魔法学院の糖度異常 ~恋人たちの「指導」は甘すぎる~②
午前十時。
学院の広大な魔術訓練場には乾燥した土の匂いと時折弾ける魔力の火花の音が満ちていた。
数十名の生徒たちが杖を構え、標的に向かって呪文を詠唱している。
ピリッとした緊張感。ようやく私が求めていた「塩気」のある空気だ。
(よし。これよ、これ。
やっぱり百合には『戦う乙女』というスパイスが必要なのよ。朝の砂糖漬け状態からここでキリッと引き締めてもらわないと!)
私は観測者として訓練場の端にある木陰に陣取った。
視界の中央には凛とした立ち姿のエリシアがいる。
学院の制服の上からローブを羽織り、長い金髪をなびかせる彼女は、まさに「模範生」の風格だ。
その数メートル先でリリアが必死な表情で杖を振っている。
「風よ、集いて刃と成れ――ウィンド・カッター!」
リリアの詠唱と共に杖の先から真空の刃が放たれ一直線で進んでいく――が標的の少し手前で霧散してしまった。
魔力制御の甘さに出力のブレ、リリアが悔しそうに唇を噛む。
「⋯⋯くっ、また⋯⋯」
さあ、どうするエリシア先輩! ここは心を鬼にして指導する場面のはず。
「集中力が足りない!」と叱責するか? それとも冷たく見放すか?
どちらにせよ、その厳しさの中に隠れた愛情を見出すのが私の仕事(?)なのだが――。
カツ、カツ、カツ。
エリシアがまっすぐにリリアの背後に近づいていく、一生懸命に杖を構えるリリアは気づいていない、その瞬間――彼女は背後から覆いかぶさるようにしてリリアの身体に密着した。
(――は?)
エリシアの左手がリリアの腰を抱き寄せ、右手がリリアの杖を持つ手に重なる。
完全にバックハグの体勢だった。
身長差があるため、エリシアの顎がちょうどリリアの肩に乗るような形になっている。
「⋯⋯肘が下がってるわ、リリア」
エリシアがリリアの耳元で囁く。
その距離、ゼロ距離。吐息が耳にかかるレベルだ。
リリアの耳が、みるみる真っ赤に染まっていくのが目に見えて分かる。
「ひゃっ⋯⋯! え、エリシア先輩!?」
「動かないで。魔力の流れを感じて。⋯⋯もっと脇を締めて」
エリシアは指導という大義名分を盾に、さらに密着度を高めた。
自分の胸をリリアの背中に押し付け、心拍数を共有する。
重ねた手で杖の角度を修正し、自分の魔力をリリアの身体に流し込むことで「正解」を教え込む。
「そう⋯⋯私の呼吸に合わせて。吸って、吐いて⋯⋯」
指導の声色は真面目そのものだ。
しかし、その内容は完全にセクシャルハラスメント⋯⋯いや、公然猥褻に近い。
端から見れば「熱心な指導」に見えなくもないが、二人の間に流れる空気は明らかにピンク色だ。
(距離感バグってる!! それ指導じゃない、ただのイチャつきよ!
しかもリリアちゃん、真っ赤になって腰砕けそうになってるじゃない! これじゃ集中できるわけないでしょ!)
私は脳内でツッコミを入れたが周囲の生徒たちの反応を見てさらに驚愕した。
誰も驚いていない。
「あー、またやってるよ」「はいはい、ご馳走様」「あら~~~」といった生温かい視線が、遠巻きに二人へ向けられているだけだ。
(⋯⋯なるほど。公然の秘密、ってやつね。
学院中がこの二人の関係を察していて、誰も突っ込まない聖域が出来上がっていると。なんて環境だ! 偏差値より糖度が高い学校かここは! 異世界魔法学院が進みすぎてるっ!)
その時だった。
エリシアのあまりの密着ぶりに、リリアの許容量が限界を迎えたらしい。
「あ、あのっ、先輩、近すぎ⋯⋯うっ!」
ドォォォン!!
リリアの杖から制御を失った魔力が暴発した。
標的に向かうはずの風の刃が四方八方に拡散し、足元の土煙を巻き上げて小さな爆発音と共にリリアが尻餅をつく。
「きゃっ⋯⋯!」
「リリア!」
煙が晴れると、そこには涙目になったリリアがへたり込んでいた。
怪我はないようだが周囲の注目を集めてしまった恥ずかしさと、失敗した情けなさで彼女の肩が小さく震えている。
「す、すみません⋯⋯私、ダメで⋯⋯こんな簡単な魔法も⋯⋯失敗しちゃって」
リリアが俯き、ポロポロと涙を零す。
これはシリアス展開か?
さすがのエリシアも、ここはビシッと言うべきだろう。「公私混同するな」と。
しかし、私の予想はまたしても裏切られた。
エリシアは一瞬だけ周囲を見渡すと素早く無詠唱で魔法を行使した。
展開されたのは簡易的な【防音・目隠しの結界】薄い光の膜が二人を包み込み、周囲からの視線を遮断する。
そして――。
ガバッ。
エリシアは膝をつき、震えるリリアを力強く抱きしめた。
「謝らないで。⋯⋯君が悪くないことは、私が一番知っている」
その声は甘く、低く、どこまでも優しい。
叱責など微塵もない。あるのは全肯定の愛だけだ。
「君の心拍数を乱したのは私だ。君の集中力を奪ったのも私。⋯⋯可愛すぎて、つい近づきすぎた私が悪いの」
「せ、先輩ぃ⋯⋯っ」
エリシアはリリアの涙を親指で拭い、その濡れた瞳をじっと見つめる。
「君は優秀よ、リリア。誰よりも努力している。⋯⋯だから、泣かないで。君が泣くと私の胸が痛くて張り裂けそうになる」
「うぅ⋯⋯エリシアさん⋯⋯大好きです⋯⋯」
結界の中で二人は世界から切り離された恋人同士に戻っていた。
リリアはエリシアの首にすがりつき、エリシアはリリアの背中をポンポンと優しく叩き続ける。
「よしよし」「いい子だ」と囁くたびに、リリアの涙は安堵のため息へと変わっていく。
(⋯⋯甘いッ!! あま―――――――――い!!!!!
叱らないんかい! むしろ自分を責めたフリして惚気たわよこの人!
『可愛すぎて近づきすぎた』って何!? 少女漫画のヒーローでも言わないわよそんな台詞!)
私は現実世界で、ブラックコーヒーの缶を握り潰しそうになっていた。
苦味成分が足りない。このコーヒー、砂糖入りだったんじゃないか?
そう疑いたくなるほど脳内が糖分で侵食されている。
* * *
午後は、森のフィールドを使った模擬戦だった。
午前中の甘ったるい空気とは一転、二人の表情は真剣そのものだ。
魔物の幻影が次々と襲いかかる中、二人は背中合わせで戦場を駆ける。
リリアが詠唱を始めるとその無防備な背中を狙って影狼が飛びかかった。
しかし、リリアは振り返りもしない。
なぜなら――。
ズドンッ!
エリシアの放った雷撃が影狼を空中で粉砕したからだ。
「――っ!」
ここでも言葉はなかった。エリシアが視線を右に向ける。ただそれだけでリリアはその意味を瞬時に理解し、杖を右へ振る。
死角から迫っていた別の敵をリリアの炎魔法が焼き払う。
まさに阿吽の呼吸、視線と魔力の揺らぎだけで会話が成立している。
午前中の「密着指導」で見せた甘さとは違う。
これは互いの命を預け合う「信頼」という名の甘さだ。
戦闘終了後、静まり返った森の中で二人は背中合わせで荒い息を整えていた。
「⋯⋯はぁ。いい動きだったわ、リリア」
「はぁ、はぁ⋯⋯。エリシアさんが、前を開けてくれると⋯⋯信じてましたから」
リリアが振り返り、汗ばんだ笑顔を見せる。
エリシアもまた戦闘中の鋭い顔を解き、柔らかく微笑み返す。
二人は無言のまま拳と拳をコツン、と合わせた。
(⋯⋯くぅ~! これよ! これこれ! このギャップ!
『守られるだけの後輩』じゃなく『背中を預けるパートナー』
この戦場での対等な信頼関係があるからこそ、夜の甘さがより一層引き立つのよ!)
私はポテトチップスをかじりながら、ようやく少しだけ精神の均衡を取り戻した。
そうだ、この「強さ」があるから、あの「甘さ」が許されるのだ⋯⋯と、思っていた。
この時の私はまだ知らなかったのだ。
この後の「夜の部」で、私の精神が完全に消し炭になるほどの高火力が待ち受けていることを。
* * *
夕方。寮の自室。
二人きりの空間に戻った瞬間、空気の粘度が再び「シロップ」へと変わった。
リリアがベッドの端に座っている。
その頬には午後の模擬戦で小枝に擦ったのだろう、小さな赤い掠り傷があった。
エリシアが救急箱を持ってリリアの目の前に立つと自然な動作で、リリアを自分の足の間に立たせた。
「じっとしてて。⋯⋯少し滲みるわよ」
エリシアが消毒液を含ませた綿花を傷口に当て、リリアが「うぅ」と小さく顔をしかめる。
その頬をエリシアの親指が優しく撫でた。
手当てをする手つきは、まるで宝石を磨くように丁寧で執拗だ。
「⋯⋯あの、エリシアさん」
「なぁに?」
「今のエリシアさんは⋯⋯先輩として手当てしてくれてるんですか? それとも、恋人として?」
リリアが上目遣いで問う。
あざとい。自分の可愛さを完全に理解した上での上目遣いだ。
エリシアは手を止め、ふふっと小さく笑った。
「どっちだと思う?」
「⋯⋯んー。目が甘いから、恋人!」
「正解」
エリシアは消毒液を置くと、両手でリリアの顔を包み込んだ。
その瞳の奥には底なしの愛情と僅かな独占欲が渦巻いている。
「⋯⋯大事な顔に傷なんて私が許さない。痛かったでしょう?」
エリシアの顔が近づく――傷口に「痛いの飛んでけ」の魔法をかけるフリをして彼女は唇を寄せた。
触れるか触れないか、吐息が混ざり合う距離での口づけ。
直接的な接触はなかった。しかし、その寸止めの焦らしこそが何よりも扇情的だった。
「ん⋯⋯っ」
リリアの目がとろんと潤む。
エリシアは満足げに微笑むとリリアの鼻先を軽く噛んだ。
「さあ、夜はこれからよ。⋯⋯魔力循環の時間だわ」
(はぁい尊いー! 質問がすでにあざとい! そして答えがイケメン!
糖度計が振り切れて壊れたわ! そして『魔力循環』とかいう、ファンタジー特有の『それ絶対エッチな隠喩ですよね』ワードがきちゃァァァ!!!)
私は頭を抱えた。
まだ終わらないのか。まだ甘くなるのか。
やめて遊戯、私のライフ(理性)はもうゼロよ!




