EP 2
女帝の愚痴と、極道焚き火飯
パチッ、パチパチ……。
白銀のポポロ山に、心地よい焚き火の音が響き渡っていた。
俺――鬼神龍魔呂は、丸太の上に腰を下ろし、真鍮製のオイルライターで火をつけたマルボロの煙を細く吐き出した。
目の前では、俺が持参した分厚い鉄板の下で、先ほどスアイと名乗った女から譲ってもらった『桜魔樹』の端材が、極上のスモーク香を放ちながらチロチロと燃えている。
「……いやぁ、それにしても信じられませんわ。まさか、あの太い丸太を、その黒い鞄でカチ上げて、一瞬で均等なサイズの薪に割り裂いてしまうなんて……」
スアイは、俺が『極道流・鞄潰し(薪割りアレンジ)』で量産した薪の山を見つめながら、タローマン製の軍手で顔を覆って戦慄していた。
「薪割りなんてのは、腰の回転とスナップだ。力任せに振るんじゃねぇよ」
俺はヤンキー座りをしながら、トングで焚き火の炭をいじり、火力を絶妙な温度に調整する。俺の指先から微弱な『赤黒い闘気』が流れ込み、炭の燃焼効率を完全にコントロールしていた。
魔法使いが見れば卒倒するような高度な闘気操作だが、俺にとってはただの『ガスコンロの火力調整』である。
「で? 姉ちゃん。さっきブツブツ文句言ってたが、前の職場は相当なブラックだったらしいな」
俺が話を振ると、スアイはオーバーオールの膝を抱えながら、深く、ひどく重いため息をついた。
「聞いてくださいませ、龍魔呂さん。私の前の職場は……とにかく『見栄え』と『ノリ』だけで動く、最悪のワンマン経営だったんですの」
スアイが語り出したのは、魔皇国の悲惨な労働環境(と彼女の個人的な怒り)だった。
「私は氷を扱う専門職(氷魔将軍)でした。職場は常に氷点下。それなのに、上司(魔王)やスポンサー(天界の神々)は、『PV率が稼げない』『色気が足りない』と言って、私に『ビキニアーマー』を強要してきたんです!」
「あぁ? 雪山で水着一丁ってことか? そりゃあイカれてんな。シノギを舐めてるヤクザでも、そんなアホな真似はしねぇぞ」
「そうでしょう!? 意味のないエロスはただのセクハラです! 冷え性で腰は痛くなるし、肌は乾燥するしで……。その点、この『タローマン』の作業着は素晴らしいですわ。機能性、保温性、そして何より、無骨な中にあるDIY精神……世俗のくだらない見栄から解放された、真の美しさがここにあります」
スアイは、カーキ色のオーバーオールを愛おしそうに撫でた。
「カタギの女に、そりゃあキツい職場だったな」
俺は深くうなずき、立ち上がった。
「冷え切った身体と、荒んだ心には……極上の脂と肉をブチ込むのが一番手っ取り早い。今、特上の飯を作ってやる」
俺は作業台代わりの切り株に、持参した十キロの『シープピッグの極厚バラ肉』をドンッ! と乗せた。
岩塩、黒胡椒、角砂糖、そして醤油草の原液で数日漬け込まれた肉は、すでに美しい飴色に輝いている。
俺は愛用のUR農具(今回は解体用のサバイバルナイフとして使用)を抜き放ち、その巨大な肉塊を、あえて『厚さ三センチ』という暴力的な分厚さにスライスした。
「なっ……!?」
スアイが息を呑む。
「そ、そんなに分厚く切ってしまっては、中まで火が通る前に外側が焦げてしまうのでは……?」
「普通の焚き火ならな。だが、こいつはただの肉じゃねぇ」
俺は、極厚にスライスされたシープピッグの肉を、熱した鉄板の上に並べた。
ジュワァァァァァァァァァァッ!!!
その瞬間、静かな雪山に、肉が焼ける爆発的なサウンドが響き渡った。
シープピッグの分厚い脂身が鉄板の熱で一気に溶け出し、ジュクジュクと音を立てながら肉全体を揚げ焼きのように包み込む。
そこに、下で燃えている『桜魔樹』のスモークチップの煙が、赤黒い闘気によってコントロールされた絶妙な気流に乗り、肉の表面に極上の燻製香をコーティングしていく。
醤油草と角砂糖が焦げる、甘じょっぱくも暴力的な香りが、周囲の冷気を完全に塗り潰した。
「あぁ……っ、なんという、暴力的な匂い……っ!」
スアイの口から、氷の女帝らしからぬ、生唾を飲み込む音が漏れた。
俺は肉の表面にカリッとした焦げ目がついた絶好のタイミングで肉を裏返し、さらに数分。
赤黒い闘気で鉄板の温度をミリ単位で調節し、分厚い肉の中心まで完璧に火を通し切る。
「完成だ。……極道特製、シープピッグの極厚炙りベーコン(桜魔樹スモーク仕立て)だ。冷めねぇうちに食いな」
俺は木皿に乗せた極厚ベーコンを、スアイに差し出した。
「い、いただきますわ……っ!」
スアイはタローマンの軍手を外し、震える手でフォークを突き刺した。
三センチの分厚さがあるはずの肉に、フォークがまるで抵抗なくスッと沈み込む。
彼女は大きく口を開け、その極厚ベーコンにかぶりついた。
サクッ。
表面の香ばしい衣が弾けた瞬間。
「…………ッ!!?」
スアイの瞳孔が、限界まで見開かれた。
噛み締めた歯の間から、信じられないほど濃厚で甘い『豚の脂』が、まるで熱いスープのようにジュワァァァッ!と口の中いっぱいに溢れ出したのだ。
角砂糖のコクのある甘みと、醤油草のキレのある塩気。そして黒胡椒のパンチが、シープピッグ特有の強烈な旨味と完璧な黄金比で融合している。
さらに、鼻腔を突き抜けるのは、桜魔樹の豊潤で上品なスモークの香り。
外はカリカリ、中はトロトロ。噛めば噛むほど、肉の繊維から際限なく旨味が湧き出してくる。
「あ、あああ……っ」
スアイの美しいエメラルドの瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「美味しい……っ。お肉が、脂が、すっごく甘いですわ……っ! こんなに分厚いのに、舌の上で溶けてなくなってしまいます……っ!」
何百年もの間、魔王軍の幹部として、冷徹な氷の女帝として張り詰めてきた心が。
ビキニアーマーで凍えながら、理不尽な命令に従い続けてきたストレスが。
極道農家が作った『ただの焚き火飯』の圧倒的な熱量と旨味の前に、雪解けのようにドロドロに溶かされていく。
「はむっ、んぐっ、はふはふっ……! んんん〜〜〜っ!」
もはや上品な所作などどこへやら。
スアイは顔を脂だらけにしながら、三センチ厚の極厚ベーコンを無我夢中で貪り食った。
彼女の脳内を支配しているのは、「冷えた身体に染み渡る塩分とカロリーの暴力的な快感」だけだった。
「おいおい、慌てて食うな。肉ならまだ山ほどあるぞ」
俺は呆れながら、持参した水筒から熱い『陽薬草茶』をシェラカップに注ぎ、彼女の隣に置いた。
「……ふぅっ」
数分後。
三枚の極厚ベーコンを平らげたスアイは、口の周りを手首で拭いながら、熱い陽薬草茶を喉に流し込んだ。
胃袋の底から湧き上がる圧倒的な多幸感と、熱量。
彼女は、タローマンのオーバーオールの中で、心臓が今までにないほどの高鳴りを打っているのを感じていた。
(……なんという方でしょう)
スアイは、隣で静かにタバコを吹かす龍魔呂の横顔を盗み見た。
魔王のプレッシャーを遥かに凌ぐオーラを持ちながら、それを誇示することなく、ただ薪を割り、火を熾し、疲れた自分に極上の肉を焼いてくれた。
自分のビキニアーマーへの愚痴を、笑わずに「ブラック企業だな」と真剣に聞いてくれた。
(この圧倒的な力の余裕。そして、大地と命(食)を慈しむ、この深く大きな器……! 魔王様など目ではありませんわ。この御方こそが、真の『王』……いや、大自然と調和した最強の仙人様に違いありません!)
スアイの脳内で、極道のヤンキー農家に対する『特大の勘違い』が、完璧な形で出来上がった瞬間だった。
「あの、龍魔呂さん……!」
スアイは正座に座り直し、真剣な眼差しで俺を見つめた。
「私、ポポロ村でのDIY生活、本気で頑張りますわ! どうか、私にサウナ小屋の作り方を……そして、この極上のキャンプ飯の極意を、ご指導くださいませ!」
「あぁ? 別に構わねぇが……DIYの道は甘くねぇぞ。まずは丸太の皮剥きからだ」
「はいっ! 喜んで!」
満面の笑みで頷くスアイ。
かくして、アバロン魔皇国から失踪した最強の氷魔将軍は、ヤンキー農家の手による『炙りベーコン』たった数枚で、完全に餌付け(家畜化)されてしまったのである。
極寒の雪山で、最強の仙人(極道)と氷の女帝による、和やかなDIYキャンプ生活が幕を開けた。
だが、この二人が生み出す規格外の『建築作業』が、やがてポポロ村全土を巻き込む巨大なスキー場ビジネスへと発展し、天界のシステムを大混乱に陥れることを……彼らはまだ知らない。
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