幸せの閾値のおはなし
やっと書けました。というか蜂の話を投稿しようとして、あ!書いてねぇ!と思い出してあわてて考えを文章に起こしてみました。だからあまりまとまってないですw
そのうち直すかもしれませんw
ハチ退治の話を書いて投稿する段になってから、
「次回は、幸せの閾値について」
って書いて書きっぱなしだった!って思い出して書いてます。
前回も書いたけど、閾値っていうのは
「外界より力が働いて、影響を及ぼし始める値のこと」
うん、なんだかよくわからないね!おっさんも書いていてこれでわかるのかな?って思ったよ。
だから、今回は幸せの閾値ってことでオサーンがぐだぐだと書いていくよ。
幸せの閾値が低い人っていうのは、少しのことでも幸せを感じることができる人なんだ。たとえば、
「今日は天気がいいから気分がいい」
とか、
「今日はご飯を三食食べることができた」
とか、
「ゆうべはよく寝られた」
とか、
「今日も生きていられた」
なんていうね、他人から見たら他愛ないことでも幸せを感じることができる。
たぶんね、こういうふうに幸せの閾値が小さい人っていうのは何をやっても人生はあらかたのことが楽しいし、感謝の気持ちで過ごせるから全体的に幸せな生き方をできると思うんだ。
気分が悪くなるかもしれないけど、幸せの閾値が高い人の例も挙げるよ。
「さっきの食事のアレがナニだから最悪だ」
とか
「こんな家に住んでいたってドウノコウノ」
とか
「今日もアレが面白くない、ダレがナニを言ってるからおもしろくない」
いやいや、書いているほうが気分が悪くなるね。こんなの。
周りの人もこんな文句ばっかり言ってる人に協力しようって気にはならないからなにをやってもうまくいかないだろうね。人生のあらかたのことについて面白く思っていないから生きていてもつまらないだろうね。全体的に不幸な生き方だよね。
今回は短いけど、幸福論なんて言葉を持ち出すと精神・こころ、宗教、政治とかからんできて収集がつかなくなるから、幸福の閾値のお話はこんなもんで。




