EP 2
「パンの耳と野良犬。芋ジャージの人魚姫」
「シャァァァッ! 渡さないわよ! これは私が先に見つけたんだから!」
「グルルルルルッ!!」
ポポロ村の公園にある砂場。
そこで繰り広げられていたのは、俺の極道人生においても見たことのない、あまりにも低レベルで、かつ凄惨な死闘だった。
臙脂色の絶妙にダサい芋ジャージを着た小柄な少女が、己の身体を丸めるようにして、透明なビニール袋を死守している。袋の中に入っているのは、パンの耳と、コンビニの廃棄弁当らしき残飯だ。
少女に馬乗りになって牙を剥いているのは、この辺りをうろついている凶暴な野良の魔獣(見た目はデカいドーベルマンのような犬)だった。
「あぐっ! 噛んだわねこの駄犬! アイドルは顔が命なのに! でも負けない、絶対に負けないんだからぁっ! これを取られたら、今日の私の夕ご飯が……明日の朝ご飯がぁぁっ!」
少女の頭には、透き通るような水色の髪と、人魚のようなエラ飾りがついている。年は十六、七といったところか。顔の造作は驚くほど整っていて可愛らしいが、今はその瞳を血走らせ、泥だらけになりながら犬の鼻先に頭突きを食らわせている。
対する魔獣も、残飯の匂いに飢えているのか、少女の芋ジャージの袖に噛みつき、激しく首を振っていた。
「……おいおい」
買い出しの途中で足を止めた俺は、思わず咥えていたマルボロを指に挟み、呆れた声を漏らした。
カタギの女子供が、道端で野犬と残飯を奪い合って泥まみれになっている。
極道のルールその一、カタギは守る。
極道のルールその二、女には手を出さない(守る)。
極道のルールその四、食い物は大事にする。
「……あんな残飯の奪い合いなんざ、俺の目の前でやってくれるな。胸糞悪ィ」
俺は重いため息をつきながら、真鍮製のライターを鳴らした。
カチッ……。
その金属音が鳴った瞬間。
俺の足元から、薄らと赤黒い極道の闘気が漏れ出した。
本気を出すまでもない。ただの『威圧(メンチ切り)』だ。俺はゆっくりと歩を進め、少女に馬乗りになっている魔獣を見下ろした。
「おい、駄犬。その嬢ちゃんから離れろ。死にてぇのか」
ドズゥゥゥンッ。
言葉に乗せた微量の殺気が、魔獣の毛皮をビリビリと撫でた。
「ギャンッ!?」
魔獣は一瞬にして硬直した。振り返って俺の百九十センチの巨体と顔の傷を見るなり、悲鳴のような鳴き声を上げ、股間から黄色い液体を撒き散らしながら、一目散に森の方へと逃げ去っていった。
「ぜぇ、ぜぇ……はっ! か、勝った……! 私の、私のパンの耳が守られたわ!」
少女は泥だらけの顔で、ボロボロになったビニール袋を抱きしめ、歓喜の声を上げている。
「おい、嬢ちゃん。大丈夫か」
俺が声をかけると、少女はビクッと肩を跳ねさせ、袋を抱えたまま後ずさりした。足元には、すっかり擦り減った健康サンダルを履いている。
「な、なによ! 今度はあなたがこれを奪う気!? あげないわよ! これは私がルナミスデパートの試食コーナーのアンケートに全力で答えて貰った、大事な大事なパンの耳なんだから!」
「……誰がそんなモン奪うかよ。というか、そんなゴミ食ってたら腹壊すぞ。捨てろ」
「ゴミじゃないもん! 貴重な炭水化物だもん!」
少女は涙目で俺を睨みつけてくる。
どうやら、マジで金がないらしい。健康サンダルの裏は擦り切れ、ジャージには何度も繕った跡がある。
俺はマルボロの煙を吐き出し、頭を掻いた。
「腹、減ってんだろ。うちに来い。まともな飯を食わせてやる」
「え……っ」
少女の顔が一瞬、パァッと明るくなった。だが、彼女はすぐに首をブルブルと横に振り、細い胸を張った。
「あ、アイドルは施しは受けません! 私にはプライドがあるの! ファンのみんなに夢を与える存在が、初対面のコワモテのおじさんに餌付けされるなんて、アイドル失格だわ!」
「……アイドル?」
「そうよ! 私は海中国家シーランから来た、歌で世界を救う人魚姫! そして絶対無敵の地下アイドル、リーザよ! ……きゅるるるぅぅぅぅぅぅ」
大見得を切った直後、彼女の腹から、雷鳴のような盛大な腹の虫が鳴り響いた。
リーザと名乗った少女は、カァァッと顔を真っ赤にして、その場にしゃがみ込んだ。
「……うぅぅ、お腹減ったぁ……。でも、でも、タダ飯はダメなの……。アイドルの矜持が……」
「五月蝿ぇ」
俺は屈み込み、彼女が大事そうに抱えていた残飯の袋をひょいと取り上げた。
「あっ! 私のパンの耳!」
「こんなモン食うな。ガキが泥水啜ってんのを見過ごすほど、俺は落ちぶれちゃいねぇんだよ。ツベコベ言わずについて来い」
「やだぁ! パンの耳返してぇ!」
俺は泣き喚くリーザの首根っこを掴み、子猫のようにヒョイと持ち上げた。
その時だ。背後で荷物持ちとして付き従っていたスーツ姿の男――リバロンが、スチャッと眼鏡を押し上げながら、ひどく感極まったような声で呟いた。
「……素晴らしい」
「あ? なんだ、リバロン」
振り返ると、リバロンは俺の手の中でジタバタと暴れるリーザを見て、深い畏敬の念を込めたお辞儀をした。
「さすがは龍魔呂様。公園を散歩するふりをして、まさかこれほどの大物を釣り上げるとは。私の目は節穴でございました」
「大物だぁ? ただの腹空かせたガキだろ」
「ご謙遜を。その少女の頭のエラ飾り……間違いない、彼女は海中国家シーランの女王リヴァイアサンの一人娘、第一王女リーザ様に違いありません」
「は?」
俺は手に提げた芋ジャージの少女を見た。
パンの耳に執着し、野良犬とマジ喧嘩をしていたこの小娘が、一国の王女?
「離してぇ! アイドルのプライドがぁ!」とバタバタ暴れる姿からは、王族の威厳など微塵も感じられない。
「なるほど、理解いたしました」
リバロンが一人で深く頷き、ブツブツと解説を始める。
「ルナミス、レオンハート、アバロンの三国境を事実上支配した覇王様にとって、次の狙いは『海上の流通経路の掌握』。そのために、シーラン国の王位継承権を持つ彼女に『恩衣(飯)』を着せ、合法的な人質として手中に収める。……なんという恐るべき政治的誘拐(囲い込み)。覇王様の深謀遠慮、このリバロン、身の毛がよだつ思いです」
(……またこいつ、一人でヤバい妄想を膨らませてやがる)
俺は深いため息をついた。
「勝手に言ってろ。俺はただ、腹空かせてるガキにメシを食わせてやるだけだ。……それよりリバロン、豚肉と大根の買い忘れはねぇだろうな。今日は『豚汁』にするからな」
「ハッ! シーラン国の姫君を籠絡するための極上の供物、抜かりなく手配済みでございます!」
リバロンが恭しく荷物を掲げる。
相変わらず話は通じねぇが、仕事だけは完璧だ。俺はリーザを小脇に抱えたまま、極上農園へと歩き出した。
◇ ◇ ◇
「おい、帰ったぞ」
俺が巨大ビニールハウスの前に到着し、小脇に抱えていた少女を地面に下ろすと、奥からエプロン姿のキャルルが駆け寄ってきた。
「おかえりなさい、龍魔呂さ――って、ええええっ!?」
キャルルは、俺の足元で芋ジャージを泥だらけにしてしゃがみ込んでいる少女を見るなり、ウサギの耳をピンと立てて驚愕の声を上げた。
「リ、リーザちゃん!? なんでこんな泥だらけなの!? それに、どうして龍魔呂さんと一緒に……!」
「キャ、キャルルちゃん……っ」
リーザが涙目でキャルルを見上げる。
「うぅっ……私、アイドルだから、パンの耳で生きていけるもん……。でも、このおじさんが無理やり……」
どうやら、キャルルとこの芋ジャージは知り合いらしい。
「知り合いか?」
「は、はい……。私がポポロ村に来る前、ルナミス帝国でシェアハウスをしていた時のルームメイトです……。でもリーザちゃん、親善大使としてルナミスに来たはずなのに、いつの間にか地下アイドルにハマっちゃって、極貧生活を送ってるって噂は聞いてたけど……」
キャルルが痛ましいものを見る目でリーザの擦り切れたサンダルを見つめている。
一国の王女が、親善大使の任務を放り出して地下アイドルになり、野犬と残飯を奪い合っている。世の中にはいろんな奴がいるもんだ。
「まぁ、事情はあとでゆっくり聞くさ。それより――」
俺は腕まくりをし、野外調理台の前に立った。
夕暮れの風が吹き抜け、腹の虫が限界を告げるように鳴り響く時間だ。
「おい、そこの芋ジャージ。そこに座って待ってろ。今、胃袋がひっくり返るような、熱くて美味いモンを作ってやるからな」
「あ、アイドルは施しは受けないんだから……っ! ぐきゅるるるぅぅぅ……」
強がりと腹の虫の悲鳴が混ざり合う中、俺は包丁を手に取り、見事な大根をザクザクと切り始めた。
極道の男飯が、この強欲で極貧の人魚姫をどう陥落させるか。俺の包丁の音が、夕暮れの農園に小気味よく響き渡った。
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