魔法学院の糖度異常 ~恋人たちの「指導」は甘すぎる~③
夜の帳が下り、学院全体が静寂に包まれる頃。
女子寮の一室は外の世界とは隔絶された2人だけの不可侵領域と化していた。
消灯時間。
部屋の明かりは落とされているが窓から差し込む月光が二人の姿を淡く照らしている。
狭いシングルベッドの上でエリシアとリリアは向かい合って座っていた。
二人は薄手のパジャマ姿だ。
互いの膝が触れ合い、その体温がパジャマ越しに伝わってくる距離感。
「準備はいい? リリア」
「はい⋯⋯いつでも」
二人は互いの両手を差し出し、指を絡ませる「恋人繋ぎ」で固く結んだ。
これから行われるのは【魔力循環】。
日中の訓練で消耗した魔力をパートナー同士で補い合い、練り上げる高等魔術の儀式だ。
理屈の上では、ただのメンテナンス行為である。
がしかし⋯⋯この世界において「魔力を混ぜ合わせる」という行為は、他人に心臓の内側を晒すに等しい極めて親密で、そして官能的な意味を持つ(私調べ)。
「始めるわよ⋯⋯」
エリシアが目を閉じ、集中する。
彼女の指先から金色の淡い光が溢れ出した。
それは彼女自身の魔力であり、魂の輝きそのものだ。
光はリリアの指先へと流れ込み、血管を巡るように体内へ侵入していく。
「ん⋯⋯っ! あ⋯⋯」
リリアの身体がビクリと跳ねた。
彼女は頬を紅潮させ、切なげな吐息を漏らす。
異物の侵入。けれど、それは最も愛する人のエネルギーだ。
熱い。甘い。心地よい。
リリアの喉が小さく鳴る。
「エリシアさんの魔力⋯⋯熱い⋯⋯入ってくる⋯⋯」
「リラックスして。受け入れて⋯⋯私の全てを⋯⋯」
エリシアの声もまた熱を帯びて潤んでいた。
彼女はさらに強くリリアの手を握りしめ、自らの魔力を惜しみなく注ぎ込む。
リリアの体内を巡った魔力は、リリア自身の色(栗色のような暖かな光)を帯びて、再びエリシアへと還流してくる。
「リリアの中、とても温かいわ。⋯⋯もっと、深く繋げましょう」
エリシアはゆっくりと上体を傾け、自分の額をリリアの額に押し付けた。
コツン、と軽い音がする。
視界が塞がり、互いの呼吸音だけが鼓膜を支配する世界。
スー⋯⋯ハァ⋯⋯。
スー⋯⋯ハァ⋯⋯。
呼吸のリズムが完全に同期していく。
吸う息で相手の匂いを取り込み、吐く息で自分の熱を与える。
二人の心臓の鼓動が、まるで一つの大きな生き物のように重なり合った。
魔力の光が二人を包み込み、部屋全体が幻想的なオーロラに満たされていく。
(――え、これ⋯⋯R指定入らない? 大丈夫? ノクターン送りに⋯⋯)
私は観測空間の隅で、もはや直視できないほどの「尊さ」に目を覆いたくなっていた。
いや、やっていることは魔力循環だ。神聖な儀式だ。
健全なファンタジー小説のワンシーンだ。
だというのにその空気感は「事後」⋯⋯いや「最中」のそれよりも濃密で湿度が高い。
(実質⋯⋯魂のセ◯クスじゃないですかこれぇぇぇ!!
見てるこっちが照れて爆発しそう!
甘いとか尊いとか超えて、もう『神々しい』の領域に入ってるわよ!)
魔力の奔流の中で、リリアがうっとりと呟く。
「エリシアさんと⋯⋯溶け合ってるみたい⋯⋯」
「ええ。私たちは一つよ。体も、心も、魔力も⋯⋯」
その言葉は決して比喩ではなかった。
この瞬間、世界には彼女たち二人しか存在しない。
互いが互いの世界そのものになっている。
これほどまでに完成された「愛」の形が、他にあるだろうか。
* * *
長い長い魔力循環の儀式が終わると、二人はそのまま自然な流れで一つの布団の中へ潜り込んだ。
儀式の余韻で火照った身体を冷たいシーツに預けるのではなく、互いの体温でさらに温め合う道を選んだのだ。
リリアがエリシアの腕を枕にし、エリシアがリリアの腰に手を回す。
お決まりのポジション。
そこは彼女たちにとって世界のどこよりも安全で幸福な場所だ。
「⋯⋯リリア」
「はい⋯⋯」
「明日も、明後日も。⋯⋯ずっと、君の隣にいるわ」
エリシアがリリアの髪に鼻を埋めながら囁く。
それは誓いであり、確信だった。
リリアは幸せそうに目を細め、エリシアの胸に顔を擦り寄せる。
「はい。⋯⋯明日も、明後日も、ずっとエリシアさんの隣にいられますように願ってます」
「願わなくていいわ。⋯⋯私が、絶対に離さないから」
チュッ。
暗闇の中で口づけの音がした。一度ではない。二度、三度。
啄むような愛らしい音から次第に深く、粘度を増した音へと変わっていく。
「くすくす」という幸せそうな笑い声。衣擦れの音。微かな吐息。
終わらない。
この甘い時間は、二人が眠りの淵に落ちるその瞬間まで、永遠に繰り返されるのだ。
「⋯⋯おやすみ、私の愛しいリリア」
「おやすみなさい⋯⋯だぁいすきな、エリシアさん⋯⋯」
(――ぐふっ、ぐぼぼぼぼ、 ごふっ⋯⋯ゴルファッ!!!)
私の鼻腔の奥で何かが決壊する音がした。
鼻血だ。
いや、今回は鼻血だけではない。目からも、耳からも、魂の毛穴という毛穴から、何かが噴き出しそうになっている。
(もう⋯⋯もう十分です⋯⋯。
これ以上摂取したら、私の脳が砂糖漬けになって機能停止する⋯⋯)
私は朦朧とする意識の中で最後の力を振り絞って脳内キーボードを叩いた。
【観測報告書 No.128】
対象:エリシア、リリア
判定:Sクラス(高純度・正統派・糖度限界突破)
備考:
訓練・生活・恋愛が完全に融合した、究極の安定型百合。
派手な事件など必要ない。ただ日常を重ねるだけで、核融合炉並みのエネルギーを生み出し続けている。
この関係を、本人たちが「普通」だと思っている点が最大の脅威であり、奇跡である。
※観測後、塩分の過剰摂取を推奨する。
(⋯⋯ごちそうさまでした。完敗よ、異世界のバカップルども⋯⋯!)
私は幸せな敗北感を噛み締めながら、静かに《ユリ・スコープ》の接続を切断した。
* * *
「⋯⋯はぁ、はぁ⋯⋯ッ!」
現実世界へ無事帰還。
私はヘッドギアをもぎ取り布団の上でのたうち回っていた。
顔は茹で蛸のように真っ赤で、目は焦点が合わず虚ろだが口元はどうしようもなく緩みきっている。
枕元を見ると用意していた「ポテトチップス(うすしお)」は袋が空になっていた。二本あったブラックコーヒーも完全に飲み干されている。
「⋯⋯圧倒的に足りなかったわ。醤油を⋯⋯醤油をそのまま飲みたいくらいよ⋯⋯」
私は天井を仰ぎ、深呼吸をした。
肺の中にまで染み付いた、あの「陽だまりの匂い」と「蜂蜜の甘さ」がまだ残っている。
「ああでも⋯⋯幸せ」
事件も、悲劇も、別れもない。
ただひたすらに愛し合い、肯定し合い、高め合うだけの日常。
それこそが、おそらく世界で最も強力な魔法なのだ。
――その日、通勤ラッシュの荒波を抜け、オフィスのデスクに座った私を見て隣の席の同僚がギョッとした顔をした。
「えっ⋯⋯隅野さん? なんか今日、肌艶すごく良くない?」
「え?」
「いや、なんか⋯⋯内側から発光してるっていうか。化粧水変えた? それともエステ行った?」
同僚は不思議そうに私の顔を覗き込む。
私は手鏡を取り出し自分の顔を見た。
そこには昨日の死んだ魚のような目はなく、潤いに満ちたツヤツヤの肌と聖母のように穏やかな微笑みを湛えた女性が映っていた。
「⋯⋯ふふ。ええ、まあ」
私は鏡の中の自分にウィンクを送る。
エステになど行っていない。
ただ最高級の異世界産ハチミツ(百合)を、一晩かけて全身の細胞で浴びただけだ。
「ちょっと『良い夢』を見ただけですよ」
私はキーボードに指を置いた。
今日のデータ入力はいつもより軽快に進みそうだ。
この無機質なオフィスの空気が、今日は少しだけ甘く感じられるのは、きっと私の脳がまだ、あの魔法にかかったままだからだろう。
観測終了。
社会の荒波にも負けない、糖分で極厚コーティングされた無敵の笑顔で私は今日という一日を始めるのだった。




