EP 3
「極道特製・豚汁と塩むすび。砕け散るアイドルの矜持」
ジュワァァァァァッ!!
巨大な野外調理台に、豚バラ肉の焼ける暴力的な音が響き渡る。
赤身と脂身の完璧な層を成す豚肉から、白く甘い脂が溶け出し、熱した鍋肌で踊っている。そこへ、ごま油をひと回し。香ばしい匂いが夕暮れの風に乗って、ポポロ村の極上農園(俺のシマ)を包み込み始めた。
「……きゅ、きゅるるるるぅぅぅ……」
調理台から数メートル離れたパイプ椅子。
そこにちょこんと座らされた臙脂色の芋ジャージ――海中国家シーランの王女にして地下アイドルを自称するリーザの腹から、またしても雷鳴のような音が鳴り響いた。
「うぅ……っ。だ、ダメよリーザ。アイドルは霞を食べて生きるの。あんな脂っこいお肉の匂いなんて、ちっとも……ちっとも美味しそうなんかじゃないんだからっ!」
リーザは両手で顔を覆い、必死に自分に言い聞かせている。
だが、その指の隙間からは、鍋の動向をガン見する血走った眼光が漏れていたし、口の端からは滝のようにヨダレが垂れていた。
(……やせ我慢もそこまでいくと立派なモンだ)
俺は内心で呆れながら、包丁を握った。
豚肉から十分な脂が出たところで、根菜類をブチ込む。
極上の腐葉土で育った大根、ごぼう、太陽芋。そして『人参マンドラ』だ。
こいつは畑から引っこ抜くと「ギャァァァ!」と煩い悲鳴を上げて走り出す厄介な作物だが、俺が赤黒い極道の闘気を放って「やかましい」と一睨みすると、すぐに「ヒッ……」と息を呑んで大人しくなる。
すっかり萎縮してただの根菜になったマンドラを、乱切りにして鍋に放り込む。
ジャッ、ジャッ、ジャァァァッ!
豚の脂とごま油で、根菜をしっかりと炒め上げる。大根の縁が透き通り、肉の旨味を吸い込み始めたところで、昆布と鰹の極上ダシを一気に注ぎ込んだ。
グツグツと煮立ち、アクを丁寧にすくい取る。
根菜が柔らかくなったところで、スマホ通販で取り寄せた『無添加の合わせ味噌』を溶かし入れる。
――フワァァァ……ッ。
その瞬間、味噌の芳醇な香りと、豚肉の甘み、根菜の土の匂いが渾然一体となった『極上の豚汁』の湯気が、爆発的に立ち昇った。
「あ……ぁ……っ」
パイプ椅子に座っていたリーザの目が、完全に据わった。
彼女はフラフラと立ち上がり、まるで魂を抜かれた亡霊のように、鍋の方へと歩み寄ってくる。
「おう、できたぞ。特製・極道豚汁だ」
俺は深めの椀に、これでもかというほど具沢山の豚汁をよそった。
さらに、炊きたての『米麦草』を、塩をまぶした手でアツアツのうちにふっくらと握り上げた『極上塩むすび』を二つ、皿に添える。
飾りのない、純粋な炭水化物と塩分、そして旨味の暴力。極限まで腹を空かせた人間に食わせるなら、これ以上の特効薬はねぇ。
「ほらよ。食いな」
俺がドンッ、とテーブルに椀と皿を置くと、リーザはハッと我に返り、ブルブルと首を横に振った。
「た、食べないわ! 私はアイドル! ファンのみんなのお布施以外で、こんな初対面の人から施しを受けるなんて……そんなの、そんなの……っ!」
「五月蝿ぇな。俺のシマのルールその四、『食い物は大事にする』だ。出された飯を冷ますような真似をする奴は、アイドルだろうが王女だろうが容赦しねぇぞ」
俺が低くドスの効いた声で凄むと、リーザはビクッと肩を震わせた。
そして、恐怖と、それ以上に逆らえない圧倒的な食欲の前に屈し、震える両手で豚汁の椀を持ち上げた。
「い、いただきます……っ」
ズズッ。
リーザが、熱々の豚汁の汁を、一口すする。
「――――ッ!!?」
その瞬間、リーザの動きが完全に停止した。
水色の髪の奥にある人魚の耳飾りが、ビクンッ! と跳ね上がる。
極限まで飢餓状態にあった彼女の胃袋に、豚バラの濃厚な脂と、味噌の塩分、ダシの強烈なアミノ酸が、まるで灼熱のマグマのように染み渡っていく。
全身の細胞が一斉に歓喜の悲鳴を上げ、脳髄に致死量の快楽物質がブチ撒けられた。
「あ……あひぃぃぃっ!?」
リーザは椀を持ったまま、ガクンと膝から崩れ落ちた。
「な、なにこれぇぇ!? お汁が、お汁が五臓六腑に染み渡るぅぅ! 大根さんが、お肉の旨味を全部吸い込んで、お口の中でとろけゅぅぅぅ!」
彼女はもはや火傷など気にするそぶりも見せず、箸を使って狂ったように具材を口に掻き込み始めた。
「あちっ、はふっ! 美味しいっ、美味しいよぉ! パンの耳なんか目じゃない! お芋がホクホクで、お肉が甘くて……あはぁっ♡」
涙と鼻水をボロボロと流し、泥だらけの顔をさらにぐしゃぐしゃにしながら、彼女は塩むすびにもかぶりついた。
サクッ。
「んんんんっ!! お米がっ! お米が甘いっ! ただの塩とご飯なのに、豚汁と一緒に食べたら、頭の中で宇宙が爆発するぅぅぅ!」
アイドルの矜持など、もはや宇宙の彼方へ吹き飛んでいた。
語彙力を完全に喪失し、恍惚とした表情で豚汁と塩むすびを貪る一人の少女。
「私……もうアイドルじゃなくていい……。毎日このお汁とご飯が食べられるなら、おじさんの畑の豚になりますぅぅ……ブヒィィィ……っ♡」
つい数分前まで「霞を食べて生きる」と豪語していた人魚姫は、見事なまでに食欲の奴隷(メス豚)へと堕ちていた。
(……なんで俺の周りの女は、美味い飯を食うとすぐに豚になりたがるんだ?)
俺は呆れ果てながら、真鍮製のライターを鳴らしてマルボロに火をつけた。
まぁいい。ガキが美味そうに飯を食う姿は、見ていて悪い気はしねぇからな。
◇ ◇ ◇
少し離れた場所から、その光景を静かに見つめている男がいた。
三つ揃えの高級スーツを着込んだ人狼族の執事、リバロンである。彼は純白のハンカチで口元を覆いながら、背筋に走る強烈な悪寒と歓喜に打ち震えていた。
(……なんという、恐るべき精神破壊の手法か)
リバロンの鋭い観察眼は、リーザの正体が海中国家シーランの王女であることを確信していた。
誇り高き王族であり、強靭な自我を持つ少女。それを武力や魔法で屈服させようとすれば、必ず強い反発を招く。
だが、龍魔呂は違った。
彼は少女を極限の飢餓状態に置いた上で(※勝手に貧乏生活をしていただけだが)、圧倒的な『旨味の暴力』を物理的に胃袋へ流し込んだのだ。
さらに恐ろしいのは、あの『塩むすび』である。
豪華なフルコースなどではない。ただの米と塩。原価など無に等しい。だが、その極限まで削ぎ落とされたシンプルな炭水化物こそが、飢えた肉体には最も強烈な依存性を生み出す『魔薬』となる。
(たった一杯の汁物と、握り飯。わずかなコストで、海中国家の第一王位継承者の自我を完全に破壊し、永遠の忠誠(依存)を誓わせるとは……!)
これでシーラン国の女王リヴァイアサンは、娘を人質に取られたも同然。覇王の言葉一つで、広大な海の流通網すらも意のままに操れるようになったのだ。
リバロンは、この冷酷にして完璧すぎる政治的略奪を前に、主への畏敬の念をさらに深めるのだった。
◇ ◇ ◇
「ぷはぁぁぁっ! ごちそうさまでしたぁっ!」
リーザは空になった椀と皿をテーブルに置き、パンパンに膨れたお腹をさすりながら、幸せそうに息を吐き出した。
「おう。お粗末さんだったな」
俺が携帯灰皿にマルボロを揉み消すと、リーザはハッとして顔を青ざめさせた。
満腹になって冷静さを取り戻し、自分が「初対面のおじさんからタダ飯を貪り食った」という事実に気づいたらしい。
「あ……あぅぅ……っ。わ、私、アイドルのプライドを捨てて、あんなにガツガツと……っ」
リーザは顔を真っ赤にしてうつむき、芋ジャージの裾をギュッと握りしめた。
「お、お金はないの! パンの耳しかないの! でも、タダ飯食らいのままなんて、絶対に嫌だわ!」
リーザはガバッと顔を上げ、決意に満ちた強い瞳で俺をビシッと指差した。
「決めたわ! この豚汁のお代は、私の『歌』で払う! 私の歌で、あなたを宇宙一ハッピーにしてあげるんだから!」
「……あ? 歌ぁ?」
俺は首を傾げた。
極貧の地下アイドルが、俺のシマでステージを開く。これが、とんでもない広域洗脳騒動への幕開けになるとは、まだ誰も気付いていなかった。
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