EP 5
世界樹の加護(物理)VS 絶対零度
ポポロ山の中腹に完成しつつあるサウナ小屋の傍らで、新たな狂乱の火種が芽吹こうとしていた。
「わぁぁっ、ここ、すっごく寒いですわ〜! リーザちゃん、キュララちゃん、お待たせしました!」
雪山の麓から、ふわふわのお嬢様ドレスを着たエルフの少女――次期女王候補であるルナ・シンフォニアが、フルーツの詰まったバスケットを抱えてフワフワと登ってきた。
リーザが企てた『元魔将軍の絶対溶けない極上天然かき氷』のシロップ要員として、フルーツを生成するために呼び出されたのだ。
「ルナちゃん遅い! 早くマンゴーとイチゴを出して! お客さん(リスナー経由のルナイーツ宅配員たち)が長蛇の列を作ってるのよ!」
リーザが段ボールの屋台の奥で、千円札(銀貨)の束を数えながら急かした。
「はいはーい、すぐに作りますわね。……でもその前に」
ルナはブルッと身震いをして、周囲の雪景色を見渡した。
「こんなに寒いところでかき氷なんて食べたら、皆様お腹を壊してしまいますわ。それに、タローマンの作業着を着ているとはいえ、あちらで木を削っているお姉さん(スアイ)も寒そうです。ここは私が、温かくして差し上げないと!」
ルナの『善意』。それは、アナステシア大陸において最も恐るべき大量破壊兵器の一つである。
彼女は世界樹の杖を天に掲げ、にっこりと微笑んだ。
「極寒の雪山に、南国の癒やしを! 咲き誇れ、『ハッピー・サマー・ツリー』ですわーっ!」
ドゴォォォォォォォォンッ!!!
その瞬間、雪山の地殻を突き破り、直径十メートルはあろうかという超巨大な熱帯の樹木が爆発的に成長を遂げた。
樹木からは灼熱の太陽のような輝きを放つ巨大な『サン・フラワー』が次々と咲き乱れ、周囲の気温をマイナス五度から、一気に『プラス三十五度』の熱帯雨林へと強引に引き上げた。
鬱蒼と茂る熱帯のツタ、飛び交う極彩色の蝶、そしてうだるような湿度と熱風。
「きゃあああっ!? ちょっとルナちゃん! 私のかき氷の氷塊が、一瞬で溶けてただの水になっちゃったじゃないのぉぉっ!」
リーザが溶けゆく氷の山を前に絶叫する。
「あははっ、これでポカポカですね! フルーツも豊作ですわ〜!」
だが、この善意による環境破壊に、最もブチギレた女がいた。
「……誰ですか。私の、お師匠様との神聖なDIY空間を、不快な湿度で汚すのは」
丸太の皮を剥いていたスアイが、タローマンの軍手をギリッと握りしめ、地獄の底から響くような声で立ち上がった。
彼女の美しい顔は、熱帯雨林の湿度によって汗ばみ、前髪が肌に張り付いている。
「雪山でのDIYにおいて、湿気は木材の天敵! それに、私がせっかく圧雪して作り上げた極上の斜面が、泥水になっているではありませんか! 万死に値しますわ!」
スアイが愛用の『絶対に切れない鎖の付いた片手斧』を構え、周囲の熱気を一瞬で凍てつかせる『絶対零度』の闘気を放った。
「あら? お姉さん、まだ暑いですか? ならもっと『ヒート・ヴァイン(灼熱のツタ)』を……」
「黙りなさい、この天然エルフ! 『氷河の息吹』!」
スアイが片手斧を一閃すると、猛吹雪が巻き起こり、ルナの作り出したジャングルを一瞬にして氷漬けにする。
しかし、ルナも負けていない。
「まぁ! 植物さんたちが寒がってますわ! 頑張って、生命の息吹ですわ!」
氷を突き破り、さらに巨大で高温の熱帯植物が次々と芽吹く。
ポポロ山の中腹は、スアイの放つ『マイナス五十度の猛吹雪』と、ルナが生成する『プラス五十度の熱帯雨林』が局地的に衝突を繰り返す、前代未聞のカオスな異常気象地帯と化してしまった。
『なんつーカオスwwww』
『画面の左半分が雪山で、右半分がアマゾンなんだがww』
『スアイ様と天然エルフの魔法対決、エフェクト派手すぎ!』
キュララの配信カメラは、この異常な生態系バトルをドローンで上空から捉え、PV率をさらに爆発させていた。
――しかし。
この雪山には、絶対に怒らせてはいけない男がいた。
俺――鬼神龍魔呂は、サウナ小屋の裏手で、DIYで作ったばかりの『特製スモーカー(燻製器)』の温度計を睨みつけていた。
「……おい」
俺の声は、低く、ドス黒く、そして静かだった。
燻製器の中には、先ほど切り出したばかりの桜魔樹のチップと、十キロのシープピッグの極厚バラ肉が吊るされている。
豚の脂を最高の状態で引き締めるための『冷燻』。そのためには、外気温が常に二十度以下――理想は五度前後で保たれなければならない。
だが、温度計の針は今、『三十八度』を指し示し、湿度は『八十五パーセント』を超えていた。
スモーカーの中では、シープピッグの脂がダラダラと溶け出し、表面には不快な結露が発生している。このままでは、極上の燻製肉がただの「傷んだ肉塊」になってしまう。
カチッ。
猛吹雪と熱帯の嵐が吹き荒れる中、ひときわ冷たく、そして重い金属音が響いた。
真鍮製のライターで、マルボロ赤に火をつける。
「てめぇら……俺の、肉を……」
ズウゥゥゥゥゥゥゥゥゥンッ!!!
次の瞬間、ポポロ山全体の空気が、物理的な質量を持って重くのしかかった。
猛吹雪も、熱帯のスコールも、一瞬にしてピタリと止む。
原因は一つ。俺の全身から噴出する、巨大な阿修羅の幻影を伴った『赤黒い極道の闘気』が、二人の魔法の余波を完全に力でねじ伏せたのだ。
「えっ……?」
「お、お師匠様……?」
ルナとスアイが、冷や汗を流しながら俺の方を振り返る。
俺はゆっくりとした足取りで、二人の魔法が衝突している中心地へと歩み出た。
「極道のルールその四。食い物は、大事にする」
俺は、ルナが作り出した直径十メートルの『ハッピー・サマー・ツリー』の幹の前に立つと、愛用のUR草刈り鎌すら抜かず、右の拳をギリッと握りしめた。
「気温の急激な変化は、肉の熟成において致命傷だ」
俺は、赤黒い闘気を極限まで圧縮した右拳を、巨大な樹木の幹に向かって、無造作に、ただのストレートパンチの要領で叩き込んだ。
「極道流・根絶やし(正拳突き)」
ドッッッバァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!
衝突音などというチャチなものではない。
爆弾が弾けたような轟音と共に、俺の拳から放たれた衝撃波が樹木の内部を駆け巡り、直径十メートルの大木を、根元から『木屑の粉』へと完全に粉砕してしまったのだ。
パラパラと、砂のように崩れ落ちる巨大な夏の大樹。
それを維持していた世界樹の魔力も、俺の物理的なパンチの前に完全に四散し、雪山は元の冷たい空気を取り戻した。
「ヒィィィッ!? わ、私のサマー・ツリーが、ただのパンチで粉々に……っ!?」
ルナが涙目でペタンと座り込む。
俺はそのまま振り返り、今度は片手斧を構えたまま硬直しているスアイに歩み寄った。
「お、お師匠様……ッ! 申し訳ありません、私はただ、DIYの環境を守ろうと……!」
「うるせぇ。冷気なら魔法でどうにでもなるだろうが、湿度が上がったら木材も狂うし肉も腐るんだよ。大工仕事と料理を舐めんじゃねぇぞ」
俺はスアイとルナの頭に、ゴツン! ゴツン! と、容赦なくヤンキー流の『愛のゲンコツ』を落とした。
「あいたぁっ!」
「あぅっ……! し、失礼いたしました……! お師匠様の言う通りですわ……!」
氷の女帝も、次期エルフ女王も、俺の前ではただの叱られた子供のように頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「次、俺の燻製の温度管理を邪魔するような真似をしたら、てめぇらを燻製器の中に吊るしてスモークするからな。分かったか」
「「は、はいぃぃっ……!!」」
『wwwwwwww』
『やっぱりおっさんが最強じゃねーか!』
『天然エルフも氷の女帝も、農家のオヤジの前ではただのガキ扱いww』
『極道のゲンコツ、世界を救う』
キュララの配信のコメント欄は、草(w)の弾幕で完全に埋め尽くされていた。
俺は鼻を鳴らし、再びスモーカーの前へと戻った。
幸い、ゲンコツの甲斐もあって気温はすぐに下がり、シープピッグの肉に致命的なダメージはなかった。
「まったく、世話の焼ける連中だ」
マルボロの煙を吐き出しながら、俺は燻製器の温度計を調整し直した。
かくして、雪山での生態系を揺るがす魔法バトルは、極道農家の『飯を守るための物理』によってあっけなく幕を閉じた。
しかし――俺たちがのんきにDIYと温度管理に勤しんでいる間にも。
天界の炎上神ワイズに唆された、アバロン魔皇国『人事部』の厄介なブラック上司たちが、重装甲の熱源魔獣を引き連れて、すぐ麓まで迫っていることなど、知る由もなかったのである。
極上のキャンプ飯とサウナ小屋の完成が目前に迫る中。
山の麓から、雪をドロドロに溶かしながら這い寄る『黒い炎の軍団』の足音が、確かな絶望(と大乱闘の予感)を伴って迫りつつあった。
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