序章最終話『処女の終章』
オーウェルの住む家は平屋であり、扉を開ければ家の横幅と同じ廊下がある。その廊下からは等間隔で扉が四つ程あり、それぞれの部屋に繋がっている。
玄関から最も近い部屋の扉は、使う頻度が多いのか開かれており、日差しや心地よい風が流れ込んでいるのがわかった。
「おいで!」
彼はアリスに対し、触れずに袖を掴むそぶりをすると、開いている扉の部屋へと案内する。
天真爛漫で、子供のように純真無垢な声色を発しながらも、彼は女性を導くように努めているとアリスは思った。見た目は可愛らしいけれど、本当に可愛らしいけれど、僕は男だからね! と主張するような、そんな所にキュンとしてしまうらしい。
オーウェルは長い癖毛をふわふわと揺らし、入って、と手でアリスに促す。
「!!……本がたくさん」
部屋に入ると、正面の壁には窓があり、右の角にくっつけるように、作業机が置かれている。
左奥の角には座った時、作業机を眺める形になる様にソファが置かれていて、ソファの前には小さく丸い、机も置かれている。
そして何よりも目を引いたのが、ソファ横、入って左に面する壁と、その対面の壁に並ぶ本棚と本の数々だった。
「文字は読める?」
「えっと……特定の文字は読めるのですが、人の、じゃなくて、この地域の主要な文字は分かりません」
「? 出身地の文字は読めるって感じなのかな?」
現在、サクラノトスおよび、その近隣諸国で書物に使われている言語の文字は「カタカナ」と呼ばれ、46の文字で構成されている。
アリスが自身の母から教わり、家に置かれていた本を構成していた文字はまた別であった。
「はい、出身地の文字ならスラスラ……と」
「?」
窓から部屋に入る自然の匂い、そして本の紙の匂いを満喫しながら、アリスは本棚を端から端まで眺めていた。
もちろん、読める文字は無いと分かりながらも背表紙を見るだけで気持ちが弾んだ。
未知の面白さ、それを面白いと思えるだけの好奇心が彼女にはあった。
だが、その読めるはずのない本棚を一通り眺めた後、ソファの端に転がっている二冊の本に目が留まる。
「オーウェルさん……この本は……」
「あぁ、それはね、僕が前職をしている最中にある人から貰った本なんだけど……『知らない文字』で書かれていてさ、解読に苦労してるんだ」
「『一九八四年』ともう一つは……」
アリスはそう呟く、オーウェルはその言葉を聞いて、一体何のことだろうと疑問を浮かべ、少しの間を置き、目を見開いた
「もしかして……読めるのかい!?」
「は、はい……これは私た……じゃない、私の村で使われていた文字です!」
人とは別の種族である事を、言葉にしようとして言い直す。
疑問がとまらなかった。
アリスが見つめるその本は、明らかに『自分達』が使う文字で構成されていた。
それは『血形文字』と呼ばれる、血で綴った文字であり、血の滴の大きさや、形、そこから伸びる線や飛沫によって、言語を形にする文字である。
なぜ、血形文字の本が、オーウェルの家にあるのか。
オーウェルからしてみれば、なぜ、アリスがこの文字を読めるのか。
「こんな偶然があるのか……」
彼にとって、この二冊の本の解読は、何よりも優先すべき事柄だった。
それは、前職を辞める原因でもあり、解読の資料を集めるついでに、得た知識を使い、始めたのが今の職である小説家だった。
「この本を読んだ事があるの?」
「いえ、読んだことはありません、ただ題名が読めてしまったので自然に……」
「そっか……この本は全六章からなる物語のうちの二つなんだけど、僕はこの二冊が何番目に当たるかすら分からないんだ」
アリスはじっくりと本を観察し、背表紙に記された順番を表すであろう文字を読む。
「初めに言った『一九八四年』には六と……そしてもう一つは二で題名は……」
後に知る、この本の内容は次の通りだった。
ある日の夜、少年は少女に出会う。
二人は互いに惹かれ合い、月が昇ると会って会話を楽しんだ。
恋路の果てに少女は秘密を打ち明ける。
そして少年は少女が『吸血鬼』である事をしる。
それ故に、夜しか会えない事を。
少女はその一族のとある風習のことも話した。
吸血鬼の少女は、眷属をつくって初めて一人前とされ、その時に『処女』を失うとされる事を。
二人はお互いに愛し合ってはいたが、少女は月の元でしか会えないこの関係が、長くは続かないとわかっていた。
だから、もう会うのはやめにしようと少年に告げた。
だが、少年は引き下がらない。
眷属にする為の儀式、すなわち血を吸えと少女に伝える。
少女は断った。
夜にしか生きられない事は、何よりも不自由だと知っていたから。
そんな不自由に、好きな人を巻き込むわけにはいかないと。
すると、少年は懐からナイフを取り出し、自分の手首を切った。
なんて事を、と少女は少年に駆け寄る。
血は止まらず、このままでは少年が死ぬ事は明白だった。
少年は言う、好きな者に会えない昼間の自由などいらないと、少女の優しさではなく、一緒に居たいという本音を聞きたいと。
吸血鬼は夜になると本領を発揮する。
凄まじい力を手にし、肉体は何度でも再生する。
そのことから「全生物の王」ともされる。
少女が少年を眷属にするのなら、肉体は再生し、少年は生き延びる。
少女は少年の優しさに涙し、首筋に唇を当てる。
少年は血を吸われ眷属となり、少女は眷属をつくった事により「処女」を失った。
ここまでが、その本の内容であり。
故に。
「処女の終章と……」




