第一話『先生と助手ちゃん』
「おはよう助手ちゃん!」
「おはよう、ございます先生」
ひょんな事から私アリスが「先生」ことオーウェルさんの「助手」になったのは、約一週間程まえだ。
オーウェルさんに二回目の再会を果たした私は、彼の書斎へと案内してもらい、そこでソファの上に置いてあった本を見つけた事がきっかけだった。
その本は「血形文字」とよばれる「私達」しか読めない文字で書かれた本を所有していた。
どうやら、それはオーウェルさんにとって何よりも重要らしく、内容が知りたいとの事だった。
そこで、目をキラキラさせたオーウェルさんが、僕の「助手」にならないか! と提案した事により、この関係に至る。
私は少し戸惑ったけれど、やる事もないし、何よりもこの人の事がもっと知りたかった。
孤独という病気を患う私にとって、その提案は何よりも魅力的だし、こだわれる筈も無かったと、今になっては思う。
そうして、その提案を呑むと、彼は私を「助手ちゃん」と呼ぶようになって、私も立場上仕方なく「先生」と呼ぶ事にした。
いや、決して「助手ちゃん」などと呼ばれて嬉しくなってとか、あだ名や敬称を使う関係性にものすごく憧れがあったとか、そんな理由じゃない。本当に……ない……と思う……
「助手ちゃん、助手ちゃん髪の毛を結んでおくれ!」
私は毎日、日が上ると先生の家へと訪れ、夕暮れになると山の中に帰るという日々を繰り返していた。
そうした日々の中で徐々に、朝きたらこれをする、お昼頃にはこれ、といった習慣が出来つつあった。
今日も、いつもと同じように職場である先生の家の戸を軽く鳴らすと、姿を見ていなくても、尻尾のような癖毛を揺らし、笑顔でこちらに向かって来てくれる、賑やかな声が聞こえてくる。
扉が開くと同時に、先生は手に持った紐を私に差し出す。
それが、徐々に出来上がりつつある習慣の一つ目だった。
「そ、その本当に触れても大丈夫なんですか?」
「もう! 何回聞くのさ! もう一週間くらい経つのに! 大丈夫って言ってるじゃないか!」
書斎に入り、私に後ろを向けながらソファに座ると、私も続いて腰を下ろす。
変態と思われるので、先生には絶対に言わないけど、私はこの時間が何より好きだ。
今まで、あらゆる人から嫌われて来た私にとって、こうして誰かに近づき、触れ、温かさを感じれる事は、何よりも尊い。
「で、では…」
もはや社交辞令となった、その確認を終えると先生の髪に触れる。
もふもふだ。
ぴょんぴょんと、あらゆる方向に伸びている癖毛を束ねると、石鹸のいい匂いがやってくる。
先生は気にする事ないと言うものの、私は一応、手袋をつけている、流石に外を歩く時に羽織るローブは家に入ると脱いでいるけど、手袋はまだ外す気にはなれなかった。
私にとって、誰かに触れるという行為はまだまだ慣れず、自分の方から不安になってしまうのだ。
「はい、出来ましたよ」
「ありがとう!」
パタパタと足を踊らせる先生にそう言うと、彼は天使のような笑顔を見せてくれる。
私はその笑顔を見ると、つい固まってしまう。これに関していえば、先生が可愛すぎるのがいけないと思う。
「じゃあ、朝ごはんにしようか」
いつも、髪を結び終わると朝食の時間になっている。
馬の尻尾の様に結んだ髪を揺らしながら、台所に向かう先生についていく。
ここに来るようになってから、朝昼晩の三食をご馳走になっている為、先生の代わりにご飯を作りたいのは山々だけれど、私には料理の経験が殆どないので、まだ力にはなれずにいる。
今まで一人で食事をする際は、山や川にいる生き物を捕らえては、火を起こして素焼きで食べるのが普通だったのだ。
そのせいで、人の料理というものには疎く、ゆっくりと先生に教えてもらっている。
先生は覚えなくてもいいと言っていたが、私の申し訳なさを察してか、教えてくれる様になった。
本来、施しを受ける側は、施してくれる側の良いようにするのが一番なのかと思うものの、施されるだけというのが、どうしてもムズムズした。
それに、私自身も、こんな私に優しくしてくれる彼に対して、何かしてあげたいのだ。
もちろん、まだ全面的に信用しきっているわけではない、それは失礼を承知の上で、どこか線を引かなければいけないと思っているからだ。
母が必要以上に、そう教えてくれたのは、きっと酷い目に沢山あったからに違いない。
もっとも、その酷い目というのは、長い時の中で、私も散々あって来たから、この人がそうでないのは薄々気が付いてはいる。
だが、だからといってすぐに緊張を解くのもどうかと思う、関係性というのはきっと急ぐものではないのだ。
先生も、私に対しては何処か線を引いているようで、どこから来たとか、私の体質の事については必要以上に聞いてこない。
それでも、それが傷つくという事ではなく、優しさを感じて温かい気持ちになれた。
この家では、冬場に使う暖炉と、料理用の暖炉を分けているらしく、台所に行くと、料理用の鍋が置けるように、レンガで作られた暖炉の上部には穴がある。
詳しくは知らないが、母といた時も、リビングに置かれた暖炉を料理の際に併用していた。火に焚べた牧野上に、湯沸かし用の鍋を吊り下げたり、そばに串を刺したりして調理するのだ。
先生の家の玄関は広めの空間が設けられており、そこに料理用の暖炉や、洗い物をするための洗面台と水道がある。そこを抜けると、横長の廊下があり、さっきいた書斎にもつながっている。
初めてここを訪れた際、水道を見て驚いた。私の中で、生活用水というのは、井戸や川から汲むのが普通だったのだ。
外の踏み跡の先にある湧き水から簡易的な水道をひいているらしく、暑い日に体を洗う際にしか使わないらしい。
暖炉で先生が湯を沸かし、コーヒーというものを作っている間に、その横の場所を使いながら、教えてもらった通りに食材を切っていく。
コーヒーは苦くて飲めなかったが、香りは大好きだ。
私にはいつも、ハーブを混ぜたお茶を用意してくれる。
湯を沸かし終わると、空になった鍋に鶏の卵、そして塩漬けで保存していた豚肉をいれ炒めていく。
そんなこんなで、三十分程経つと料理が終わり、二つのお盆の上には、それぞれの飲み物、目玉焼きに、豚肉の炒め物、そして黒パンがのっている。白パンも美味しいが毎日食べれるものではないし、それに黒パンは黒パンで主菜とよく合うので十二分だ。
リビングは殆どが来客用に使われており、私達が昼食をする際は書斎になる。
二人でソファに腰を下ろすと、二つのお盆がギリギリ納まる小さな机を前に持ってくる。
「もっと大きな机を買おうな…」
「そうですか? 私はコレはコレで良いと思いますが」
「そう?ならいっか!」
こうして、わたしたちの一日が始まった。




