EP 4
「ルームメイトの土下座と、みかん箱のステージ」
「さぁ、聴いてちょうだい! 私の魂のメロディーで、おじさんの心を宇宙一ハッピーにしてあげるんだから!」
巨大ビニールハウスの前。
夕闇が迫る農園のど真ん中で、臙脂色の芋ジャージを着た人魚姫・リーザは、裏返した収穫用のプラスチックコンテナ(通称:みかん箱)の上に仁王立ちしていた。
その右手には、マイク代わりに引っこ抜きたての泥付き人参が握られている。
「……おう。ハッピーにしてくれるのは結構だが、なんでみかん箱の上に立ってんだ、お前は」
俺はパイプ椅子に深く腰掛け、真鍮製のライターでマルボロに火をつけながら呆れた声を漏らした。
豚汁と塩むすびを貪り食い、アイドルの矜持を取り戻した(と思い込んでいる)この小娘は、飯代を『歌』で払うと言い出し、勝手に即席のステージを作り上げたのだ。
「フフン、素人はこれだから困るわね。ステージの高さはアイドルの誇りの高さよ! どんな場所でも、私が立てばそこが銀河の中心なの!」
「そうかよ。で、その銀河の中心から何を見せてくれるんだ?」
「もちろん、私の最高のパフォーマンスよ! もし心が震えたら、遠慮せずにそこら辺の籠に『お布施』を投げ込んでね!」
図々しいにも程がある。タダ飯を食った上に、さらにチップを要求するとは。
極貧生活で培われたたくましさか、それともただの強欲か。
リーザがコホンと咳払いをし、人参マイクを口元に寄せようとした、その時だった。
「――あれ? その声、まさか……リーザちゃん!?」
背後から、驚きに満ちた声が響いた。
村長の仕事(という名の書類整理)を終えたキャルルが、目を丸くしてこちらに歩いてくる。
みかん箱の上に立つ芋ジャージの少女を見た瞬間、キャルルのウサギ耳がピンッと直立した。
「キャ、キャルルちゃん!?」
リーザもまた、キャルルの姿を認めるなり、人参を取り落として目を見開いた。
「やっぱりリーザちゃんだ! ルナミス帝国の親善大使をほっぽり出して地下アイドルになったって噂は聞いてたけど……どうしてこんな泥だらけなの!?」
「うぅっ……キャルルちゃぁぁん! 会いたかったよぉぉ!」
感動の再会である。
かつてルナミス帝国でルームメイトとして生活を共にしていたという二人。リーザはみかん箱から飛び降り、涙を浮かべてキャルルに抱きつこうと駆け寄った。
だが、キャルルの態度は、俺の予想とは少し違った。
スッ……。
キャルルは無表情のまま、抱きついてこようとするリーザの額に、トンファーの柄を冷酷に突きつけて動きを止めた。
「えっ……? キャ、キャルルちゃん……?」
「感動の再会のところ悪いんだけど。リーザちゃん、ルナミス帝国にある私たちのシェアハウスの家賃……あんたの分、もう三ヶ月も滞納してるわよね?」
「――――ッ!?」
リーザの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
キャルルの声は、氷点下よりも冷たかった。相手の心音から嘘を見抜く月兎族の村長にとって、家賃滞納というごまかしの利かない事実は、いかなる友情よりも重いらしい。
「あ、あのね、キャルルちゃん! これには海より深い事情が……っ! 今のアイドル業界は氷河期で、ライブハウスのノルマが厳しくて……っ」
「私が村長になってポポロ村に来たのをいいことに、バックレようとしてたわね?」
「ち、ちがっ! そんなこと――」
「家・賃・払・え」
「ひぐっ!?」
ズサァァァァァッ!!
次の瞬間、リーザは信じられない速度で地面に膝をつき、完璧なフォームで土下座を決めた。芋ジャージの膝が泥に汚れ、額がポポロ村の極上腐葉土にめり込んでいる。
「ごめんなさぁぁぁい! 月末! 次の月末には絶対に払うからぁぁ! だからマグローザ漁船(強制労働)にだけは売らないでぇぇ!」
「……はぁ。全く、一国の王女様がなんて情けない格好してるのよ」
キャルルは呆れ果てたようにため息をつき、トンファーを下ろした。
(……王族のプライドはどこに消えたんだ、このガキは)
俺はマルボロの煙を吐き出しながら、あまりにも低レベルな修羅場を冷ややかな目で眺めていた。
だが、リーザはただの極貧少女ではなかった。土下座の姿勢からバネのように跳ね起きると、再びみかん箱のステージへと駆け上がったのだ。
「見てなさいキャルルちゃん! それに、そこのおじさんも! 私がただのタダ飯食らいの家賃滞納アイドルじゃないってことを、今ここでお見せするわ!」
リーザは泥だらけの人参マイクを握りしめ、ビシッと俺たちを指差した。
「私の歌で、世界を救う! ……ついでに、皆のお財布の紐も緩めてみせるんだからっ! ミュージック、スタート!」
伴奏などない、完全なアカペラ。
だが、リーザが息を吸い込み、その小さな唇を開いた瞬間――農園の空気が、一変した。
『さぁショーの始まりよ! のんびりな私は 1LDKに置いて行くわ!』
――なんだ、これは。
俺は思わず、咥えていたマルボロを指に挟み直した。
透き通るような、それでいて芯のある強烈な歌声。人魚姫の持つ生来の魔力(バフ効果)が音声に乗って空気を振動させ、聴く者の耳から直接脳髄へと甘い痺れを送り込んでくる。
ただのアカペラだというのに、まるで背後にフルオーケストラを背負っているかのような圧倒的な音圧と、謎の多幸感が押し寄せてきたのだ。
『今日も私の為に世界が動く! 全て上手くいくわ!』
『愛も富も一つの物! ダイヤが欲しい♪ 土地も欲しい♪』
『貴方の愛で生きていけるぅぅ〜!』
「……って、歌詞がドストレートに強欲すぎねぇか!?」
俺は思わずツッコミを入れた。
歌声の美しさと、歌詞の生々しさ(要求)のギャップがエグすぎる。どんだけ金が欲しいんだ、このアイドルは。
だが、その強欲さすらも、彼女の放つ熱狂的なパフォーマンスの前では謎の引力を持っていた。
ステップを踏み、泥だらけのジャージを翻しながら歌い踊るリーザ。その姿は、確かに『アイドル』と呼ぶにふさわしい異様な輝きを放っている。
『世界中が私の為に愛を叫ぶ! 全部抱きしめるわ!』
『ダイヤも株も♪ 土地も愛も♪』
『だから……もっともっと、愛して(課金して)ね? 覚悟はいい?』
「あぁ……っ、リーザちゃん、相変わらず凄い歌声……っ。なんだかお財布の中身を全部投げたくなってきちゃう……ダメよキャルル、これは家賃の回収なんだから……っ!」
キャルルが自分の財布を両手で押さえ込み、ガクガクと震えながら必死に誘惑に耐えている。
俺は我関せずとパイプ椅子に座り直したが、背後に控えていたスーツ姿の男――リバロンの様子がおかしいことに気づいた。
リバロンは、純白のハンカチで冷や汗を拭いながら、みかん箱の上で歌うリーザと、俺の背中を交互に見つめ、ワナワナと肩を震わせている。
そして、誰に聞かせるでもなく、狂喜に満ちた声でブツブツと呟き始めたのだ。
「……なるほど。これが覇王様の思い描く、次なる『侵略』の形……っ!」
「あ?」
俺が訝しげに振り返ると、リバロンは眼鏡の奥の目をギラギラと輝かせ、早口で妄想を垂れ流した。
「武力や兵站による支配は、いずれ反発を生む。だが、この『あまねく熱狂』という名の疑似宗教を用いればどうでしょう。愚民どもは自ら進んで『お布施』という名の税を納め、時間と富を嬉々として搾取されていく。……これを大陸全土に広げれば、血の一滴も流さずに、世界の富を完全に掌握できる!」
リバロンは両手で顔を覆い、天を仰いだ。
「あぁ、覇王様……! 王女の尊厳を泥に落とし、みかん箱の上で『大衆から富を巻き上げる広域洗脳兵器』へと仕立て上げるとは! なんという悪魔的かつ完璧な経済戦略! このリバロン、己の底の浅さを恥じるばかりです……っ!」
(……またこいつ、とんでもねぇ方向に深読みしてんな)
俺は呆れ果ててため息をついた。
ただの家賃を滞納した極貧少女が、飯代の代わりにみかん箱で歌っているだけだぞ。なんでそれが、大衆から富を巻き上げる広域洗脳兵器に変換されるんだ。
だが、その狂った妄想を「現実」のものにしようとする奴が、もう一人いた。
「ええぞ……これ、ええでぇ! 金貨の匂いがプンプンしよるわ!!」
ダダンッ!! と、黄金の算盤を弾くけたたましい音が響いた。
いつの間にか現れていたゴルド商会のニャングルが、猫耳をピンと立て、口元の煙管を震わせながら、目を『¥』マークにして俺の前に飛び出してきたのだ。
「兄さん、いや覇王様! この『あいどる』っちゅうシノギ、ワテらゴルド商会に噛ませてくれまへんか!?」
「は? シノギ?」
ニャングルは懐から、青白く光る水晶のような石――『魔導通信石』の特大サイズを取り出し、ニヤリと商人の顔で笑った。
「せや! この魔導通信石のネットワークを使えば、この嬢ちゃんの歌を、ルナミスもレオンハートもアバロンも……大陸中の空に『魔導配信』することができる! 世界中の愚民どもから、限界まで銭を絞り上げる、最強のエンタメ帝国の誕生やでぇぇ!!」
ニャングルの背後で、リーザが「ホント!? 私、世界中の人からお布施もらえるの!?」と目を輝かせている。
極貧の地下アイドルと、金の亡者の商人と、深読みの怪物執事。
この三人が結託した瞬間、俺ののどかな農業スローライフは、図らずも「全世界同時配信」というとんでもないカオス(放送事故)へと足を踏み入れることになってしまったのである。
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