも火を入れましたわ! これでサウナ後の休憩(外気浴)の準備も万全です!」
キャルルが安全靴のアイゼンを外しながら、テントから顔を出して親指を立てた。
「よし。んじゃあ、早速ひとっ風呂……いや、一蒸されといくか」
俺が木桶の柄杓を手に取った、その時だった。
――ジュウゥゥゥゥゥゥッ……!
突如として、サウナ小屋の外から、大量の雪が急速に沸騰して蒸発する異様な音が響き渡った。
「……ん?」
俺が眉をひそめると同時に、キャルルの長い兎耳がピクッと跳ね上がった。
「龍魔呂様! 下から、尋常ではない熱を持った複数の心音が近づいてきますわ!」
小屋の外に出ると、先ほどまでスアイが整えた美しい白銀の圧雪ゲレンデが、ドロドロの泥水と化していた。
雪を溶かしながら這い登ってきたのは、全身から高熱の炎を噴き出す『熱源魔獣』の群れと、それに騎乗する黒曜石の鎧を着た魔族の部隊だった。
「スアイ将軍。探しましたよ。このような辺境のド田舎で、泥遊びに興じておられるとは」
部隊の先頭に立つ、神経質そうな丸眼鏡をかけた魔族の男が、冷酷な声で言い放った。
アバロン魔皇国・人事局特命執行官、ザメス。
魔王軍の規律とノルマを絶対とする、典型的なブラック企業の中間管理職である。
「ザメス……! なぜ、貴方がここに!?」
スアイの顔から、キャンパーとしての穏やかな笑みが消え去り、かつての氷の女帝としての険しい表情が戻った。
「なぜ、とは心外ですね。無断欠勤、業務放棄、さらには無許可での副業(ゴッドチューブ配信)。組織人としてあるまじきコンプライアンス違反です。魔王様も、貴女のすっぴん配信のPVが自分のアイドル活動より伸びていることにご立腹ですよ」
ザメスは懐からクリップボードを取り出し、ボールペンの尻でカチカチと音を鳴らした。
「さぁ、その汚らしいタローマンの作業着を脱ぎ捨て、直ちに職場に復帰しなさい」
そう言ってザメスが部下に命じると、部下が恭しく一つの『箱』を掲げた。
中に入っていたのは、布面積が絶望的に少なく、金属のパーツが申し訳程度についているだけの、魔王軍正規支給品――『極寒地用ビキニアーマー(PV特化型)』だった。
「ッ……!!」
スアイの顔が、怒りと屈辱で真っ赤に染まった。
「絶対に嫌ですわ!! 私はすでに退職届を出しました! それに、そんなセクハラまがいの布切れで雪山に立つなど、キャンパーに対する冒涜です! 私はもう、この温かいオーバーオールとDIYの素晴らしさを知ってしまったのですから!」
「……やれやれ。大自然の空気を吸いすぎて、頭までお花畑になってしまったようですね」
ザメスが眼鏡を中指でクイッと押し上げる。
「ならば、力ずくで連行するまで。それに、あのような小汚い木組みの小屋があるから、貴女はDIYなどという低俗な趣味に逃げるのです。……フレア・ハウンド部隊。あのふざけた丸太小屋を、跡形もなく焼き払いなさい」
「グルルルルルッ!!」
ザメスの命令を受け、数頭の熱源魔獣が、完成したばかりのサウナ小屋に向かって、口の中に灼熱の火炎弾を生成し始めた。
「あっ……!? やめてっ! 私とお師匠様が、手塩にかけて作り上げたサウナ小屋が……っ!」
スアイが悲鳴を上げ、絶対零度の氷魔法を展開しようとする。
だが、炎上神ワイズの加護を受けた熱源魔獣の炎は異常に温度が高く、スアイの氷の障壁をやすやすと溶かしながら、サウナ小屋の木壁へと迫った。
「キャハハハッ! 燃えろ燃えろォ! これで同接爆上がり間違いなし……って、ひぃっ!?」
上空でドローンカメラを回していたキュララが、思わず悲鳴を上げた。
彼女のレンズ越しに、ある『異変』が映し出されたからだ。
――カチッ。
猛烈な熱風と炎が渦巻く中。
ひときわ冷たく、そして重い金属音が、雪山に響き渡った。
「……おい」
地獄の底から這い出してきたような、低く、ドス黒い声。
サウナ小屋の前に立つ巨漢――俺の全身から、先ほどの熱源魔獣の炎など比較にならないほどの、巨大で暴力的な『赤黒い極道の闘気』が、阿修羅の幻影となって爆発的に噴出していた。
俺の左手には、陽薬草を煮出したロウリュ用の木桶。
そして右手には、真鍮製のオイルライターが握られている。
「てめぇら。今、どこに向かって火ぃ噴こうとした?」
俺の極道オーラが周囲の空気を圧迫し、雪山の温度が急激に低下、いや、物理法則そのものが狂い始める。
「な、なんだあの男は……!? ただの農民ではないのか!?」
ザメスが丸眼鏡の奥で目を見開き、たじろいだ。
「俺は、俺が汗水垂らして建てたシマ(小屋)に、土足で火ぃ点けようとするようなクソ野郎が一番嫌いなんだよ」
俺はライターをポケットにしまい、背後に立てかけてあった『鉄製の雪かきスコップ』を手に取った。
「サウナってのはな、神聖な男の『ととのい』の場だ。……てめぇらみたいな無粋な社畜には、ちょっとばかり熱すぎる『お仕置き』が必要みたいだな」
炎上神の仕組んだ胸糞シナリオは、またしても最悪の地雷――『極道農家のこだわりの趣味』――を真正面から踏み抜き、物理法則を無視した暴力の渦へと飲み込まれようとしていた。
完成したばかりのサウナ小屋を焼き払おうとする魔王軍のブラック上司たち。
だが、極上の「ととのい」を邪魔された極道農家の怒りは臨界点を突破し、鉄のスコップを握る手には規格外の闘気が宿り始めていた。
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