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百合の波動を観測します ~限界OL隅野ミキの命がけ報告書~  作者: 抵抗する拳
魔法学院の表裏――観測対象: エリシア、リリア
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魔法学院の糖度異常 ~恋人たちの「指導」は甘すぎる~①


 その異常事態は、なんの前触れもなく平日の昼下がりのオフィスを襲撃した。


 午後二時。

 昼食後の睡魔がオフィスの空気を澱ませ、キーボードを叩く音が緩慢なリズムを刻み始めた魔の時間帯。

 私、隅野ミキは死んだ魚のような眼球でディスプレイ上のセルを結合しながら、いつものように社会の歯車として回転していた。


 ――ズンッ。


 突如として、脳天から大量の「質量」を流し込まれたような衝撃が走った。

 それは時折発生する鋭利な高周波(切なさ)でもなければ、腹の底に響く重低音(執着)でもない。

 例えるならば煮詰めすぎて粘度を増した最高級の蜂蜜を頭上から樽ごとぶちまけられたような感覚。


 重く、熱く、そしてとろけるように甘い、ピンク色の重力場(グラビティフィールド)


「ぐっ⋯⋯!?」


 私は反射的にデスクにしがみつき、危うく椅子から転げ落ちるのを防いだ。

 視界が揺れる。いや、物理的に揺れているわけではない。

 脳内の百合センサーが一瞬で振り切れ、視界の端に幻覚の薔薇が咲き乱れているのだ。


警告アラート発令。種別:異世界ファンタジー・学園・正統派。

 成分分析⋯⋯極大糖度、計測不能エラー。致死量を遥かに超えています』


(な、何このカロリー⋯⋯ッ!? 胃もたれするレベルの純愛波動!)


 私は脂汗を滲ませながら必死に呼吸を整えた。

 呼吸をするだけで、肺の中が甘いシロップで満たされていくようだ。


 これは「尊い」などという生易しい言葉では表現できない。

 ただそこに在るだけで、周囲の空間をピンク色に染め上げ、観測者の理性を溶解させる「暴力的なまでの幸福」の奔流。


(まずい。これは、まずい⋯⋯)


 私の長年の観測者としての勘が、けたたましく警鐘を鳴らしている。

 この波動は生半可な装備で挑めば、精神的な糖尿病を引き起こして再起不能になる。


 過去に観測した「共依存」や「主従」といった関係性は、どこかに「痛み」や「苦味」が含まれていた。だからこそ、それをスパイスとして冷静に味わうことができた。


 しかし、今回のこれは違う。

 不純物ゼロ。苦味ゼロ。

 純度一〇〇%の砂糖菓子を、さらに砂糖でコーティングして蜂蜜の壺に漬け込んだような代物だ。


(中和剤が必要だわ。それも、とびきり塩辛いツマミと、泥のように苦いブラックコーヒーが)


 私は震える指でマウスを握り直し、残りの業務スピードを極限まで加速させた。

 定時退社――それこそが、この甘美なる地獄から生還するための絶対条件である。



             * * *



 十八時〇〇分。

 私は脱兎のごとくオフィスを飛び出した。

 課長が何か言いたげに口を開きかけたが、私の背中から放たれる「今、私に話しかければ末代まで祟る」という殺気を感じ取ったのか、言葉を飲み込んでくれたようだ。


 帰路にあるコンビニへ、ドリフト気味に入店する。

 スイーツコーナーには目もくれない。今の私に必要なのは糖分ではない。


 スナック菓子コーナーへ直行し「ポテトチップス(うすしお味)」と「激辛柿の種」をカゴに放り込む。さらにドリンクコーナーで最もラベルが黒く、最も苦そうなブラックコーヒー(無糖)を猛スピードで二本鷲掴みにした。


 店員のなんだこいつ⋯⋯という眼差しを受け帰宅。

 シャワーを速攻で浴びて身を清める。

 今日の波動は神聖にして侵食性が高い。心身ともにクリアな状態にしておかなければ波動の甘さに飲み込まれて、私の自我が溶けてなくなってしまう恐れがある。


 部屋の照明を落とし、枕元に「塩気」と「苦味」の防衛ラインを構築する。

 そして自作のヘッドギア――百合同調器・改(Amaz◯n製の段ボール・アルミフォイル裏打ち倍増)を装着した。


「ふぅ⋯⋯」


 深呼吸。

 段ボール特有の乾いた匂いが、高ぶる神経を少しだけ鎮めてくれる。

 今回の観測には小細工は不要だ。

 《時間圧縮》や《早送り》など使えば、この濃密な甘さを消化しきれず、逆に胸焼けを起こすだろう。

 現実と同じ時間をゆっくりと、一秒ずつ噛み締める。

 それが、この正統派の覇権カップリングに対する礼儀というものだ。


「いざ! 異世界の砂糖菓子たちよ。私の血糖値を上げてみなさい⋯⋯!

 起動(ブート)、《ユリ・スコープ》。

 ターゲット座標、固定――観測、開始(エンゲージ)


 甘さの向こう側に全速前進だオラァ――!!!」


 意識が飛ぶ。

 六畳一間の薄暗い部屋から、光あふれる魔法の世界へ。



 視界が鮮明になると同時に、むせ返るような「陽だまりの匂い」がした。


 そこは石造りの壁とアンティークな家具に囲まれた、清潔な一室だった。

 窓から差し込む朝の光が宙を舞う埃さえも金粉のように輝かせている。

 壁に掛けられた杖や本棚に並ぶ魔導書から察するに、ここは魔法学院の女子寮だろう。


 部屋の中央には、二つのベッドが置かれている。

 しかし――その片方は掛け布団がピシッと整えられ、誰かが寝た形跡すらなかった。

 その代わり、もう一方の狭いシングルベッドが、こんもりと盛り上がっている。


(⋯⋯おいおい。っふ、開幕からこれか)


 私は観測者として天井付近の空間に留まりながら口元を歪めた。

 ベッドが二つある意味とは? それはインテリアですか? 

 それともカモフラージュ用の舞台装置? まったく近頃の若い人はお盛んねぇ(ウキウキなおばさん)


 盛り上がった毛布が微かに動き、そこから美しい黄金の髪がこぼれ落ちた。

 観測対象A――エリシア。

 魔法学院の上級生であり、その立ち居振る舞いから「学院の華」と称される才女。

 閉じていた瞼がゆっくりと持ち上がり、宝石のような碧眼が朝の光を映す。

 整った顔立ちに透き通るような白い肌。

 彼女は小さく欠伸を噛み殺し、身じろぎをした。起き上がろうとして上体を僅かに起こす。


 その瞬間だった。


「⋯⋯んぅ」


 毛布の中から甘ったるい、砂糖を煮詰めたような声が漏れた。

 同時に毛布の下から伸びた細い腕が、エリシアの腰に蛇のように巻き付いたのだ。


「まだ、ダメぇ⋯⋯」


 栗色のボブカットがエリシアの胸元からひょっこりと顔を出す。

 観測対象B――リリア。

 同学院の下級生。小動物のような愛らしさとひたむきな努力で知られる少女。

 しかし今の彼女は努力家の一面など微塵も感じさせない。完全に理性の溶けた、本能のままに温もりを貪る被捕食者ベイビーの顔をしていた。


 リリアは寝ぼけ眼のまま起き上がろうとしたエリシアをベッドに引きずり戻そうと、その体重をかけてしがみつく。

 そして顔をエリシアの胸の谷間に埋め、すりすりと頬ずりを敢行した。


(うぉ⋯⋯! 出た⋯⋯! 強烈かつ無自覚な甘え攻撃っ!!!

 『まだダメ』って何!? その言葉の裏には『もっと一緒に寝ていたい』『あなたの体温がないと二度寝できない』という依存性がたっぷり詰まってるじゃないの!)


 私は脳内で絶叫しながら現実世界の肉体でポテトチップスを鷲掴みにした。塩気が欲しい。今すぐ塩分を摂取しないと、この光景だけで脳が溶ける。


 対するエリシアの反応は、どうだ。

 普通なら「起きなさい、遅刻するわよ」と叱るところだろう。先輩として、指導者として。

 しかしてエリシアは――。


「ふふ。⋯⋯リリア、もう朝よ。朝練の時間でしょう?」


 言葉とは裏腹に彼女の口元はだらしなく緩みきっていた。

 抵抗するどころか、腰に回されたリリアの腕に自分の手を重ね、愛おしそうに撫でている。

 そしてあろうことか、起き上がるのをあっさりと諦めた。

 彼女は再び枕に身を沈めると胸元に顔を埋めるリリアの頭を優しく抱き寄せたのだ。


「⋯⋯困った子ね。そんなに甘えられたら、先輩として示しがつかないじゃないの」


 そう言いながらエリシアの細い指先がリリアの栗色の髪を梳く。

 さら、さら。

 その手つきは壊れ物を扱うように繊細で同時に「この子は私のものだ」という独占欲に満ちている。

 リリアが気持ちよさそうに喉を鳴らすとエリシアは目を細め、リリアの無防備な額にチュッ、と音を立てて口づけを落とした。


「⋯⋯おはよう、私の可愛いリリア」

「んへへ⋯⋯おはようございます、エリシア先輩⋯⋯」


 朝の光の中で金と栗色の髪が混ざり合う。

 狭いシングルベッドの上、互いの体温と匂いが充満する密室。

 そこには世界を救う勇者も魔王の脅威も存在しない。

 ただひたすらに互いを愛でるためだけの時間が流れている。


(――ッ、グフッ!! ゴファッ!!!)


 私は観測空間で悶絶、いや吐血した。

 甘い。甘すぎる。

 なんだこれは⋯⋯朝の挨拶? 違う、これは儀式だ。互いの存在確認という名の糖度マシマシの殺人的儀式! 


 「先輩として示しがつかない」だと?

 どの口が言うか! その顔、完全にデレ切ってるじゃないか!

 二つあるベッドの片方が新品同様な理由が開始五分で完全に理解できてしまった。

 毎晩これか毎朝これなのか。


(だめ、ポテチじゃ足りない。ブラックコーヒーを⋯⋯点滴で直接血管に入れて!)


 私の悲鳴など知る由もなく二人はしばらくの間、布団の中でまどろみの時間を共有し続けた。

 エリシアがリリアの耳を甘噛みし、リリアがくすぐったそうに身をよじる。

 そのたびにピンク色の波動が部屋中に充満し、窓ガラスさえも曇らせていくような気がした。


 これが正統派。

 障害も、悲劇も、すれ違いもない。

 ただ「好き」という感情だけで構成された、無敵の要塞。


 ようやく二人がベッドから這い出したのは、それからさらに十分後のことだった。

 朝の支度を始める二人。

 しかし、その光景もまた私の耐性をゴリゴリと削り取っていく。


 洗面台の鏡の前で並んで歯を磨く。

 エリシアがリリアの寝癖を直してやり、リリアがエリシアのリボンを結んでやる。

 その一挙手一投足に言葉は必要ない。


 「そこにあるブラシ取って」なんて言わなくても、リリアが手を伸ばす前にエリシアが手渡している。

 「リボンが曲がってる」なんて言わなくても、エリシアが鏡を見る前にリリアが直している。


 生活と恋愛が完全に融合している最強の空間。

 それはまるで何年も連れ添った老夫婦のような熟練度でありながら、付き合いたてのカップルのような熱量を保っているという、奇跡のバランスだった。


(⋯⋯話によるとこの後訓練でしょう?

 厳格な魔法学院の訓練で、まさかこのテンションを引きずるわけないわよね?

 エリシア先輩は『指導役』なんだから、そこはビシッとするはず⋯⋯)


 私は一縷の望みをかけて場面の転換を待った。

 せめて訓練パートで「厳しさ」を見せてくれ。

 飴と鞭の「鞭」がないと、私の精神構造が飴の過剰摂取で崩壊してしまう。


 だが数十分後。

 訓練場へと場所を移した私は自らの甘い見通しを呪うことになるのだった。

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