EP 10
『情報統制完了と、地下帝国ドンガンの激怒』
パリンッ……!!
ルナミス帝国・皇帝執務室。
最高級のクリスタルガラスで出来たワイングラスが、マルクス皇帝の手から滑り落ち、分厚いペルシャ絨毯の上で砕け散った。
赤ワインが血のように染みを作っていくが、マルクスも、傍らに控える内務官オルウェルも、それに気を留める余裕は一切なかった。
「……オルウェル。これは、一体どういう冗談だ」
「冗談であれば、どれほど良かったことか。……残念ながら、これは現在進行形で全世界に送信されている『現実』です」
オルウェルの銀縁眼鏡に、空中に投影された巨大なホログラム映像の光が反射している。
そこに映し出されているのは、ルナミス帝国が手塩にかけて育て上げた最強の情報心理兵器であり、ポポロ村を内部崩壊させるためのトロイの木馬として送り込んだはずの、エージェント・キュララの姿だった。
『んん〜っ♡ おじさんの焼いてくれたお肉、最高ぉぉっ! ルナミス帝国の配給弁当なんて、もう一生食べられなーいっ! リスナーのみんなー、キュララは今日からポポロ村の住人になりまーすっ☆』
画面の中のキュララは、聖騎士の鎧を脱ぎ捨ててジャージ姿になり、口の周りに焼肉のタレをべったりとつけながら、満面の笑みでジョッキの麦茶を煽っている。
隣にはシーラン国の王女リーザが座り、二人で肩を組んで『Love & Money』を大合唱している。
「……我が国の最高機密エージェントが、たった一日で、完全に寝返ったと……?」
マルクス皇帝は、ワナワナと震える手で頭を抱えた。
「しかも、あの映像を見てみろ! ただ裏切っただけではない! 彼女の魂の底から溢れ出るような至福の表情……っ! 完全な『洗脳』だ! あの覇王は、ただの飯(暴力)で、彼女の自我を根本から書き換えてしまったのだ!」
「その通りです、陛下。さらに恐るべきは、その後の影響です」
オルウェルがタブレットを操作し、コメント欄の解析データを表示する。
「キュララがポポロ村に寝返ったことで、彼女を狂信的に支持する数百万のリスナーたちも、完全にポポロ村のシンパ(同調者)と化しました。今やネットの海では『ポポロ村は地上の楽園』『おじさんの作るご飯を食べてみたい』という世論が形成されています」
「……なんということだ」
マルクス皇帝は、椅子に深く沈み込んだ。
「武力では草刈り鎌一本で数万の軍勢を消し飛ばし、今度は大衆の『目』と『耳』すらも、極上のエンターテインメント(飯テロとコラボ配信)によって完全に掌握したというのか……」
「はい。もはや我が国がポポロ村に敵対的なプロパガンダを流せば、全世界のリスナーから『炎上』させられ、国家の信用が失墜するでしょう。……我々は、情報戦において完全なる敗北を喫したのです」
ルナミス帝国のトップ二人は、底知れぬ絶望の淵に立たされていた。
彼らは、辺境の村でエプロンをつけて肉を焼いているツナギ姿の巨漢が、どれほど恐ろしい『情報統制の完璧な独裁者』なのかと、恐怖のあまりガタガタと震え上がっていた。
だが、彼らは知らない。
その『独裁者』は今、情報統制など一ミリも考えておらず、ただ純粋に「肉の焼き加減」に全神経を集中させているだけだということを。
◇ ◇ ◇
ジュワァァァァァァッ!!
「おいコラ羽虫、人魚! まだ肉の中まで火が通ってねぇのに手を出すな! 腹壊すぞ!」
ポポロ村の広場。
赤々と燃える炭火の前に立つ俺――鬼神龍魔呂は、網の上で分厚い『シープピッグ』の骨付きリブを豪快にひっくり返しながら、食い意地を張った二人の頭をトングの柄で軽く小突いた。
「あうっ! だ、だってお肉の焼ける匂いがたまらないんだもん!」
「そうよ! 脂が炭に落ちてジュージュー鳴ってるのを見たら、アイドルの理性なんて吹き飛ぶわ!」
キュララとリーザは、よだれを垂らしながら網の前に正座して、まるで餌を待つ雛鳥のように口を開けている。
俺は特製の『ニンニク醤油ダレ』をハケでたっぷりと肉に塗りたくり、香ばしい焦げ目がついたところで、ナイフで豪快に切り分けて二人の皿に放り込んだ。
「ほら、食え。野菜も残さず食えよ」
「「いっただっきまーすっ!!」」
二人は骨にかぶりつき、顔を脂だらけにしながら「美味しいぃぃっ!」「お肉がとろけるぅっ!」と大歓声を上げて肉を食いちぎっている。
「ふふっ。龍魔呂様、お疲れ様ですわ。お汗を拭かせていただきますね」
ヤンデレ村長のキャルルが、甲斐甲斐しく俺の額の汗をタオルで拭ってくれる。
その隣では、エルフのルナが「私もお肉のお供に、極上のサンチュを咲かせますわ〜!」と、謎の魔法で地面から一瞬にして新鮮な葉物野菜を大量発生させていた。
「……ふぅ」
俺は焼き場をキャルルに任せ、パイプ椅子に腰を下ろして、真鍮製のライターでマルボロ赤に火をつけた。
紫煙を夜空に吐き出しながら、賑やかな広場を見渡す。
村を騒がせた迷惑なゴッドチューバーは、今やただの食いしん坊の小娘として、俺の作った飯を美味そうに腹に収めている。
悪党から巻き上げた金も孤児院に送り、村の平和は守られた。
「まぁ、騒がしい連中が増えたが……美味そうに飯を食う奴らのツラを見ながら吸うタバコってのは、悪くねぇな」
極道のルール。食い物を大事にし、シマの平和を守る。
俺の求めるカタギの農業スローライフは、こうして今日も、ブレることなく平穏(?)に続いていくのだった。
◇ ◇ ◇
――しかし。
平和な宴が繰り広げられるポポロ村の足元、遥か深く。
灼熱のマグマと鉄の匂いが充満する『地下帝国ドンガン』の最深部では、尋常ではない怒号が響き渡っていた。
「……ふざけるなァァァァァァァァァァッ!!!」
ガンッ!! と鋼鉄の玉座を叩き割ったのは、筋骨隆々で立派な髭を蓄えたドワーフの王、『ドン・ガロン』だった。
彼の目の前には、巨大な魔導モニターが設置されており、そこに一本の動画が繰り返し再生されている。
『極道流・鞄潰し(ペッタンコ)』
ガガァァァァァァンッ!!
動画の中で、ツナギを着た巨漢が学生鞄を一振りした瞬間。
ドンガン地下帝国が十年の歳月と莫大な予算を注ぎ込んで開発した最高傑作『重装甲・魔導戦車』が、まるでアルミホイルのようにペッタンコに圧縮されていく映像が流れていた。
「……な、なんだこのふざけた映像は! 我がドワーフの誇る絶対装甲が、ただの皮の鞄一振りで紙切れになっただとォ!?」
ドン・ガロン王の髭が、怒りで逆立っている。
周囲に控えるドワーフの重役たちも、青ざめた顔で報告書を震わせていた。
「お、王よ! この動画がゴッドチューブで拡散された結果、我が国の兵器ブランドの株価が大暴落しております!」
「アバロン魔皇国からも、レオンハート王国からも、『農家のカバンで潰れる戦車などいらん』と、大量の兵器のキャンセル要請が相次いでおります! このままでは、我が国の経済が破綻してしまいますぞ!」
「ええい、黙れェェェッ!!」
ドン・ガロン王は、自身の持つ巨大な戦鎚を床に叩きつけた。
「我が地下帝国は、大陸全土に死を売り捌く最強の商人! 兵器の質こそが我らの命! それを……たかが辺境の農村の、得体の知れないオッサン一人に泥を塗られたままにしておけるかァァッ!」
王の怒号が、地下帝国全体に地響きとなって木霊する。
「直ちに『試作型・超弩級陸上戦艦』を起動させよ! ワシ自らが指揮を執り、あのポポロ村とかいう忌まわしい村を、あのオッサンの畑ごと灰燼に帰してくれるわ! 我らドンガンの技術力が世界一であることを、その身に刻み込んでやるッ!」
「「「オオオオオォォォォォォォォッ!!」」」
血の気の多いドワーフの技術者たちが、一斉に咆哮を上げた。
炎上神の仕組んだヤラセ事件の余波は、ルナミス帝国の上層部を勘違いさせただけでなく、大陸の裏経済を牛耳る『死の商人』の逆鱗にまで火をつけてしまったのだ。
極道農家と、兵器の粋を集めたドワーフ軍団。
大地の覇権(とブランドの意地)を懸けた、新たなる厄介事の足音が、ポポロ村の地下深くから確実に迫りつつあった。
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