EP 3
勘違いの芽生え(物理)
シープピッグの極厚炙りベーコンがもたらした暴力的な旨味の余韻が、雪山に漂う冷気を心地よいものに変えていた。
陽薬草茶で一息ついたスアイは、タローマン製のオーバーオールのポケットから、丁寧に折りたたまれた一枚の羊皮紙を取り出した。
「龍魔呂さん、これを見てくださいませ。私が徹夜で引いた、理想のサウナ小屋の設計図ですわ」
スアイが広げた羊皮紙には、かなり本格的なログハウス風のサウナ小屋が、精緻な図面で描かれていた。
「ほぅ……フィンランド式の本格的なやつじゃねぇか。ベンチの高さも計算されてるし、ロウリュ用のサウナストーンを置くストーブの位置も悪くねぇ」
俺はマルボロの煙を吐き出しながら、図面に目を通した。ヤンキーたるもの、地元のツレとサウナで汗を流すのは基本中の基本だ。ととのうための導線設計にはうるさい。
「お褒めいただき光栄ですわ! ……ただ、問題は建材です。先ほどの切り株周辺で数本は確保しましたが、この規模の小屋を建てるには、太さの揃った丸太があと五十本は必要になりますの」
スアイは自身の武器である『絶対に切れない鎖の付いた片手斧』をチラリと見た。
「私の氷魔法を使えば、森の木々を一瞬で凍らせて砕き散らすことは造作もありません。ですが、それでは建築材として使い物にならなくなってしまいます。やはり、この斧で一本ずつ手作業で切り出していくしか……」
彼女は真面目な顔で、タローマンの軍手をギュッと握り直した。
元魔将軍とはいえ、彼女のDIYにかける情熱は本物らしい。魔法でズルをせず、手作業で木と向き合おうとするその姿勢は、農家として好感が持てた。
「……まぁ、待て。そんなチマチマやってたら日が暮れちまう」
俺は携帯灰皿に吸い殻をポイと捨て、立ち上がった。
「さっき、上等なスモークチップ(桜魔樹の端材)を譲ってもらったお礼だ。五十本だったな?」
「え? あ、はい。五十本ですが……龍魔呂さん、まさかお手伝いしてくださるのですか?」
「手伝うってほどのモンじゃねぇよ。ちょっとそこを退いてな」
俺はスアイを安全な位置まで下がらせると、腰のホルスターから愛用の『UR農具』を抜き放った。
今回取り出したのは、刃渡り三十センチほどの、使い込まれた片手用の『草刈り鎌』だ。
「……草刈り鎌、ですか?」
スアイがポカンと口を開ける。
目の前に広がるのは、樹齢百年は超えようかという極太の桜魔樹が密生する原生林。そんな場所で草刈り鎌を取り出すなど、巨竜相手に爪楊枝を構えるようなものだ。
「あぁ、これで十分だ。ちょっと本気で振るから、風圧で飛ばされねぇように気をつけろよ」
俺は右手に握った草刈り鎌を、肩の高さでスッと構えた。
極道のルールその一、カタギには手を出さない。だが、相手が自然の木々ならば話は別だ。
「ふぅぅぅぅ……ッ」
俺が深く息を吸い込むと同時に、全身の細胞が爆発的なエネルギーを生み出し、赤黒い『極道の闘気』が陽炎となって立ち昇った。
その闘気は、草刈り鎌の刃に超高密度で集束し、空間そのものを歪めるほどのドス黒い輝きを放ち始める。
「な、なんというプレッシャー……ッ!?」
スアイは本能的な恐怖から、思わず後ずさりした。
アバロン魔皇国で数々の修羅場を潜り抜けてきた氷魔将軍の彼女でさえ、これほどまでに純粋で暴力的な物理のエネルギーを見たことがなかった。
「極道流・草刈り(大木編)」
俺は腰を深く落とし、手首のスナップを利かせて、草刈り鎌を横薙ぎに一閃した。
――ズッバァァァァァァァァァァァァンッ!!!!
その瞬間、刃から放たれた赤黒い闘気の『かまいたち』が、音速を置き去りにして森の中へと突き進んだ。
直径一メートル超の大木が、まるでススキの穂でも刈り取るかのように、横一文字にスパーン! と切断されていく。
一本、十本、三十本……。
闘気の刃は勢いを全く衰えさせることなく、正確に五十本の木を切り裂いたところで、ふっと空中に霧散した。
ズズズズズズズズズドォォォォォンッ!!!
遅れてやってきた凄まじい地響きと共に、五十本の巨木が一斉に雪の上へと倒れ伏す。
さらに、鎌を振るった風圧が遅れて吹き荒れ、倒れた大木に付いていた無駄な枝葉を、まるでバリカンで刈り上げたかのように綺麗に吹き飛ばしてしまった。
「……えっ?」
スアイは、目の前の光景が信じられず、何度も目を瞬かせた。
魔法陣の展開もない。呪文の詠唱もない。ただの人間が、ただの草刈り鎌を一振りしただけで、森の一部が綺麗に伐採されてしまったのだ。
「よし、こんなモンだろ。あとはこれを運ぶだけだな」
俺は草刈り鎌をホルスターにしまい、首のタオルで汗を拭った。
「あ、あの……龍魔呂さん……? 今のは、一体……?」
「ん? ただの草刈りだ。ちょっと気合いを入れただけだぜ。それより姉ちゃん、さっき使ってたその鎖、ちょっと貸してくれねぇか」
俺は呆然としているスアイから『絶対に切れない鎖』をひょいと借り受けると、切り倒した五十本の丸太の山へと向かった。
そして、その鎖を五十本の巨木の束にぐるぐると巻きつける。
総重量は、控えめに見積もっても数百トンは下らないだろう。
「よいしょ、っと」
俺は鎖の端を右肩に担ぎ、極道の闘気を脚力に全振りして、雪を踏み締めた。
ミシミシッ……! と地面が悲鳴を上げる。
ズザザザザザザザッ!!
俺は数百トンの丸太の束を、まるでスーパーの買い物袋でも引きずるかのような軽快な足取りで、サウナ小屋の建設予定地まで引っ張っていった。
「ば、馬鹿な……ッ」
スアイは、タローマンの軍手を口元に当てて、戦慄のあまりガタガタと震え始めた。
彼女は知っている。魔王ラスティアの扱う最上位の暗黒魔法『ブラック・ホール』でさえ、これほどの質量の物体を一度に動かすには莫大な魔力と準備時間が必要だということを。
それを、この男は『魔法』を一切使わず、純粋な『腕力(物理)』だけでやってのけたのだ。
(……間違いない。この御方は、ただの農家などではない……!)
スアイの脳内で、先ほどの『極厚炙りベーコン』の感動と、目の前で起きた『規格外の物理法則崩壊』が、完璧な化学反応を起こしていた。
(魔王様を凌駕する絶対的な力。大地を愛し、DIYとキャンプを極めた隠遁の賢者。……そして、この圧倒的な包容力! ああ、なんという幸運でしょうか。私は、この世界の真理に触れてしまったのですね……!)
スアイのエメラルドグリーンの瞳が、熱烈な尊敬と、ほとんど狂信に近い光を帯びて輝き始めた。
「おーい、姉ちゃん。運んできたぜ。五十本で足りるか?」
丸太の山の上に腰掛けた俺が声をかけると、スアイは雪を蹴立てて猛スピードで駆け寄ってきた。
「完璧ですわ、龍魔呂様……ッ! いえ、お師匠様とお呼びしてもよろしいでしょうか!?」
「あぁ? 師匠ってガラじゃねぇよ。俺はただの農家だ」
「ご謙遜を! 私、お師匠様の下で、丸太の皮剥きから一生懸命学ばせていただきますわ!」
スアイは俺の前に深々と頭を下げた。氷の女帝としてのプライドなど、すでに雪山のどこかへ消え去っている。
「まぁ、やる気があるなら良いことだ。日が暮れる前に、サウナの基礎だけでも組んじまおうぜ」
「はいっ! よろしくお願いいたします!」
ただサウナに入りたくて木を切っただけのヤンキー農家と。
それを『世界最強の仙人による神業』と勘違いし、完全に忠誠を誓ってしまった元魔将軍。
リアン型の法則に則り、俺は何も変わっていないのに、彼女の中の勝手な『神格化』だけが、雪だるま式に急成長していくのだった。
山と積まれた丸太を前に、ポポロ山の『極上DIYサウナ建設プロジェクト』が本格的に始動した。
しかし、元氷魔将軍の失踪と、雪山に突如出現した巨大な建造物の噂は、やがて天界のPV狙いの神や、厄介な同居人たちの耳に届くこととなる。
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