第二話 弁当と、距離と、囲い込み
星野紗良と昼ごはんを一緒に食べるようになって、三日が経った。
三日連続だ。
一日目は「これから毎日」と宣言されて、私が呆気に取られているうちに終わった。二日目は紗良が当たり前みたいに私の隣に現れて、また静かにお弁当を広げた。三日目の今日も同じだった。
もはや既成事実になっている。
あかりには「ひよりって星野さんと仲良かったんだ」と思われているし、クラスの何人かも「あの二人、最近よく一緒にいるよね」という認識になってきているらしい。
私はただ断れなかっただけなんだけど、そういう説明をするタイミングを逃した。
今日も紗良は隣に座って、静かにお弁当を開いた。
また綺麗なお弁当だった。卵焼きと、小さなおにぎりと、彩りよく詰められたおかず。毎日ちゃんと作ってきている。
「今日も自分で作ったの?」
「うん」
「毎日すごいね。私、ほぼ購買だよ」
「知ってる」
「え、なんで知ってるの」
「見てたから」
さらっと言われた。
見てた。
私が毎日購買に行っているのを、見ていた。それはつまり、毎日私を見ていたということになる。
「……いつから?」
「今年の四月から」
つまり新学期からずっとだ。四月から今は六月だから、二ヶ月間。
「なんで見てたの」
「好きだから」
また一秒も迷わずに答えた。
私は箸を持ったまま固まった。
「す、好き?」
「うん」
「え、」
「おかず、食べる?」
話が切り替わった。
紗良が卵焼きを一切れ、私のお弁当箱の端にそっと置いた。
「え、いいの」
「食べて」
食べた。
おいしかった。甘くて、ふわふわしていた。
「……おいしい」
「よかった」
紗良が少しだけ、口の端を動かした。笑ったわけじゃないけど、なんか柔らかくなった感じ。
私はその横顔を見ながら、頭の上のゲージを確認した。
999。今日も変わらない。
っていうか「好きだから」ってなんだ。好きってどういう好きだ。友達として好き? 人として好き? それとも。
聞きたいけど、聞いて答えが返ってきたときに自分がどうなるかわからなくて、うまく口が動かなかった。
「ねえ、紗良」
気づいたら名前で呼んでいた。
紗良が少し顔を向けた。反応が、普段より一テンポ早い気がした。
「名前で呼んだ」
「あ、ごめん、なんか自然に」
「いい。うれしい」
また淡々と言った。
うれしい、とか言うな。そういうことをそのまま言われると、どう返せばいいかわからなくなる。
「じゃあ、私のことも名前で呼んでいいよ」
「ひより」
間を置かずに呼んだ。
呼び慣れている感じがした。もしかして、前から頭の中で呼んでたのか、この子。
「……前から呼んでた?」
「心の中では」
「やっぱり」
私は少し笑ってしまった。なんかもう、ツッコむ気も薄れてきた。
紗良は静かにお弁当を食べ続けた。
その日の午後、五時間目が始まる前のことだった。
席替えがあった。
担任の先生がくじを持ってきて、一人ずつ引いていく。私は真ん中あたりの席になった。窓側じゃないけど、まあ普通の場所だ。
全員が引き終わって、先生が新しい座席表を黒板に貼った。
私は自分の席を確認してから、隣の席を見た。
星野紗良だった。
「……え」
私は座席表を二度見した。
間違いなかった。私の右隣が星野紗良になっていた。
振り返ると、紗良がもう自分の荷物を移動させていた。当たり前みたいに、私の隣の席に荷物を置いて、椅子を引いて座っている。
「紗良、くじ操作した?」
「してない」
「本当に?」
「ランダム」
淡々と言いながら、教科書を机に出している。
ランダムでこうなるのか。運がいいのか、それとも何かの力が働いているのか。
ゲージが999になるくらいだから、もうどんな偶然も不思議じゃないかもしれない。
あかりが後ろから「ひより、また隣になったじゃん!」と笑っていた。私は苦笑いを返した。
五時間目の現代文が始まった。
先生が教科書を読み上げる中、紗良は静かにノートを取っていた。字が丁寧だ。ちらっと見えたノートは、きれいに整理されていた。
板書をノートに写していると、紗良がふいに小さなメモ用紙を差し出してきた。
受け取って見ると、さっきの板書で私が写し間違えているところが、正しく書いてあった。
私のノートを見て、気づいて、直してくれたらしい。
私は小声で「ありがとう」と言った。
紗良は前を向いたまま、小さくうなずいた。
なんか、さりげなかった。
さりげなすぎて、逆に気になった。
放課後になった。
帰り支度をしていると、紗良が私の机の横に立っていた。
「ひより、帰り方向どっち?」
「北口」
「一緒だ」
また宣言だ。確認なのか報告なのか、よくわからない言い方をする子だ。
でも、嫌じゃない。なんで嫌じゃないのか、自分でも少し不思議だった。
「じゃあ一緒に帰るか」
私が言ったら、紗良が少しだけ目を細めた。
笑った、というより、表情がほんの少し解けた感じ。
並んで教室を出た。
廊下を歩きながら、紗良は喋らなかった。でも隣を歩くのが自然だった。歩くペースが合っている。それだけで、なんか、不思議と沈黙が苦じゃない。
「ねえ、紗良って友達いないの?」
「いる」
「あ、そうなんだ。ごめん、失礼なこと聞いた」
「でも、ひよりが一番好き」
階段を降りながら、さらっと言われた。
私は一段踏み外しそうになって、手すりを掴んだ。
「そういうこと急に言わないで」
「急じゃない。ずっとそう」
「私にとっては急なんだよ」
「そっか」
紗良は少し考えてから言った。
「ごめん」
「謝らなくていいけど、その、もう少し段階踏んでほしいというか」
「段階」
「いきなり好きとか一番とか言われると、どう反応すればいいかわからなくて」
紗良は少し黙ってから、静かに言った。
「どう反応してほしいとか、ない」
「え?」
「ひよりが思ったことを言えばいい。困ったら困ったって言えばいい」
それはそれで、困る。
私はため息をついてから、正直に言った。
「困ってる」
「うん」
「なんで好きなのか、わからないから」
「理由があるよ」
「教えてくれないの?」
紗良は少し間を置いた。
「今は、まだ」
「なんで」
「言ったら、逃げるかもしれないから」
それは、心当たりがあった。
急に重い話になったら、私はたぶん一歩引く。それを紗良はわかっている。
「逃げないよ」
「今はそう思っても」
「信用されてないじゃん」
「信用してる。でも、怖い」
紗良が少しだけ声のトーンを落とした。
怖い、か。
この子も怖いんだ、と思ったら、なんか少し親近感が湧いた。ゲージが999で、堂々と「好き」と言えるくせに、それでも怖いと思うことがあるんだ。
「……わかった、急かさない」
「ありがとう」
「でも、いつか教えてよ。999の理由」
紗良が立ち止まった。
私も合わせて止まった。
「999?」
あ、しまった。
「な、なんでもない。忘れて」
「何が999なの」
「本当になんでもない、独り言」
紗良はじっと私を見た。
黒い目で、静かに、でもまっすぐ。
「ひより、何か見えてる?」
ドキッとした。
「見えてないよ」
「そう」
紗良は少し間を置いてから、また歩き始めた。
私も慌ててついた。
しばらく無言で歩いて、北口の交差点に差しかかった。
「ここで分かれる?」
「私はもう少し先」
「そっか」
「ひより」
紗良が立ち止まって、こちらを向いた。
「明日も、弁当一緒に食べよ」
質問じゃなかった。確認でもなかった。
ただ、そう言った。
私は少し笑ってから、うなずいた。
「わかった、一緒に食べる」
紗良が、今日一番ちゃんとした笑顔を見せた。
声は出ない。でも目が、少し細くなって、口の端が上がって、確かに笑っていた。
それを見たら、胸のあたりがなんかむず痒くなった。
別れてから、一人で歩きながら考えた。
紗良はずるい。
あんな笑い方をするなら、最初から見せればいいのに。普段は無表情に近いくせに、たまにああいう顔をするから、なんか目が離せなくなる。
頭の上のゲージのことも、まだ何もわかっていない。
なんで見えるのか。なんで紗良だけなのか。なんで999なのか。
でも今日一日一緒にいて、わかったことがある。
紗良は怖い子じゃない。
重いといえば重いかもしれない。でも、嘘をついてない。思ったことをそのまま言う。それが逆に、変に取り繕った感じがしなくて、私はなんか好きだった。
好き、という言葉を頭の中で使って、少し驚いた。
今のは、人として好きという意味だ。たぶん。きっと。
私は空を見上げた。夕方の空が、ぼんやりとオレンジになっていた。
明日も弁当を一緒に食べる。
その約束が、なんか、楽しみだった。




