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 2人はやがて滝野幸司宅にたどり着いた。

 表玄関前の庭先で、明らかに10代後半と思われる少女が、鉢植えの花々にじょうろで水をあげている。おそらくは滝野幸司の娘、殺害された幸彦の孫娘の礼奈(れな)

 高校中退に妊娠中絶……そんな事実や(うわさ)を体現しているような少女には、とても思えない風貌(ふうぼう)をしていた。池袋駅周辺で遊び歩いているような不良少女のイメージをごみ箱に捨ててしまったような、どこにでもいるごく普通の女の子。やや短めのワンレングスのボブの黒髪。前髪が少々長いのでそれを7:3で分けて、7に分けた左側の部分を安物の黒いヘアピンで()めている。服装は上下ジャージ。部活動帰りの健康的な女子高生そのままの姿だ。学校の制服を着て、机に座って勉強でもしている姿を想像するだけでも、十分様になりそうな少女だった。

 「こんにちは」

 海老名と大森が門を開けながら笑顔で話しかけると、少女は眉間にしわを寄せ、怪訝(けげん)そうな顔をした。よく見ると、この年にして早くも人生を諦めてしまったような、少し陰のある顔付き。

 「礼奈ちゃんだね? お父さんはご在宅かな?」


 滝野幸司親子が住んでいる家は、元々幸彦の本宅だった場所。戦後すぐに建て直されたらしく、築年数もかなり古い。しかしその内部はリフォームされてからまだ日は浅く、玄関はスロープ状。壁の至る所に手すりが取り付けてあり、車椅子生活者の便宜を図った、いわゆるバリアフリー設計になっていた。

 3人がけのソファの隅で、車椅子から移動して座った滝野幸司は、8年前の事故そのままの記憶を生々(なまなま)と刻み込んだような、痛々しい()い跡だらけの顔をしている。肩幅は異様なほど広く、両腕の筋肉も異様なほど太い。部屋の隅に転がっているダンベルを見ると、ただ車椅子を動かすという目的以上に、上半身を(きた)えているのがよくわかった。これで背広でも着込んだら、フランケンシュタインが造り出した怪物そのままである。だがその目付きはどこか遠くを見つめているようで、少し哀しげ。苦痛に満ちたこの世の中を憐れむような、世捨て人の表情をしていた。

 「僕の人生は後悔だらけですよ」と幸司は、意外なほど柔らかく穏やかな声で話す。元不良少年とは思えないような声で。「あんなことしなければよかった、こんなことしなければよかった、の繰り返しです。妻に隠れて不倫した結果が、この身体ですから」

 「お子さんたちの前で、そういう話をして大丈夫なんですか?」

 と、テーブルを挟んで一人掛けのソファに座っている大森が聞いた。大森の隣には、同様に一人掛けのソファに座っている海老名。向かい側の3人掛けのソファには、幸司の隣、つまり真ん中に息子の(かける)が、さらにその隣の隅に娘の礼奈が座っている。

 「大丈夫ですよ、2人とも知ってますから。悪いことをしたら父さんみたいな身体になるんだぞ、と常々言い聞かせてますし。僕も親父(おやじ)もそうですけど、女狂いは代々の家系みたいなものでしてね。せめて駆がそれを引き継がないよう祈ってますよ」

 と、幸司は隣に座っている息子を横目で見た。息子の駆は、顔の傷跡さえなければ父親をそのままコピーしたような、わりと端正な顔立ちではあるが、少々気弱そうで、外界を見ながら自分の殻の中しか見ていないような目つきをしている。

 「もうこんな身体ですし、女には全く興味をなくしました」と幸司は話を続ける。「今ではちょっとした花狂いですよ。うちの庭の花、見ましたか? きれいでしょう?」

 「そうですね、色々な花が咲いてますね」と海老名が応えた。「特に鉢植えの小さな青い花が印象に残りましたけど、珍しい花ですね。何ていう花ですか?」

 「ネモフィラのことですか? 今がちょうど見頃ですよ。最近は日本でもだんだん知名度が上がってきてますけど……あれ? そういえば礼奈、ネモフィラといえば、最近父さんが買ってきたネモフィラのヘアピン、髪にさしてないな。あれ、どうしたんだ?」

 「うん、どっかに行っちゃったみたい。よく探せば見つかるかもしれないけど……」と礼奈は少しうつむき加減に、そう答えた。

 「何だよ、せっかく買ってやったのにさ。あれ似合ってたじゃないか……」幸司は少し残念そうに言ってから、また海老名たちの方に向き直って、「でもまあ、見頃なのはネモフィラだけじゃありません。今はチューリップにツツジなんかもきれいですよ。来月になればバラも咲きます。()来月はアジサイだ。他にももっとたくさん植えたいんですけど、こんな狭い土地じゃ限界がありますけどね」

 「ほう、でもこの近所じゃ十分広い土地ですから、(うらや)ましい限りですよ」と海老名は言った。「花以外では、そこにダンベルが転がってますけど、何かスポーツでもおやりで?」

 「昔テニスをやってたもんで、車椅子テニスというのをやってるんですよ。もう40も過ぎて、体力もかなり衰えてきてますけど、パラリンピックにでも出られたらいいな、とは思ってます」

 「テニスはいつごろから始めたのですか?」

 「中学の部活の時です。高校の時もやってましたが、すぐやめちゃいました。あの頃から少し悪い仲間と付き合うようになり出して、学校にもあまり行かなくなったし、家にもあまり帰らなくなり出したりして……」

 「亡くなられたお父様と喧嘩(けんか)をするようになったからですか?」

 「その通りです。家に帰ればすぐ喧嘩、という有様でしてね。あんな女と金のことしか考えない親父みたいな人間になるものか、といつも思ってたものですよ。でもそう思ってはいても、女狂いの悪い癖だけは受け継いでしまいましたけどね」

 「その後、お父様とは和解なさったんですか?」

 「和解……と言うほどのものでもないんですが、あの事故以来、嫌でも親父には頼らざるを得なくなりまして。ま、自分も悪い癖を受け継いで(ばち)が当たったんだし、人間には誰にでも弱点はあるものだ、と思って全てを受け入れることにしましたよ」

 「そういえば、お父様が殺害される数日前に、そのお父様の家に乗り込んで、ちょっとした言い争いをしてますね。『姉貴だけじゃまだ足りないのか』とか言って」

 「ははん、やっぱり山口のおばさんに聞かれてたか……」そう言って、幸司は少し何かを考えるような表情をして、数秒間沈黙した。「実は親父の奴、俺ももう長くはないから、そろそろ遺書を書く、とか言い出しましてね。遺産を僕たち一家や今の若い奥さんにも分ける、と言う話なんですけど、それ以外にも、僕が中学の時に家出して以来、音信不通になってる姉にも分けるとか言って。しかもそれだけじゃなく、他にも別れた2番目、3番目の奥さんにも分けるとか言い出して……いずれも短い結婚生活だったのに、そりゃないだろう、って感じで」

 「だから頭にきて、思わず大声を出してしまった……と?」

 「ええ、まあ、金に執着する気はないんですが、もう少し真面目に考え直してくれって感じで、少し感情的になってしまいました」

 「お父様はあの時、30万円の小切手を手にしてたそうですが、あれも遺産相続のことに関係のあることなんですか?」

 「ええ、そうなんです……」と言ってから、幸司はまた数秒間、何かを考えながら黙り込んだ。「あの30万は僕のお袋の分なんですよ。時々今も僕や子供たちに会いに来るから、その時に渡してくれってことなんですけど、20年も長く連れ添って、遺産はたった30万ですからね。今までさんざん慰謝料や生活費も払ってきたんだから、このくらいの額でいいだろうって……他の奥さんには何百万単位の金を分けておいて、20年連れ添って子供も2人作った最初の妻には、もう愛情も若いころの記憶もかなり薄れた、とかいって30万。いくら何でもお袋に気の毒ですよ。いまだに再婚もせず、埼玉のアパートに(ひと)り寂しく暮らしてるというのに。だからその場で、その小切手を突き返してやりました」

 「それからその時、この家の裏玄関の合鍵も持って出て行きましたね」

 「あの親父、時々こっそりと、そこの裏玄関から出入りすることがあるんですよ。元々ここに住んでたし、今でも親父名義なんで、合鍵も持ってましてね。僕がちょっと席を外してる間に、このソファに寝転がってたり、テレビを見てたりするんですよ。『ここにいると落ち着く』とか言って。だったら、なぜ新しい家なんか建てたりしたんでしょうね?」

 「なるほど、で、その合鍵を没収して、お父様にもう返す気はなかった、と」

 「いえ、いずれは返す気でした。頭を冷やして遺産に関する考えをよくまとめるまで、しばらくうちには勝手に出入りしないでくれ、って感じで。少々()らしめてやるつもりだったんですが……」

 「ところで鍵と言えば、お父様の自宅の鍵は、裏表とも番号を入力して開錠できるようになってるのは、ご存じですよね? その番号はご存じですか?」

 「ええ、番号が書かれたメモを渡されたもんで。もっとも僕は番号を押して開けたことは一度もありません。番号自体覚えてないし、メモでも見ないことには……」

 「君たち2人はどうかな? おじいさん()の鍵の番号、覚えてる?」と海老名が幸司の子供たちに聞くと、

 「いえ……」

 「さあ……」

 2人の子供の視線は、目の前にいる刑事たちに届いていなかった。その視線をたどっていくと、みんなの視線は少し波型を描きながら、居間のガラス戸に集中している。

 外では丸出為夫(まるいでためお)が、顔と両手をガラス戸に押し付け、(のど)の血管をピクピクいわせながら、こちらの様子を観察していた。その姿はまるで両生類のよう。

 海老名が怒って、シッシッと片手で追い払う仕草をすると、丸出は無念そうな表情で顔と両手をガラス戸から放し、去っていった。

 「大変申し訳ございませんでした。あれはちょっと上からの命令でして……」と海老名は、山口夫妻宅でも言った言い訳を繰り返すはめになった。

 「ところで話は変わるけど、礼奈ちゃんは高校をやめたんだよね?」と大森が礼奈に質問した。「どうしてかな?」

 「学校に行っても面白くないし、何だか将来に全然希望も持てなくて……」

 「どうしてまた? 人生これからじゃん」

 礼奈は黙って、うつむいたまま。その顔には希望の希の字すらなかった。

 「まあ、僕もあまり人のことを言えない高校生活を送ってましたからね」と幸司が代弁するように言った。「だからあまり娘のことをとやかく言う筋合いもないんですが、今はちょっと休息が必要なのかもしれません。今はたまにコンビニでバイトするぐらいですが、自分の人生をよく考えさせて、いずれはきちんとした道を歩ませるつもりです」

 「それで駆君は今年で2浪目」と大森は、今度は駆に質問をする。「どこか一流の大学でも目指してるのかな?」

 「京都大学の理学部を目指してるんです。ノーベル賞を獲りたくて……」

 「無理だろ。模擬試験受けても、偏差値50も獲れないくせに」とまた幸司が口を挟んだ。「だいたい京大を目指してるというのは、ただの口実でして。勉強もろくにせずに、予備校にも行かずに、うちに(こも)ってゲームばかりやってますからね」

 「ちゃんと勉強やってるよ。ゲームはただの息抜きだよ」

 「飯食う以外は、その息抜きばかりじゃないか。いい加減にしないと、ゲーム機取り上げるぞ。もう来年は浪人生活なんか許さんからな」

 「駆君、今何か夢中になってるゲームとかあるの?」と大森が聞く。

 「今一番はまってるのは、『十兵衛(じゅうべえ)の剣 パート3』ですね」と駆が言った。

 「ああ、今わりと話題のやつだね」

 「え? どんなゲーム?」

 と、ゲームに全く興味がない海老名が聞くと、それまで半ば淀んでいた駆の目が突然輝き出し、

 「柳生(やぎゅう)十兵衛って剣の達人が敵の(さむらい)と斬り合うんですよ。こんな風に斬り合ったり、こんな風に刀で刺したり……」と身振り手振りをまじえて、沸騰したやかんのように興奮しながら、駆はひとしきり説明を始めた……かと思いきや、突然、「あ……そういえば、じいちゃん、刺されたんだっけ。しばらくあのゲーム、やめとこ」と肩を落として、氷水をかけられたように黙り込んでしまった。

 「なるほどね。ところで、おじいさんが亡くなる数日前ぐらいに……」

 と海老名が子供たちに質問をしている途中で、礼奈が突然、口を押さえて席を立った。そのまま()け足で廊下を走り去ると、海老名もある予感に導かれるように席を立ち、猫のように足音をたてないようにして、礼奈について行った。

 しばらくして海老名が戻ってくると、先程座っていたソファには座らず、幸司が座っているすぐそばにしゃがみこんだ。

 「お嬢さん、トイレで何か吐いてるみたいですね」幸司の耳元で海老名は小声でささやいた。幸司の隣にいる駆には聞こえないように、低い小声で。「そういえば、お嬢さんは過去に妊娠中絶をしているという噂を聞いたんですが、まさか……」

 「そうです。間違いなく、またみたいですな」と幸司も小声で返した。「どうも異性狂いは僕や親父だけでなく、娘にも受け継がれたみたいで」

 「父親は誰だかわかってるのですか?」

 「さあ……前の時も誰の子かわからない、なんて言ってましたからね。いずれにしても手術させるつもりです。早くしないと手遅れになるんで」


 滝野幸司一家での聞き込みも一通り終わって、海老名と大森は外に出た。

 「一旦署に戻ろう」と海老名が大森に言う。「他にも聞き込みたい人間がいるんだけど、あいつがいたんじゃ仕事にならんよ。あいつを置いて2人だけで戻るか?」

 「いや、それはまずいでしょう。上からの命令だし、それに今度はあいつ、どんな変なことをやらかすかもわかりませんし……」

 と大森が言ったところで、その「あいつ」が突然、幸彦と幸司の自宅の間にあるアパートから飛び出して来た。

 「あ、おチビさん、おチビさん」

 「何だと! それは俺のことを言ってるのか!」と小柄の大森は突然、丸出に向かって怒鳴り散らした。

 「おい、おっさん。こいつの前で『チビ』は絶対に禁句だぞ」と海老名が2人の間に割って入った。「すごく気にしてるんだからさ。見ろよ、このむくれっ面。せっかく今まであんたには丁寧に相手してやってたのに、これで俺だけではなく、大森まで敵に回したようなもんだぞ」

 「それで……僕に何か用ですか?」

 と大森が不機嫌な顔で質問すると、丸出は、

 「そこのアパートの奥で面白いものを見つけましたぞ。ぜひ見せたいものですな」

 3人は丸出を先頭にして、アパートの裏側の狭い通り道を入って行った。アパートの裏側は幸彦の小さな自宅に面していて、その高い塀との間は1メートルもない。通り抜けようとすると、妙な圧迫感がある。1階も2階も裏側の窓には格子が取り付けられていて、ここから外に出入りすることは不可能。ちなみにアパートの全室内には、乾燥機の機能も付いた洗濯機が取り付けられており、洗濯物の外干しは不要になっている。このような場所を通り抜けようとする者など滅多になく、舗装されていない地面には、丈の低い弱々しい雑草や、空き缶、ペットボトル、ビニール袋といったゴミが散乱していた。

 一方、幸司宅に面した表玄関側は()も当たりやすく、通り道も広め。幸司宅とは、1メートルにも満たない低い柵で区切られているだけ。裏側とは対称的な解放感があった。

 丸出が見つけた「面白いもの」とは、道路に面した入口のちょうど反対側、建物の奥にあった。その向こうは別の民家。やはり幸司宅と同じように低い柵で区切られているだけで、陽当たりも裏道に比べれば悪くはない。ゴミが散乱しているところは裏道と同じだが、陰気な裏道を通り抜けて来ると、ある種の安堵感が心に差した。

 「だったら、初めから表側を通ればよかったじゃないか」

 と海老名が文句を言った。丸出は虫眼鏡を取り出すと、

 「ほら、これ見てくださいよ、面白いですぞ」

 と言って地面にしゃがみ込み、虫眼鏡を通して、あるものを観察し始めた。別に虫眼鏡を使ってまで見る必要はない。しゃがんでよく見ると、蟻の大群が大きな蛾の死骸を運んでいるだけだった。

 「ほら、面白いでしょう。もう春ですな」

 と丸出が楽しそうに言うと、海老名も、

 「確かに春だな。あんたみたいにおかしな奴は、いつも必ず春になると現れるし」

 「これが今回の事件と何か関係があるんですか?」

 と大森は丸出に聞いてみた。丸出は、

 「もちろんあります。どんな些細なことにでも、何かしらの関連はあるものです。友達の友達は皆友達、ってよく言うでしょ」

 「で、具体的には、どんな関係?」

 「そんなもん、あるわけないだろ」と海老名があきれて言った。「付き合いきれねぇよ、帰るぞ」

 と言って立ち上がると、幸彦宅の隅にある大きな木が目に入った。その木が高い塀から身を乗り出すように丸出の奇行を見下ろしている。

 「今度は表の方から回って出よう」と海老名が大森に言うと、さらに「おい、おっさん、ファーブル昆虫記じゃないんだから。置いてくぞ」

 と言うので、丸出も渋々腰を上げた。「よいしょ」と言って丸出が立ち上がると、年のせいかすぐにふらつき出し、足元もおぼつかなくなっている。

 その拍子に、パキッ、と何かプラスチック製のものと思われる鈍い割れ音がした。何かを踏みつけたらしい。丸出がもう一度かがみこんで手に取ったものは、何か青い飾りのようなものがついた、金具のような物だった。青い飾りのようなものは2つに割れており、その青いかけらも手に取りながら、

 「むむ、これは重要な手掛かりになるものかもしれない。念のために取っておこう」

 と言いながら、丸出はその金具らしき物と、さらにその青い飾りらしきかけらをポケットにしまいこんだ。


 「大森、あの一家のこと、どう思う?」

 署に戻る車の中で、助手席に座った海老名が運転中の大森に聞いた。

 「かなり臭いますね。特に息子の駆なんか、プンプン臭いますよ」

 「ほう、そんなに臭うか?」

 「だって『十兵衛の剣』の話をしてる時の、あの目の輝きようと言ったら。いかにも刃物が好きそうな口調だったじゃないですか」

 「それを言うなら、娘の礼奈もかなり臭うんじゃないか? 山口喜子から料理を教わって、なかなかうまい料理を作るって言う話じゃんか。包丁さばきだって、かなりのものじゃないかな?」

 「それにしても、その礼奈。明らかに妊娠してるみたいだったですよね? 噂は本当だったんだ。そんな子に見えないんだけどな」

 「ま、人は見かけによらない、ってやつだな」

 「逆に中身が変だから、それが見た目にも表れる、って人もいるし」と言って、大森は車を運転しながら、バックミラー越しに後部座席の丸出を見た。「あとは父親の幸司ですね。もし仮に彼が犯人だとしても、車椅子ですけど」

 「そこだよ。幸司は明らかに、今でも父親の幸彦に対して憎しみを持ってる。動機としては十分だ。それにあの遺産相続に関する話、どうも不自然だった。内容も不自然なら、あの口調も何か噓を言ってるように聞こえたぞ。問題は、あの身体でどうやって犯行に及んだか、だ。もう一度日を改めて、幸司に聞き込んでみる必要があるな」

 「犯人は間違いなく滝野幸司ですぞ」後部座席の丸出が突然話し始めた。

 「ほう、それでその根拠は?」

 と大森が運転しながら聞くと、丸出は、

 「あのフランケンみたいな顔は、間違いなく人を殺した顔です」

 「あんた、見た目だけで人を犯人扱いする気かよ」

 「見た目だけなら、あんたも間違いなく犯人だよ、おっさん」と海老名も、丸出を嘲笑しながら言った。「だいたいおっさんさ、滝野幸司の話なんか全く聞いてなかっただろ。外からガラス戸にへばりついてるだけでさ、ヤモリみたいに」

 「私には話を聞かなくても、あの顔を見ただけで全てがわかりました。あれは人を殺した顔だ。顔にそう書いてあった」

 「そうかいそうかい、素晴らしい名推理だな。俺の予想通り、バカ丸出しな名推理だよ。あんた、マルデダメオという名に恥じない、立派な名探偵だね、まったく」

 と海老名が嫌味を言っているうちに、車は署に着いた。


 「……丸出って奴は、そんなにおかしな奴なのか」藤沢周一係長はまた苦い顔をして、そうつぶやいた。

 署内の片隅にある、陽も当たらず、天井の照明だけが頼りの薄暗い一角。パーテーションで区切られたボックス席の小さな机を挟んで、片方に海老名と大森、もう片方に藤沢係長と戸塚明警部が座っている。

 「だから俺、最初に言ったでしょ。あんな奴がいたんじゃ捜査になりませんよ」と海老名が上司2人に訴えた。「かえって人の足を引っ張るだけです。もう、あの面も見たくない。この署を出入り禁止にしてくれませんかね?」

 「でも上からの命令だからな……」

 と係長が悩まし気な表情で言うと、戸塚警部が天井の照明を頭に反射させながら、

 「わかった。何とか署長たちと掛け合ってみよう。出入り禁止はさすがに難しいだろうが、現場とかには出さず、署内待機でなら……」

 「お、4人ともここにいたのか。探したぞ」

 突然、立川進課長が目の前に現れた。その後ろには河北昇二署長が、さらにその後ろには、今もまだ池袋北署にいる本庁捜査1課の上野大志刑事。またその後ろには……丸出の姿も見える。

 「丸出さんから、先程の海老名さんたちとの同行について、詳しい事情を聞きました」と河北署長がその場に立ったまま、席に座っている4人に向かって言う。「そこで滝野幸司に、父親の幸彦殺人容疑の重要参考人として、任意同行を求めることに決めました」

 席に座っていた4人が驚いたのは言うまでもない。

 「ちょっと待ってくださいよ、署長」と海老名が署長に抗議した。「あいつから、どんな話を聞いたんですか? 顔が醜いから任意同行だなんて、それだけが理由なら、何百万人もの人間を引っ張って来なくちゃならなくなるじゃないですか」

 「他にもはっきりとした理由があります」と上野刑事も言った。「滝野幸彦が亡くなられたことで、誰に莫大な遺産が入ると思いますか? 妻の沙由里以外には、息子の幸司しかいないでしょう。もちろん幸司がまだ犯人だと確定したわけではありませんが、詳しく署で事情聴取をしてみる意味はあると思います」

 「あんた、そもそも幸司に直接会って、話を聞いたことがあるんですか?」海老名は上野に対しても当たり散らした。「俺が実際に幸司本人から話を聞いた限りでは、もし仮に幸司が犯人だとしても、それは遺産がらみの話じゃないかもしれない、もっと根深い原因に端を発してるんじゃないか、ということです。もう少し時間をくれませんかね? まだもう何度か聞き込みをしてみないと、ますます捜査が行き詰まる可能性がありますよ」

 「とにかく滝野幸司に対する任意同行は、もう決めたことなんです」と署長は威厳を持って言った。「みなさん、よろしいですね?」

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